着物あれこれ

 
7/20朝日新聞紙面で、とても美しいドレスの小さな写真をみつけました。
記事を読んでみると……
これが複雑な気持ちにさせられる内容でした。

「テクノロジーをまとう」と題して、最先端のスキャンや印刷技術を使ったファッションの紹介記事なのです。





目についたのはこの写真



新聞写真ながら、なんて綺麗な花のドレスでしょう!!
記事によれば、精密な3Ⅾスキャナーで生花を直接取り込んで生地に印刷したものだそうです。
立体をスキャンできる3Ⅾならではの奥行ある花柄になっているとのこと。
本物のお花を直接スキャン?!とアナログ人間としては驚くばかりです。
手描友禅の長々とした工程で、花びら一枚一枚から手描きする友禅屋としては、スキャン!印刷!というところで複雑な思いを抱きますが、こんなに綺麗ならもはや何も言えませんね

成人式がインクジェット印刷のレンタル振袖に席巻されて久しく、それを残念に思ってきました。どんな種類であれ「染めの着物」を着てほしいものだと考えてきましたが、印刷技術も、コンテンツを取り込むスキャンの技術も、デザイン力もすべて向上してきているということなのでしょう。
この記事のドレスと同じように高い技術とデザイン力による、友禅屋も脱帽するような美しいインクジェット印刷の振袖が世の中に出てくる日も遠くないのかも……
プロ棋士がAIに勝てない時代になっていることだし……(+_+)
フクザツです……


着物あれこれ | 12:08 AM | comments (x) | trackback (x)
 梅雨が明け、とんでもない暑さがやってきました。ぼかし屋所在地は東京都の南部。埋め立て地で海に近いため、北部や内陸部よりいくらか凌ぎやすいハズですが、暑い熱い!!
 そこで今日は、以前見た涼しげな織物を紹介いたします。
 今年一月の東京国立博物館に常設展示されていた18世紀の能衣装で、
ご覧いただきたいのは、右の白い衣装



水浅葱褸地水衣(みずあさぎ・よれじ・みずころも)

素敵にわざとヨレヨレっと織られているのです。

解説文は以下の通り。

褸(よれ)とは、経糸(たていと)に生糸(精練されていない無撚の絹糸)、緯糸(よこいと)に麻糸を用いて平織にし、経糸の間隔を粗くして緯糸の打ち込みをまばらにすることによって、よろけたような織り目をつけた織物である。能装束において、庶民の労働着として使用する水衣に好まれた。

なるほど!生地をアップいたしますと、



柔らかく涼しそうな生地ですね。
麻糸だけで織ると独特のゴワゴワ感がある織物になるところを、半分は絹糸で織って柔らかくして、材質の違いから絹糸が麻糸の間をフワフワと踊っているような感じに織られていました。

 大辞林によれば、(要約)
水衣→ すいい、みずごろも。
・水仕事などをする時に着る衣。
・能装束の一種。緯(よこ)糸を太くするかまたは緩く織って波打たせた絹の上衣。シテが用いれば漁夫・樵(きこり)などの粗衣に,ワキが用いれば僧衣となる。

 能衣装においては庶民の労働着に使われたとのこと。
日本の夏は昔から湿度が高かったわけですから、働く庶民は少しでも涼しいように、同じ平織でも糸に遊びを持たせて織り、肌に密着しないように工夫したのでしょうか。もっとも絹が労働着に使われたとは思えません。実際は麻か木綿で褸地を織っていたのかもしれません。

 難しい漢字が並びましたが、(よれ)はボロを表わす襤褸(らんる)と同じ文字ですし、形状から見ても、この織り方が「ヨレヨレ」の語源に違いないと思います。
残念ながら、手元の事典や本、ネット検索やら色々あたっても「語源です」と言い切ってくれる文章には出会いませんでした。
 どなたか詳しい方がいらっしゃいましたら、
お問い合せフォームからお知らせくださいますか。

この記事には続きがあります▼
着物あれこれ | 04:02 PM | comments (x) | trackback (x)
 少し前になりますが、NHKアーカイブスの放送で
「祇園・継承のとき 井上八千代から三千子へ」
を観ました。
感銘深かったのでテレビ映像をお借りして紹介させていただきます。
京舞・井上流の四世である井上八千代さんが、家元八千代の名を孫の三千子さんへ譲るにあたり
家元の暮らしや舞の披露、稽古の様子を収録した番組です。


   新しい家元として三千子さんが舞う「虫の音」

 「虫の音」は井上流家元には重要な演目だそうです。
日本舞踊には特別の知識のない私でも、隙のない身ごなしを美しいと思いました。



 紋付きの色留袖 白の比翼つき。
裾模様の背には模様がありませんが、下前に柄がある両褄模様の形式。
足の運びで下前の柄が見え隠れします。

 バレエのように動き自体に華やかさがある訳ではないのに、なぜ素人目にも美しく感じるのかと考えていて、常に体の中心にある帯締めに目が行きました。



 濃い色目の着物と帯に、正装としての真っ白な帯締め。それだけで全体が引き締まりますが、
印象的なのは帯締めの房。ピッと上を向いています。
どの場面でも上を向いた白い房は、ふんわりと広がり存在感を示しています。



 なぜこんなに帯締めと房が綺麗に見えるのか、ビデオを見返して考えました。
 おそらく、踊り手が大きく動く時も、傾いた姿勢をとる時も、
体幹だけは常にまっすぐ上を向いているので、帯〆の房部分は床に対していつも垂直となり、
白い房が常に真上を向き、房の糸がふんわりと折り返しているために華やかに見えるのだと思い当りました。
踊り手の動きに合わせ、房がフワッフワッと小気味よく踊るのです。
動く映像でなくて残念です。

 体幹が常に真っすぐな踊り姿…。


 そう思いつつ映像で見ると、全体に思いがけないほど筋肉質でいらっしゃるのが、着物の上からでも分かります。後を継ぐ家元としての日頃の鍛錬の賜物が、筋力となって隙のない舞姿を下支えしているのでしょう。敬服…。

 色留袖の柄は刺繍のように見えました。四世家元が初めて虫の音を舞ったときのものだとか。
染めでないのがちょっと残念でしたが、別の場面の映像「初寄り」(新年の挨拶)で弟子である舞妓さん、芸妓さんたちにお屠蘇をふるまうときの黒留袖は、遠目ながら椿を描いた手描友禅でした。





 「虫の音」の練習風景。


 深緑の付け下げ小紋に椿の染め帯。椿に合わせて帯〆は赤。小紋の裾回しは帯の地色と揃えて薄黄色。和服ならではの色合わせです。こんな着こなししてみたいものですね。

 最後に同じ番組から、祇園の巽橋を渡る舞妓さんの映像を。


 傘をさし道行を着てお座敷へ。舞妓さんの映像を見ることは多くても、このような道行姿は珍しいですね。黒繻子の掛け衿が町方の娘らしい可愛らしさです。

着物あれこれ | 12:55 PM | comments (x) | trackback (x)
最近ちょっと面白かったことをまとめて紹介いたします。

①色挿しの作業中に写した一枚です。



 先週色挿しの時、明るい緑をベースに渋く黄味のある緑を作ろうと染料皿に緑、黄色、赤味のある茶色を筆で混ぜ入れたところ、混ざり合うまでの間、白い染料皿の中で、まるで唐三彩の色合いのように美しかったのです。偶然の妙にしばらく眺めておりました。
 写真では混ざり具合があまり写らず残念…

 手描友禅で、模様に色挿しをする時、基本的には粉末の染料を染料皿の中で水と一緒に煮溶かして液状にして一色ずつ作って使います。それを利用して色数を増やしたりもします。例えば、濃い一つの色を水で薄めて中間色、淡色と段階をつけた濃淡の色合いを作ったりもします。また煮溶かした赤と青を混ぜれば紫になります。染料は液状にした後で、組み合わせを考えて混ぜると相性のよい様々な色を作ることができるのです。
 合わせる染料の分量を加減して、同じ色でも微妙に違いを出すこともできます。
 そういうわけで染料皿とスポイドや筆を手に、理科の実験のようにあれこれ混ぜるわけです。

羽田空港第二旅客ターミナル3階にギャラリーがあるのをご存じでしょうか。
私は今回初めて見学したのすが、狭いながらも落ち着いた雰囲気で空港内の施設とは思えませんでした。
「大名家のお姫様」という題で、熊本の大名、細川家の女性たちに関わる品々の展示でした。興味深かったのは着物の「雛型」です。



 A4版程度の大きさに非常に細かく着物の模様を描き込んだものです。受注に際して注文主に見てもらうための下絵にあたります。まるで細密画のよう!驚異!敬服!

合貝(あわせがい)


 婚礼道具に欠かせなかったという貝合わせ。この展示品は絵が細かく人物だけでなく背景まで詳細に描かれていました。大名家の所蔵品の合貝でも、もっと簡単な絵の物もよく見るので、これは大変質の高い造りだと思いました。

白綸子地に刺繍の小袖



大正時代のもので新しいので白地も綺麗で、さすがに格式が第一という感じの柄行きでした
(写真は照明が写ってしまいました)

1月25日 新宿高島屋で驚きの絵を観ました。



 画家で山本太郎さんとおっしゃる方の展示会に行き合わせて観たのがこの絵です。

 いうまでもなく尾形光琳の紅梅白梅図屏風をもじったもので、中央の流水がピンク!よく見ると流水は右上方の缶から流れ出ているのです。缶ジュースがこぼれ出ているのが流水なのです。凄いですね。
 よくぞこんな表現を思いつくものです。もじった絵でも、ここまでくると素晴らしい創造ですね。ご本人もいらして「カメラ撮影歓迎、ブログ掲載も大歓迎」と言っていただいたので紹介いたしました。
 山本さんは日本画の古典にユーモアやパロディを交えて大胆にアレンジした「ニッポン画」を創作されているそうです。今後どんな創作をなさるのでしょうか。機会あればまた拝見したいものです。


着物あれこれ | 12:06 AM | comments (x) | trackback (x)
運ばれていく着物
 本日の朝日新聞朝刊上に、気持ちに残る写真がありましたのでご紹介いたします。



 一週間前の地震で被災した長野県白馬村で、解体作業中の家屋から貴重品を運びだすボランティア活動中の女性の写真です。白馬村は豪雪地帯。壊れた家屋をそのままにしておくと雪で倒壊して家財も雪に埋もれてしまうので作業を急ぐ必要があるそうです。
 彼女が手にしているのは和箪笥の中引き出し。三段分を両手で持ち上げ中身を落とさないように一生懸命に運んでおられます。すぐ側で重機が動いている様子。埃をかぶらないように被せてくれた新聞は風でめくれています。ボランティアの方の心使いが伝わる写真だと思います。
 中引き出しに収められているのは男性用の羽織のように見えます。重ね具合から羽織と長着のアンサンブルでしょうか。その下にも男性用浴衣らしい柄がみえます。このように箪笥を管理していた持ち主の方なら、大切な女性用の着物もたくさんお持ちだったことでしょう。思い出の着物や大切な方の形見の品も。考えつつしばらく見入りました。
 私も以前水害にあった着物の再生をご注文いただいたことがあります。思い出の着物は「めったに着ないけれど、きちんとした状態で保管しておきたい」とおっしゃるお客様は多くいらっしゃいます。
 この写真の和箪笥の持ち主の方も、大切な品々を少しでも多く取り戻せますようお祈りするばかりです。それに各地で健闘なさっているボランティアの若い皆様、ありがとうございます。

着物あれこれ | 02:19 PM | comments (x) | trackback (x)
 今までこのブログで話題となった「着物あれこれ」の中から、
最近実例を見かけた着物姿を2例紹介します。

その一
 昨年2013年4/27日のブログで取り上げた「腰巻姿」を、思いがけず映画で見かけました。



 「雨あがる」山本周五郎原作の一場面

 さほど大きくない大名家の殿様と奥方がくつろいで話をしているシーンです。殿様はお酒を飲みながら奥方に愚痴めいた話としています。お酌しながら聞いてあげている奥方が腰巻姿です。袴に見えるかもしれませんが、ブルーの小袖の腰に紺色の打掛を巻きつけています。立ち姿の場面がなく残念…。



 簡単にまとめただけのお下げ髪なのが印象的です。ブルーの小袖の燕子花の模様は写実的な友禅染め。燕子花の下は金箔があしらわれて華やかです。打掛は紺一色に見えます。立ち歩くと紺色の裾からさらに白地に燕子花や金箔の小袖がのぞくはず。すてきでしょうね!
 江戸時代を舞台にした時代劇では、身分ある女性はみな打掛をガウンのように羽織った姿で登場しますが、この映画の衣装担当の方はどんな意図で腰巻姿にしたのでしょうか。今では完全に廃れた着用方法ですが、能や歌舞伎では、よく似た着付け方法を見かけることがあります。

その二
2013年11/26のブログ「宮廷服の礼装」でご紹介した「袿袴(けいこ)姿」
伊勢神宮の遷宮の儀式で天皇家長女の黒田清子さんがお召しになっていました。



  家庭画報 2014年1月号より

 この写真が横から撮影されているので、袿(うちき、上から羽織るもの)と袴のボリュームがよく分かります。着用するとこんなに大きいのですね!この袴で歩くのは大変そうです。
さらに白い上着を羽織っているのは、おそらく神事への参列だからでしょう。袴はくるぶしまでの長さで引きずりません。
 この写真でもう一点面白いと思ったのは一番左端に写る男性の足元です。古くからの沓でも草履などの履物でもなく、大きな写真で見ると子供用運動靴のような白い靴を履いています。動きやすくて狩衣にも合うように現代になってからデザインされた物に見えました。実用的ですね。

2014/10/10追記
 先日の千家典子さんの結婚式の日に花嫁一同が出雲大社境内を歩く様子が報道されました。


         毎日新聞電子版より

 おや珍しい!袿袴姿ですね。報道各社で衣装の呼び名が違うようでしたが、
NHKでは「袿・切り袴」(うちき・きりばかま)と呼んでいました。  
 風で衣装があおられている分、足元がよく見えます。
袴の下は西洋風の靴。束帯姿の花婿は沓をはいています。
 花嫁は儀式そのものでは袿に長袴。(小袿姿)おはしょりしない袿と長い袴を優雅に引いて歩かれたようです。今回たまたま花婿が神職だったので、袿袴姿で境内を歩くという光景が見られました。
 こうして見ると袿に袴は意外に実用的な感じもしますね。
裾が広がらず帯も重い現代の着物より…。

着物あれこれ | 10:50 PM | comments (x) | trackback (x)
 子供の頃、父の京都土産の絵葉書に写っていた舞妓さんを見て以来、お引きずりの振袖姿に憧れていました。だらりの帯、びらびらの簪にも。
 本物をじっくり拝見する機会もないまま今に至りますが、一番の興味はやはり着物。特に裾を引きながら軽々を踊ったり歩いたりする着物はどんな構造なのだろうと。



 踊っても裾の返りが綺麗なので、小袖と打掛のような重ね着ではないと想像していましたが、思いがけずNHKの番組「新日本風土記」花街・祇園で答えが分かりました。
 男衆さんが舞妓さんに着付けをする、一分ちょっとの場面に振袖の裏側が写ったのです。



 畳んであった振袖を手に取りサッと広げる瞬間。裾のフキが厚いですね。ピンクの表地の内側に黄緑の中着が見えます。これがどうなっているかが疑問だったのでした。



 男衆さんが両手で衿を持って振袖を広げました。襟が※比翼仕立てで重ね衿になっています。



 舞妓さんに後ろから羽織らせるために広げてさばいています。ほら!裾も比翼仕立てです。
やはり二枚重ねではなく、一般の黒留袖と同じように比翼仕立てなのですね!なるほど。
しかし黒留袖の比翼でも十分重く、仕立てるのも大仕事なら、ズッシリした絹の重みで着るのも楽ではないのに、これほど厚くフキが入っている比翼の振袖を着こなすのは大変そうです。
胴裏と裾回し、比翼との境なども一般の着物と比べ特に違いはなさそうです。

 ピンクの表地に黄緑色で模様のある襲ね(かさね)は春の取り合わせですね。 
 


 背中心だけ慎重にあてて位置を決めた後は…







 衿からスッと沿わせて肩山の位置は一瞬で決まっていました。



 最後に帯結び。
 舞妓さんの着付けは男衆さん(おとこしさん)の仕事で実質的に世襲だそうです。ほんの数分で舞妓さんの着付けが出来上がるとは驚きました。伝承技術なのですね。
 周辺にある棚や着物ハンガーなど一般家庭でも使うような物たちも見えてちょっと親近感。



 芸妓さんの黒の礼装一式。帯板や紐類など私たちも馴染み深い形ですが、衿も大きく襦袢を含め全体にフキが厚く重そうです。
 いつの日か舞妓さんをじっくりと拝見したいものですが、残念ながらまず機会はないことでしょう。一見さんお断りの世界なので。
 思いがけず舞妓さんの着物の裏側を見ることができて幸運でした。

※ 比翼仕立て
 正装の着物は元々、二枚襲ね(重ねること)で着用するのが正式でした。留袖なら黒い表着の内側に白い下着を重ね合わせてから袖を通して着たそうです。
 これでは重くてかさ張り、動くと着崩れしやすいので、時代と共に簡略化され、二枚がずれないよう下着を表着に縫い付け、しかも衿と裾部分だけになってきました。これを比翼仕立てと呼んでいます。
 色留袖ですと裾も省いて比翼衿だけ付けたり、訪問着にお洒落のため比翼衿を付けることもあります。伊達衿は比翼衿をさらに簡単にして取り外しがきくようにしたものです。

 比翼という言葉は二羽の鳥が仲良く翼を並べているところを表わすそうです。夫婦仲のよいことの例えだとか。着物を二枚重ねているように見せる仕立て方法なので、いつか誰かが比翼仕立てと呼ぶようになって一般化したようです。
(各種着物関連図書を参考にしております)

2014年5月25日のブログ「東京手描友禅の色留袖、几帳模様の色留袖」 にて比翼仕立ての色留袖を作品例として紹介しています。舞妓さんの着物と違いフキは薄いのですが、構造は同じです。
裾回し、比翼が写っておりますので、ぜひご覧ください。



着物あれこれ | 12:20 AM | comments (x) | trackback (x)
着物の巻き棒の旅

 まずはこの写真をご覧ください。

 

 これは反物を巻く時に芯となる巻き棒です。
お料理用のラップの芯の両端にプラスチック製のフタがついているとお思い下さい。
 巻き棒は機屋(はたや)さんが生地を織りあげて出荷するときに、新しい巻棒に反物を巻いて世に送り出した後は、問屋、染色業者、縫製業者を行き来します。ぼかし屋の場合、例えば湯のし屋さんに染め上がりを持ち込んだ時の巻き棒と湯のし屋さんから戻ってきた時の巻き棒が同じ物かどうか気にしません。反物の長さ、幅によって少し種類がありますが、だいたいみな同じだからです。染色関連の業者の間をたくさんの巻き棒がグルグル旅を続けているわけです。いよいよ古くなって誰かが破棄するまで。

 先日ふと手元の帯用巻き棒が妙に重いのに気付きフタを外してみましたら!
驚いたことに2011年12月13日付けの京都新聞(夕刊)が詰め込まれていたのです。
 きっと丹後ちりめんの機屋さんのところを出発して色々旅をしてここまで辿り着いたのだなぁと感慨深く…。
2年以上前の、それも京都の新聞です。シワを伸ばして読んでみました。すると偶然にも着物に関わる記事を二か所も発見しました。



 まず一面に花街の一足早い新年の行事が紹介されていました。舞妓さん芸妓さんが芸事の師匠に新年の挨拶に回る日だそうです。京舞井上流のお師匠さんに順番に挨拶している写真はいかにも京都らしいと感心して眺めました。本当に年が明けるとお客様相手の新年行事で忙しいからだそうです。
 後ろから二番目の面にはとても興味深い染色関係の記事がありました。



 ご覧のように「黒留袖、あなた色に」という見出しで、模様を残したまま黒い地色を脱色して薄い色に染め直す技術が開発されたことが紹介されています。
 黒留袖の黒が脱色できるようになっていたとはしりませんでした。
 黒留袖や喪服、黒地の振袖の地色の黒色は化学染料ではなく鉄が酸化する力を利用して染める草木染の一種だそうです。他の色(化学染料)と違って絶対に脱色出来ないものと思っていました。
 技術を開発なさる方がいらっしゃるのですね。思い出の留袖をぜひ色留袖に変えたいという方には朗報です。私は身近で実例を見聞きしたことがないので、脱色作業により生地がどんな状態になるのか分からないのですが。
 ちなみに、模様も地色も染めるのがぼかし屋の特徴ですが、黒留袖の地色だけは専門の黒染屋さんに依頼します。化学染料の黒とは比べられない冴えた黒色になります。
 この記事のすぐ下には京料理展示大会が紹介されています。京都料理組合の200店が参加したそうです。これもまた京都らしい記事ですね!
 左側にある被ばく線量の記事はせつないですけど。
 それにしても誰がなぜ巻き棒の中に新聞を詰め込んだのでしょう。
おかげで京都の新聞が読めました。
この巻き棒は新聞を除いてまたフタをしました。
いずれ旅に出てぼかし屋からいなくなるでしょう。

着物あれこれ | 12:42 AM | comments (x) | trackback (x)
街角で友禅流し?映画の一場面から

 友禅流しといいますと、川の流れを利用して染め上がった反物から余分な染料や防染糊を落とすために川の中の杭に反物の端を引っかけて、反物を長く川の流れに泳がせながら洗うものです。ご存知のように今では観光風物的に金沢などに残るだけです。
 6月27日に放送された昔の映画に友禅流しを思わせる大変興味深いシーンがありました。


「宮本武蔵 一乗寺の決斗」1964年 東映京都制作
中村(萬家)錦之助主演、内田吐夢監督

 京都の街中の大きな屋敷前という設定。画面左下に川の中で作業をする人が二人写っています。二人とも布を洗っています。一人は棒で布を叩いて、もう一人は川の中に立ち、反物を流し洗いしていて布が下流に長く伸びて水にゆらいでいます。二人が男性であるところから、これは日常の家事としての洗濯ではなく反物を生産する染色作業だろうと思われます。
 映画を作成するにあたり全盛時代の日本映画は訴える力を高めるために、これほど細かい映像作りをしたのだと感心するばかりです。
 特にこの映画では剣の道を追及する武蔵の生き方と対比させて庶民が繰り広げる営みの描写が随所にあります。その営みの一つとして染色作業をしている職人が取り上げられているのです。決闘申込みに来た武士団を武蔵が見送り、自分も外出するシーンですが、ただ川だけが写っていても差支えないところを、二人が黙々と川で作業をしている情景の中に武蔵をおくことで武蔵の立場の特異性が際立ち映像に膨らみが出ていると思います。
 時代考証の上での映像として見ると、街中のこのような小さな流れも染色に利用されていたという事なのですね。洗濯は川でしていたのですから同じことでしょうか。そういえば宮本武蔵は江戸初期の剣豪。友禅染が生まれた時代ですね。
 興味深いのは庶民の営みの描写として農作業や商店、行商といった生業と並んで染色職人が取り上げられたことです。現代と違い、監督さんはじめ当時映画を作った人々にとって着物の染色作業が身近にあったからではないかと思うのです。
 家庭でも昭和40年代位まで張り板や伸子針を使った着物の洗い張りが家事の一部と見なされていたようです。着物を解いて洗い、きれいに形を整えて干してから再度縫い直すという一連の作業ができる女性が少しずつ減り、昭和60年代終わり位でほぼ全滅したのではないでしょうか。
 かく言う私も手描き友禅の制作上必要なので仮絵羽仕立て(仮縫い)は致しますが、本縫いは専門の仕立屋さんにお願いしております。
 今回の「宮本武蔵」のように昭和40年代までの日本映画は、作品の良し悪しとは別に、着物の着こなしが勉強になります。今の俳優さんと違い、着物を日常生活で着ていた人々が演じるので、「実際に着て生活したらこうだろうな」と思う自然な着崩れをしているのです。それに、女性が料理をするので袂を帯にサッとはさむ、男性が急ぐのでちょいと尻っぱしょりする、といった仕草もまったく自然で「着物の時代の日本人はこんなふうだったのか」と、現代人としての私は別の民族を見るかのような目で観察してしまいます。
 いまさら着物の日常に戻ることはあり得ませんし、このような古い日本映画が放送されることも減っていくのでしょうね。

 この機会に家事として着物の洗い張りをしている女性を描いた名画を紹介します。


上村松園「晴日」

洗い上がった反物に伸子針をうって幅を整えながら干している女性が描かれています。家事労働する女性をこんなに美しく描いた絵は他にないと思っております。
 竹の細い棒の先に針のついた伸子針を真剣に扱う女性の眼差し。彼女の着る着物や帯揚げなど小物類の色合いも見事です。失われた日本の風景というわけです。




着物あれこれ | 07:38 PM | comments (x) | trackback (x)
着物洗いの幟に感激
 以前から一度は、と思っていたのですが、東日本大震災の被災地、宮城県南三陸町を訪ねてきました。何のお手伝い出来る訳でもないのですが、観光客として宿泊、買い物をするだけでもと思っていたところ、手ごろなツアーがあったので実行いたしました。
 新幹線で昼には仙台到着。そこからレンタカーで三陸道を北へ。途中で日本三景の一つ、松島も寄りました。松島も初めてだったので大急ぎで見学し、再び北へ。東松島、石巻など被災のニュースですっかり馴染んだ地名が続き、夕刻には南三陸町に入りました。
 翌朝、宿泊ホテルの主催する語り部ツアーで約一時間、津波被害にあった地域をバスで回り説明を受けました。
 被災の事について感想めいたことを言うのは憚られますが、一番感じたことだけ書きます。
報道されている通りには違いないのですが、実際に現地に立つと、あまりにも広い範囲だという、横の広がり感と、あんなに高い崖の上、ビルの屋上まで、という縦の高さ感に唖然としました。それほどの海水が街を覆ったのか、と。
 木材の瓦礫は片づけられて、電柱が立ちガソリンスタンドが営業したり仮設市場が再開したりしているのですが、それだけに本来あったはずの街がすっぽり抜け落ちている感は大きいものでした。そこにあった仕事やら生活の雑事やら、子供の遊びやら喧騒やら。そういうものが無い感。
 途中に何もないため水門が間近に見えるのですが、説明では「あの水門の高さの倍の高さで津波が街に押し寄せた」とのこと。今は穏やかに広がる水面からは信じられない事実で、同じく海の近くに住む私は、そんなことがあり得るのかと改めて思いました。
商店街だった所には、白い立て看板のようなものが沢山見えます。ガイドの方の説明では、それぞれの店の商売内容を表す絵や、気持ちを書いた文を、切り絵のように白いボードを切り取って表現したものを、店のあった場所に飾っているそうです。
 何でも南三陸では、お正月には神棚を白い紙の切り絵で飾る習慣があるそうです。その「きりこ」と呼ばれるお飾りを「きりこボード」として被災した街々に飾るのは、被災者の方々によるプロジェクトだそうです。
語り部ツアーの後はレンタカーで個人的に再度訪問。高台にあるベイサイドセンターの写真などの展示も見学しました。近接して木造の真新しい幼稚園がありました。杉の被害材を使って建築し、海近くの低地にあった幼稚園が移転したのだそうです。なんでもサッカー日本代表キャプテンの長谷部選手の援助があったそうです。さすが長谷部キャプテン!
 長谷部選手のような援助は出来ない私は、せめて買い物で貢献するべく、商店街が集団で再開した「南三陸さんさん商店街」へ。東京では考えられない海産物のレベルの高さ。色々買い込みました。

 嬉しいことにクリーニング屋さんに「きもの洗い」の幟がありました!東京ではトンと見かけなくなった表示。こちらでは今も着物洗いのニーズがあるのだと思うと嬉しい、嬉しい。心の中で「染め直しや新規のご注文は、ぼかし屋へ」とつぶやいた事でした。

着物あれこれ | 08:41 PM | comments (x) | trackback (x)

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