東京友禅は、ぼかし屋友禅へ

 
今年の冬は大変寒い日が多いですね。
ぼかし屋のあります東京都江戸川区の西葛西は東京湾に面した位置です。あと二駅ほどで東京ディズニーランドですから東京湾に面した、都内でも温暖な位置です。
ですが、今年は寒い!
先日あまりの寒さに珍しい現象がありました。


団地の木々が何だか光っているような気がして…


ベランダからよく見ると


枝についた雨粒が凍っているのです。
まるで枝が水晶ネックレスで飾られているかのよう。





長年ここに住んでおりますが、これは初めての光景でした。
雨が降り、零度以下で水滴が凍り、そこに薄日が差してきて氷が光って見えたようなのです。
光と温度の加減で、わずか20分ほどの眺めでした。





自然現象をこのような所で楽しめるとは、樹木の多い古い団地は捨てたものではないですね。
これも樹氷には違いない(*’▽’)と感激したのでした。

季節の便り | 06:33 PM | comments (x) | trackback (x)
ぼかし屋友禅 新年ご挨拶




2023年が皆さまにとって良き年となりますよう、お祈り申し上げます。
戦火にある国々に平和が戻りますように。


ぼかし屋ベランダの万両
例年、年明け前にヒヨドリのお腹に入ってしまう赤い実が、今年はお正月までもちました。

お知らせ | 03:39 PM | comments (x) | trackback (x)
東京手描き友禅は誂え染めなので、お客様ごとに図案を描き、それを生地に写し取ってから糸目糊置き、色挿しへと進みます。
図案を生地に写し取る時に使うのは図案台とか図案机、図案トレース机などと呼ばれる作業台です。
ぼかし屋ではこれまで主に友禅の染め作業机で兼用してきました。
こんなふうに。


友禅作業机はとても大きいので生地も図案も動かしやすく、照明の上へ移動させやすい利点があるのです。

でもガラス面の大きさに惹かれ、今年は思い切って専用台を購入しました。
専用台は注文が入ってから材料屋さんが家具屋さんに依頼して作ってもらうので、待つこと1か月ほど。注文した京都の材料屋の田中直さんから大きな箱入りで届いたところ。


届いた梱包を開けて驚いたことに、フワ~ンと立ち上る強い木の香り。想像していたより立派な木です!節も見あたらず。
造り自体は単純なものなので、家具屋さんではなく、建具屋さん、もしかしたら製材所でも作れると思います。
端材には違いないでしょうが、きっちり製材された良質な木材なのに驚きました。杉か檜か?
台はこのまま使い始めてもよいのですが、これはもったいない、大切にしなくては!と思い立ち、白木の木材を柿渋で保護することにしました。

 
届いた白木の状態。ガラスをはめる内側の溝も本当にきっちり彫られています。正確で美しい。


柿渋塗りの前に目の細かいサンドペーパーで磨きます。


柿渋液 日曜大工用品のオンラインショップで購入。刷毛も忘れずに。


一回めを塗ります。裏面、側面のまんべんなく。


数日放置してから塗り重ねるのを3度繰り返し。


時間の経過と共に柿渋は濃く発色し、塗り上がり後も数か月かけて渋いミルクチョコレート色になっていきました。


最後の仕上げにBee’s Wax(蜂蜜を原料とする木製家具用のワックス)を塗り込みました。


木材に油分が加わることで耐久性が上がるそうです。ぼかし屋の大事な大事な和箪笥もこのワックスで磨いています。
時間をおいて布で乾拭きして磨き完了です。

天板に置くのはサイズを測って購入しておいた透明なアクリル板


保護紙をずずいっと剥がしていくのがちょっとした快感でしたよ。
一度剥がせば二度と戻らぬ~♪ 最初の一階限りの作業ですから。
最後に台の天板に透明アクリル板を載せて完成。


下に電灯を置いて使用開始です。



もともと天板に載せるのはガラス板です。台の内側の溝にはめ込むように載せて使います。でもガラス板は大変重く取り外しも気軽に出来ないのがネック。広くはない作業部屋なので台を置いたままには出来ないからです。
アクリル板は厚さも長ささも希望通りにしやすく、ガラスより軽いので持ち運びしやすいのです。
描く位置によっては天板に私の体重がかかるので、台のサイズめいっぱいの大きさのアクリル板で覆うように使うことにしました。

アクリルの注意点は→ 可燃性!!下に置く照明は白熱灯禁止です。発熱しないタイプに限ります。
ご参考までに→ 木材には油分の補給が必要というお話。木工食器の職人さんに聞いたところではお椀やお盆といった食器類の場合はオリーブ油を塗り込むと良いそうです。いったんベタベタしますが、時間をおくと落ち着き、最後に布で仕上げ磨きすると木が生き返ります。

東京手描友禅の道具・作業 | 05:00 PM | comments (x) | trackback (x)
肩脱ぎ姿(かたぬぎすがた)という言葉をご存じでしょうか。
主に男性の着物姿で、着物を着て帯も締めてから片方の肩だけ着物を外して袖も抜くのです。するとその肩から胸にかけて肌が見える、または下着(小袖)だけの状態になった姿です。正面から見ると一方の肩だけが着物をきちんと着ていて、脱いだ方の着物の袖が後ろ背中側に回っているわけです。

たとえば遠山の金さんが桜吹雪の見栄をはる姿
ばくち打ちがサイコロをエイっと振り下ろした姿。
ちゃんと衿合わせしていたのでは恰好がつきませんよね。歌舞伎でもここ一番の場面で、役者の片袖が外れることで姿が豪華に見える効果があります。
もっとも遠山の金さんは両肩外して「もろ肌脱ぎ姿」のこともありましたっけ。

さて本日紹介するのは外国映画に登場した肩脱ぎ姿。
映画「戦争と平和」言うまでもなくトルストイ原作のナポレオンに侵略されたロシアを舞台にした大作です。オードリー・ヘプバーンが主役ナターシャを演じたハリウッド映画で先日NHK BS3で放送されていました。

(写真は放送画面から)


中央の男性はナターシャの兄。正装の軍服の上に上着を羽織り、わざと肩脱ぎしています。
字幕に「約束よ」とあるのは、左のナターシャのセリフ。
初めての舞踏会を前に、どんなに壁の花でいようとも「お情けで兄に誘われたくない」と宣言しているところです。


肩脱ぎすると前よりも後ろ姿が派手になりますね。この姿は日本と同様、何か威勢を張りたい時のもの、そういうタイプの男性が好む姿なのでしょう。
これで踊ると



袖も派手に振れて目立ちます。お相手は妹ではなく恋人。

こちらは男性たちのファッション。

右端の二人はナターシャの兄と同じくロシア風の軍装で一人は肩脱ぎ姿
この一群の中に見慣れた軍装の二人がいます。そう、後列中央と右から二人目がベルバラ風、つまりフランス式の軍服なのです。
19世紀前半のロシアはフランスの影響を強く受けていたそうです。舞踏会シーンでもロシア風とフランス風、両方の軍服が登場します。フランス風軍服の人には肩脱ぎ姿は見当たりません。

意中の人とダンスできたナターシャ。お相手はフランス風。両肩の大きな肩章が特長で、まさしくベルバラ、オスカル様ご着用の軍服です!


ベルバラの舞台は18世紀中頃から後半の時代。「戦争と平和」は19世紀前半のナポレオン時代。時代の違いで本来ならベルバラ、オスカル様はナポレオン風の軍服ではなかったハズ。
これについては以前、作者、池田理代子さんご自身がインタビューに答えて「美的効果を優先してナポレオン時代の軍服で主人公のイメージを作った」主旨のお話をされていました。


右の男性。フランス軍服は踊る姿もすらりと見えますね。

肩脱ぎ姿は舞踏会以外にも。


手前の後ろ姿の男性から決闘を申し込まれた場面。女性を巡る諍い。この男性は女性にもててプライドの高い見栄っ張り。威勢を張って生きていくタイプなのです。


軍議の場面。ロシア風軍服の中央男性が右肩を外しています。映画の他の場面でも正式な場の肩外しが何度も描かれています。

この映画がどの程度忠実に時代考証しているかは分かりませんが、文芸大作ものの映画は原作の再現に力をいれて作られていた事と思います。
「戦争と平和」はフランスがロシアを侵略し失敗するお話。残念ながら今はロシアが侵略戦争を仕掛けている最中。トルストイが見たら何と言うでしょう、本当に!

12月6日 追記
肩脱ぎ姿はあまり日本以外では見かけません。欧米の時代劇でも記憶にないので、当時のロシアで本当に行われていたのか気になってロシア人が作った映画「戦争と平和」をチェックしてみました。やはり、あります、あります!


颯爽とした軍服姿。


後ろ姿を発見。外した肩に紐が通っています。服のずり落ち防止ですね。
肩を外したカッコイイ姿形を維持するための工夫ですね。


軍人では他に突撃する騎馬隊全員が肩脱ぎしている場面もありました。


動きが速くてボケましたが、肩脱ぎの騎馬姿で剣を振りかざして突撃しています。
世界史の教科書に載っているアウステルリッツの戦いのシーンから。
カッコイイ、威勢を張る、相手を威圧するといった場面にふさわしいファッションだったと思われます。


ロシア風の軍服には大袈裟な肩章がないので、このような重ね着ファッションが可能だと分かりますね。刺繍や毛皮の縁取りで豪華です。

こちらは平服ですが、コートを肩脱ぎしています。恋人を誘って駆け落ちしようとする友人を煽り立てている男性です。威勢よく景気付けしているわけです。


この映画は1967年に当時のソ連が国家事業として制作したものです。時代考証は完璧だったことでしょう。戦闘シーンや雪原を退却していくナポレオン軍が凍えるシーンなど大変見応えがあります。コンピューター技術がまったくない時代の映画ですから、画面の隅ずみまで本物だけで構成されているそうです。
日本以外の肩脱ぎ姿は貴重なので調べてみた甲斐がありました。


着物あれこれ | 06:39 PM | comments (x) | trackback (x)
東京手描き友禅のぼかし屋は、比較的抑え目の色調が多いのですが、思いきり華やか色で染めた帯です。



ご覧の通りモチーフはバラの花束


通常はピンクにも茶色や黒を加えて色をくすませるのですが、ほぼピンクはピンク、オレンジはオレンジ、ほとんど暗色を加えずに色挿ししました。




 色挿しが済んでまだ糸目糊がある状態


 糸目糊を落として出来上がり
まだ試行段階ですが、今後も花束や花園をイメージした模様を発掘したいと考えております。

ベルばら風と言えば、当然「ベルサイユのばら 池田理代子作」往年の大ヒット漫画の影響を受けたもの。
ぼかし屋も大ファンでした。まだ夢見る少女でしたから(;’∀’)
強い影響を受け、高校時代の世界史授業でフランス革命だけは「もう知ってる!」状態だったものです。

今月、六本木で開催中の「ベルサイユのばら展」に行ってきました。


写真は展覧会のホームページから。
https://verbaraten.com/

一番右はファンなら忘れられない場面。オスカルが衛兵隊を率いて「バスチーユへ!!」と号令するシーン。
多くの原画が展示されていて、繊細なペンで描いた線の美しかったこと!
インクを含ませるペンは先端が割れていて、力の入れ方でペン先が広がったり狭まったりすることで、線に表情が出ます。
その力の入れ加減が実にリアルに見る者に迫ってくる原画でした。オスカルの金髪の輝きを表現する線、スッスッスと描いてある線、近くで見るとすべて手作業。線が生きていました。人物はもちろん服の模様や背景まで、ほとんど手作業の原画ですから綺麗でキレイで。
近々と見られて感激でした。
今の漫画家の方はタブレットの画像処理で描くそうですが、ペンでの手描きにこだわって描く作家もいらっしゃるとか。分かる気がします。

東京は11/20まで。11/30から大阪で開かれるそうです。
ベルサイユのばら展と検索するとすぐ情報にアクセスできますよ。
ぼかし屋の作品紹介 | 11:15 AM | comments (x) | trackback (x)
東京手描き友禅の職人組合、東京都工芸染色協同組合のお仲間にお誘いいただき展示に参加予定です。




ぼかし屋は絵羽1点ですが、皆さん染め帯を中心に小物も展示されます。
新宿にご用の節はお立ち寄りいただければ幸いです。
<(_ _)>


お知らせ | 11:11 PM | comments (x) | trackback (x)
手描き友禅のお話ではないのですが、今回は陶芸家、板谷波山の紹介です。
失礼ながら最近までまったく存じ上げない作家でした。
NHK日曜美術館のアートシーンで彼の展覧会が紹介され、初めて見る美しい色合いにビックリしたのでした。



この夏、東京の出光美術館で開かれた展示には行けませんでしたが、ご縁あって九月、京都の泉屋博古館で作品を観ることができました。
これほどの作家なのに知名度が高いとは言えず…。ぜひ皆さんに紹介したいと思います。
(写真は図録とアートシーンから)


板谷波山(1872年~1963年)茨城県下館生まれ。
明治5年から昭和38年に91歳で亡くなる直前まで作陶を続けた方だそうです。

写真の作業は形を作ってまだ焼いていない花瓶に紋様を彫り起こしているところ。左ページが彫り上げてこれから彩色する花瓶。


このように彫りあがったらいったん焼き、彩色をして焼く。色も微妙な濃淡をつけるために何度も彩色と焼成を繰り返し、最後に仕上げの釉薬を塗って焼き上げる。
これが波山の一番の特長だそうです。


唐花文の花瓶 
紋様を粘土地の花瓶に彫り付けることを肉薄彫と呼ぶそうです。


なるほど花弁の微妙な色の変化は、塗っては焼きの繰り返しから生まれるのでしょうね。


こちらは構図と色調の素晴らしさに頭が下がるばかりだった作品
平面に書いてもバランスが難しい竹笹を全面に描いています。幾何学的になることなく、笹は自由にノビノビを葉を伸ばしていてスキがありません。


葉の色調は一枚一枚違っていて前記の「何度も繰り返し…」の波山の手仕事ぶりが伝わります。全体の青磁色も上品で、近代工芸から国宝が指定されるなら、私が選んでよいならコレ!と思ったことでした。


同じ技法の紫陽花の花瓶。肉薄彫りが良く見えています。


紫陽花好きのぼかし屋としては!お手本、お手本です。

波山のもう一つの特長が柔らかいマットな仕上がりになる釉薬の工夫。葆光彩磁(ほこうさいじ)と呼ぶそうです。



このように模様をベール越しに見るような柔らかい色調になります。

こちらは花の文様部分は優しい彩色で、一方で地色の青はくっきり鮮やか。


写真では分かり難いのが惜しいほど
美しい緑がかった青でした。


本物を観る機会があって幸運でした。

10/23まで京都の泉屋博古館にて。
https://sen-oku.or.jp/program/2022_itayahazan/

茨城県筑西市の板谷波山記念館
https://www.itayahazan.jp/

   履歴の要約
1872年茨城県下館生まれ。
美術工芸に親しむ家庭環境から東京美術学校、美術教師として金沢に赴任するなど、行く先々で精力的に彫刻、絵画、工芸全般を吸収して自身の作風を追及し続けたとのこと。
31歳で東京田端に窯を開き本格的に作陶生活に入り、生活のために妥協した作品を売ることはせず、貧困に耐えて今日展示されるような作品群を作り上げた。
作品の評価を得て後半生は生活も安定。文化勲章を受章するなど社会的名誉も得てなお作陶中心の生活は変わることがなかった。


作陶の幅は広く、代表作以外にも茶碗、水差し、香炉なども。


渋い天目茶碗も見事でした。

華やかな優しい色合いの花瓶の数々、青磁白磁などなど。これほど幅広い技術をもつ陶芸家は他に思い当りません。彫刻から絵画までこなしたミケランジェロを思い出しました。


展覧会ルポ | 01:37 AM | comments (x) | trackback (x)
東京手描き友禅 ぼかし屋の大輪の菊


九月九日は「重陽の節句
長寿を願う菊の節句です。
子供の成長を願う桃の節句(三月三日)や菖蒲のお節句(五月五日)と比べると華やぎに欠けるせいか現在では知名度が低くて残念です。
平安の昔から菊に綿を載せ、花露を吸わせて菊の精を頂戴する儀式が行われたそうです。
一本立ちする大輪の菊は中国伝来で万葉の昔は日本に無かったとのこと。唐から届いた新しい花だったので、平安朝の人々はよけい有難味を感じたのかもしれないですね。

菊の花弁は美味ではないのにお酒にいれて飲んだり、お浸しにして花弁そのものを食べたりするのは、重陽のお祝いの流れかもしれないですね。何となく縁起がよさそうな気がしますから。


ぼかし屋の菊、花と花がそれぞれ渦を巻くように花びらを躍らせてみました。

大輪の菊の花はこんもり盛り上がっているだけでなく、花びらに渦巻きの流れがあるので、単に放射線状に花びらを配置するのではなく、花びらに演技させ色々な流れを作れます。描く者にとっては面白い材料です。
面白い大輪の菊の描き方といえば何といってもお手本はこちら。


葛飾北斎、北斎漫画より

色々描かれた中で中段右端の大輪の菊。
渦巻き菊のお手本ですね!(^^)!


北斎漫画は絵のお手本。実際の菊より渦を強調して「ほらこんな風にすると面白いよ」と北斎先生が言っておられるみたいですね。
江戸時代は菊の園芸がさかん。交配で様々な形、色の菊が発達したそうですよ。


こちらはガラス工芸、ルネ・ラリックの作品(1900年頃)


胸元や髪用の小さい飾りですが、枠の中でも菊がノビノビと花びらを伸ばしている自由な感じ、それに色彩、現実の菊の色合いに囚われない青磁色が美しいです。見習わなければ!!


季節の便り | 09:47 PM | comments (x) | trackback (x)
先月の京都祇園祭はコロナ中断を経て久しぶりということでNHKで宵山と巡行をたっぷり放送してくれました。
数ある山や鉾の飾りの中で染織好きとしては見逃せない2点を、画像をお借りして紹介します。


その①
宵山ではご神体や飾りを会所(山や鉾ごとの町内会所)飾りで公開されるそうです。


宵山の会所、提灯飾り

山鉾の一つ「芦刈山」の会所では3年前まで、このようにご神体が着る小袖が飾られていました。安土桃山時代以来の綾織りの小袖。



400年もの経年劣化が激しく、吊るして飾ると破損するくらいまで弱くなってしまったため、このたび復元、新調されたそうです。
復元にあたり困難だった事の一つが、こちら。




綾織り右部分、縦糸が赤から緑へ色が移っている部分。


色の境界はぼんやりと柔らかです。

番組中、染織史の専門家の方が「当時の織りの技術が稚拙だったため、赤と緑の二色に染め分けた縦糸の「染め分け位置」がずれてしまって色の境界がぼやけた」という主旨の説明をしていらっしゃいました。


縦糸の色がずれることを絣足(かすりあし)といって現代では失敗と見なされるそうです。
今は縦糸の色の変わり目はキッチリ横に揃える高い技術があるので、ずれた織りを再現するのは返って難しいと。
再現の技術には敬服しますが、でも!どうでしょうか。当時の技術が拙かったからという点は、ちょっと納得いかないのですが…



友禅でいうなら、白場残しのぼかし染めのような感じ。それが綾織りになっているのですから、実に美しい生地だと思います。

当時の織りの職人さんはわざとこのように柔らかい境界線にしたように見えませんか?
たとえ当時の作例に同種の技術が見当たらないとしても、この綾織りの生地は誰かが、このように表現したいという意思で織り上げたに違いない!とテレビを見ながら異議申し立てしたことでした。


復元された小袖がこちら。今年の会所飾りは復元小袖の初お披露目とのこと。



秀吉のいた絢爛豪華な桃山文化を復元した織りの小袖。見事な復元に敬服です。
絣足も極力再現なさったと解説されていました。




実際の巡行の映像。強い日差しでちょっと分かり難いですね。でもご神体は狩衣の下に復元の小袖をお召なはず。


その②
カマキリのことを蟷螂(とうろう)というそうです。
こちらは蟷螂山(とうろうやま)の会所飾り。


祇園祭ではたくさんの山や鉾が登場しますが、山の回りを飾るのがすべて京友禅なのは蟷螂山だけだそうです。
人間国宝、羽田登喜男さんが数年がかりで作り上げたと解説されていました。
鳥が得意の作風でいらっしゃるので、おしどり、ツル、カイツブリなどが実にカラフル。
巡行の映像でも鮮やかでした。




後ろ姿を「見送り」と呼ぶそうです。
オシドリの色合いが華やかですね!


根っからの関東モノのぼかし屋は祇園祭にご縁がないのですが、いつか本物拝見を!
でも桃山時代の小袖はもう保存第一で会所飾りにも出てこないそうです。それでも復元小袖を見に、芦刈山の会所へ、オール手描き友禅の飾りを見に蟷螂山の会所へ、行ってみたいものです。
飾り物を見たいなら巡行前の宵山に歩き回るべし、とテレビで学んだのでした。


着物あれこれ | 05:13 PM | comments (x) | trackback (x)
都心のまん真ん中、地下鉄東西線の竹橋駅3a出口すぐの商社、丸紅ビルの3階に美術ギャラリーがあります。コレクションは主に江戸時代の貴重な着物たち。


竹橋駅ホームの案内。左端上にボッティチェリ。すごい所蔵品ですね!

この丸紅ギャラリーで6月から所蔵着物を紹介する展示が行われています。行ってきました。
ビジネス街の商社ビルなので一瞬入っていいのかな?という感じでしたが、3階へ直通エレベーターがあり助かりました(^^;)
1858年創業の丸紅は大阪京都で呉服を商っておられたとか。技術的に大変優れた着物のコレクションでした。
お勧めのいの一番はこちら。(写真は図録より)


染分 綸子地 松皮菱 梅樹模様 振袖
意味は→ 綸子の生地に松皮菱の形を赤青を染め分け、白地には梅の木を配した模様の振袖。


解説によれば赤は紅、青は藍。大きな松皮菱の中は鹿の子絞りです。
本物を見ますと鹿の子絞り独特の角(布を摘まんで糸で絞った跡)が今もツンツンしていました。


絞り染めでこのように広く白地(紅や藍の染料に漬からない部分)を残せるというのは大変な技術です。梅の花だけは色を入れた絞りで枝や蕾は刺繍です。
江戸時代1700年代前期の作だそうです。贅沢な一品ですね。


 濃緑 縮緬地 梅樹滝模様 小袖
江戸時代1700年代前期の作。1600年代終わり頃に完成したといわれている友禅染の技術。その初期のお手本のような小袖ですね。線描きした糊で防染し花びらを濃淡染め分けしています。

梅のシルエットや扇の形、滝も糊防染。防染していないところに刷毛で濃い緑を引き染めしています。


 納戸 縮緬地 秋草蝶模様 振袖

こちらは同じ1700年代でも後期の作。とても粋な柄行きです。
線描きした糊(糸目糊)で白い線が紺色に浮き上がっています。


線で秋草の流れを作っています。白抜きのままの花も多く、くどくど色を付けない大人っぽい振袖ですね。

もう一つ白抜きを多用した作がこちら。


 鼠縮緬地石橋模様振袖
こちらの色の部分は刺繍ですが、牡丹のほとんど、流水すべてが糊防染での白地残し(白抜き)で表現しています。


最後はこちら。

 藤鼠縮緬地流水草木風景模様振袖
解説に1937年京友禅の名工、中川華邨の作とあります。

今の京友禅は艶やかな色合いを塗り切る(舞妓さんの着物のように)ことが多いようですが、戦前のこの作品は中間色に濃淡ぼかしを多用した糸目友禅です。素晴らしい!!




こんな美しい糸目の松の表現は見た事がありませんでした。お手本にしなければ。

この展示は8月1日まで。駅近でなおかつ!大手町の大規模ワクチン接種会場のすぐ近くです。

展覧会ルポ | 05:18 PM | comments (x) | trackback (x)

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