東京友禅は、ぼかし屋友禅へ

 

東京手描友禅は「粋に染める」を旨とするので、京友禅ほどには華やかな金銀や刺繍はしないのですが、柄行きによっては金銀を多く使うこともあります。
今日は染め上がっている生地に銀色で柄付けしました。



かつて銀色は着物にはあまり使われませんでした。時間と共に黒くなってしまうからです。光琳の紅白梅図屏風の「真ん中の黒い水の流れは本来銀色に輝いていた」というのは有名な例です。
今はアクリル系の合成樹脂からよい顔料が作られているので、模様や色合いに銀色がふさわしければ変色を心配せずに銀色を使うことができます。
材料屋さんに行くと金色から銀色、その中間色も色々揃っています。自分の好みの色調、濃度に調整して使います。


既製の筆、刷毛といっしょに変な筆が写っています。
古い染料筆の傷んだ穂先を切り落としたものです。銀をぼかす時に愛用しています。筆自体が工芸品なので最後の最後まで使い、基本的に捨てることはありません

ここに銀を入れようという所に青花ペンでアタリをつけます。



通常、下絵は青花を筆描きしますが、このような場合は手芸用のペンも便利です。


銀色を描き入れたところ。菊の花びらが増えて華やかに。
この菊は、最初から花びらの一部を銀で描くようにデザインしてあります。


このような金銀での仕上げ作業は、染めという大仕事を終えた後にするので、何となく気持ちが軽く、楽しめる工程なのです。


東京手描友禅の道具・作業 | 10:13 PM | comments (x) | trackback (x)

前回ブログの続編、追加版です。

奈良時代のメモ帳からスタートしたとはいえ、形が末広がりであったことから扇は実用兼、縁起物としても喜ばれ、安土桃山期には絵師たちが扇絵に腕を振るうようになります。長谷川等伯や狩野派も扇を製造販売していたという説もあるそうです。
そして江戸初期に現れた琳派の祖、俵屋宗達。「俵屋」ブランドの扇は優れた扇絵で大人気だったそうです。


      画像は日本美の昇華、朝日新聞社より

2点とも和歌扇面。上が椿下絵、下は橋に波下絵
本阿弥光悦と俵屋宗達のコラボ作です。かの有名な鶴下絵和歌巻と同じ雰囲気で、
扇だった時の名残り放射線状の筋となって残っています。
扇は長期保存に向かないので、扇骨から絵を外して平に戻し、このように保管したのです。
ただ保管するより楽しめるように工夫されたのが、扇貼り交ぜ屏風


醍醐寺所蔵、醍醐寺展図録より

解説によれば、宗達の死後に製作されたと考えられていて、扇絵をただ列に並べるのではなく、散らし風にしておしゃれな配置となっています。扇の向きを変えたり、柄の部分を描いたり描かなかったりして変化をつけています。


扇は水に流したり、畳の上で投げたりして遊ぶものでもあったので、「扇を散らした図」は発想しやすい構図だったのかもしれないと思います。
宗達は江戸初期の画家です。今はよくある○○散らし、例えば花散らし、貝散らし、といった構図の初期の作品にあたると思います。

一方こちらは、始めから屏風絵にするために宗達が描いた扇散らし図。


フリーア美術館所蔵(画像は同館のホームページのダウンロードサイトより)

扇絵を貼ったのではなく、広い画面に扇を散らせた図柄を、宗達が構成して描いたものです。閉じた扇を混ぜたり、重ねたり。文字通り扇を散らせた構図です。

画像は屏風を真っすぐにして写した状態ですが、本来の屏風として飾られた写真があります。平面なのとは迫力が違いますよ。


      NHK BS放送「江戸あばんぎゃるど」の映像より

屏風全体で見た時の色のバランスも考えてあり、色調がすばらしいです、と申し上げるのもおこがましいですが。
「江戸あばんぎゃるど」は明治以降に米国へ流出した日本美術品、主に屏風などの絵画と、その流出経路、現在の保管状況のドキュメントで、今年1月に放送されました。
所蔵しているフリーア美術館チャールズ・ラング・フリーアの明治期の収集品を基に設立されました。
彼は「宗達の再発見者」とされていて、つまり明治期の日本人は宗達を評価することがなかった、そうです(T_T)
米国に渡ったから大切にされてきた面もあり…
遺言により所蔵品は門外不出。ワシントンDCの中心地にあるそうですが、観に行くには遠すぎます(T_T) かの「松島図屏風」もフリーアにあるのですよ~

〆のご紹介は酒井抱一の扇そのもの。


     武蔵野図扇面(上野 国立博物館の展示より)

解説文によれば、秋の武蔵野に昇る、または沈む月を描いているそうです。
宗達から約100年、これぞ扇絵!と言わんばかりの成熟した作品ですね。
私は昇る月、と見ましたが?


3/3 追記

ぼかし屋のお雛様、木目込みの親王飾りです。
後ろの屏風にご注目を。


酒井抱一の屏風のミニチュアです。
だいぶ以前に琳派の展覧会のミュージアムショップで買いました。
もともとお雛様の後ろは衝立だけでしたが、屏風が加わってオリジナル感が出ました。


展覧会ルポ | 02:00 PM | comments (x) | trackback (x)
サントリー美術館で開かれた「扇の国」展を見てきました。



友禅染や刺繍の着物の模様としてお馴染みのモチーフのひとつである扇。
扇そのものを描いたり、扇の形の中に花鳥を描いたり。

紅水浅葱段扇夕顔模様唐織 19世紀

と、ここまでは想像の範囲内でしたが、
これまでまったく知らなかった事も紹介されていました。

檜扇 春日行幸次第(かすがぎょうこうしだい)鎌倉時代(図録より)

この扇に書かれているのは儀式の式次第や要点のメモ
扇のオオモトは「メモ帳」だったそうなのです。

紙がない、あるいは極めて貴重だった時代、代わりに木簡が使われていたのをご存じでしょうか。薄く細く切り出した木の上下に穴を開け、紐を通して巻物状につないだものです。そこに文章を書いて記録に使っていたわけです。

昔むかし、奈良時代~~お役人同士で、こんな会話があったかも。

「おエライさんの来る儀式の運営責任者になってしまった!間違えたらどうしよう」
「手順をメモして途中でソッと見たいねぇ」
「でも儀式の最中にバサッと木簡を開いたら目立っちゃうよ」
「そうだ!木簡の下の方は開かないように紐を〆ておけばいい。
            上の方にだけ式次第をメモしておくんだよ!」
「なるほど!そうすれば、困った時に片手でちょっとだけ開いて、チラッと読めるよ」
「そうだ、そうだ!」
   ぼかし屋想像

扇の発祥を、そうと知った目で見ると、
確かに檜扇は下側の開かない木簡ですよ!^-^;

解説によれば、次第とは「先…次…次…」と儀式の進行を箇条書きで記したもので、
とも呼ばれたそうです。

内裏上棟次第 15世紀中頃(図録より)
いずれも行幸や上棟式のような儀式を、お役人たちが滞りなく行うのに役に立っていたのですね。
藤原道長と同時代を生きた藤原実資の日記にこんな記述があるとか…

「儀式でヘマをした人がいて面白いから扇に書き留めておいたら、家族が知らずにヨソの人にその扇を渡してしまったので、バツが悪いことになってしまった」

手近な日記でもあったのですね。この実資さんが扇メモも駆使して取材したことを文書として書き留めた日記「小右記」は、道長の時代を知るための重要な資料だそうですよ。
解説によれば、男性が衣冠束帯で儀式に臨む時に手に持つ(しゃく)も式次第などのカンニングペーパーだったことが確認されているそうです。ヘラ状の部分の内側に挨拶文なども書いておいたことでしょう。

扇は平安時代には重要な装身具ともなり、美しい絵を描いた檜扇、お雛様が持っているような、が発達。


紙の普及もあって室町時代以降、軽くて薄く折りたためる紙扇が主役となり現代に至っております。
檜より紙の方が精密な絵を描くことができるので、扇は絵を描く創作の場ともなり、扇を消耗品として終わらせるのではなく、優れた扇絵を保存することも工夫されました。


  扇面貼交屏風 16~17世紀 (画像はNHK日曜美術館アートシーンから)



狩野元信らの印のある扇画が、保存のために扇骨からはずされて屏風に貼られたものだそうです。たしかにモトは扇だったことがよく分かります。


 図録から

ここに貼られた扇絵は 素人の私が見ても素晴らしい画力、技術で、高度なものばかりでした。買い集めた人も、貼って保存した人も見る目がありました<(_ _)>
こういう屏風が呼び水となって、意匠として扇の形を散らせた中に花鳥や源氏絵を描いた屏風や襖が制作されるようになったわけです。


  扇面流図(名古屋城の襖絵)江戸初期

当時扇を水に流し、浮き沈みして流れゆく扇を愛でる遊びがあったそうです。この屏風はその情景を描いたもので、それぞれの扇の中に意匠を凝らした扇画が描かれています。


 拡大図

そして扇の形は着物の模様へとススム、だったのです。。

嬉しいことに我が鈴木其一の扇も展示されていました。

朝顔図 鈴木其一
あっさりと白い紙に描かれた朝顔、写実的でした。

今回のように古い時代からの展示をみてくると、其一のように江戸時代も中期~後半の美術品はさすがに新しく保存状態もいいです。

こんな展示も。日本で扇型を言えば長崎の出島
シーボルトが製作した出島図の復刻版が展示されていました。

東京のオランダ大使館は出島に因み、上空から見ると扇の形の建物だそうです。埋め立てられた出島は見る影も無くなっていましたが、今は少しずつ復元中です。

最後にBS日テレの番組「小さな村の物語イタリア」の一コマをご紹介。
                (ゴージオ ダッローシャ村 1/19)

ダイニングキッチンで食事をするご夫婦。キッチンの壁紙は扇画です。
それらしく言うなら「扇面散らし図御台所壁画」でしょうか(^^♪


展覧会ルポ | 02:20 PM | comments (x) | trackback (x)
ぼかし屋には古いシャコバサボテンの鉢がありまして
毎年同じように咲いてくれます。
キャンディーのようにツヤのよい濃い紅色の花で。

それが!
驚いたことに今年は紅白に咲いたのです。



株分けもせず、継ぎ足しもしていませんが?

理由が分かる方、いらっしゃいましたら、当ブログのお問合せ票からご連絡くださいませんか?

何故が分かりませんが、おめでたいですね!!!(^^)!

目出度さを皆様とご一緒に。
よいお年をお迎えください。
季節の便り | 01:45 PM | comments (x) | trackback (x)
着物の染めや柄行きを話題にする時使う言葉の中に
片身替わり(かたみがわり)という言葉があります。
片身とは見頃の右半分、左半分のこと。着物の場合、着た時に衿や胸の色合いが左右で違うことを片身替わりと呼ぶのです。
左右の違いでおしゃれの効果を上げて楽しむための意匠です。
たとえば、

この蘭の訪問着は、全体にグレーとピンクの地色で染め分け、着ると左右の胸と衿で2色が交差するように染められています。


着用するとグレーの方が多く表に出て、ピンク地と華やかな蘭を落ち着かせます。
このように一方を強く華やかに、もう一方は抑え役で片身替わりに合わせることが多いようです。
この片身替わりの意匠は室町時代後半から増えたとか。それ以前にも前例があり、重ね着した袿(うちき)を一方の肩だけ外して下の小袖をわざと見せる着方があったのです。
そういうファッションの歴史の中に片身替わりもあるのですね。


こちらは戦国大名、北条氏康の肖像で、小田原の早雲寺所蔵の原本を昭和初期に模写したもの。狩衣の中の小袖の衿をご覧ください。


片や緑の格子、反対は焦げ茶の無地です。正面から見ると両方が目に入り、両衿が緑の格子であるよりもはるかにお洒落に見えたことでしょう。

この時代以降、江戸初期まで着物は男女問わずに一番華やかな時代に入ります。


こちらはNHK大河ドラマ、伊達政宗の晩年、江戸初期に入ってからの場面です。
俳優さんの衣裳は金茶と濃い海老茶の片身替りの羽織。この場合、後ろから見ると背中心を境にくっきり色が替わる強い対比になっているはずです。再放送で見た時に とても素敵でこの時代をよく写しているので保存していた画像です。
伊達政宗はお洒落の代名詞でもありますね。

片身替わりは着物の特許ではなく、身の回りの和風の物には沢山みられます。

こちらは古い陶器(上野国立博物館の常設展示より)

片身替 釉 水差し(江戸時代)
わび茶の道具なので地味ですが片身替わりのおかげでオシャレ。


織部 洲浜型 手鉢(1600年頃)
洲浜の形の鉢に手提げをつけたもの。


鉢の半分だけにどっぷりと緑釉をかけてあるのです。

実はごく最近購入した小樽のガラス食器も片身替わり!(^^)!


右半分がブルー、左半分はピンクで、とっても身近な片身替わりです。

左右まったく違うけれど、全体として見た時にバランスよい色合い、模様の量が目に入る
という片身替わりは日本の独自性が高い意匠だと思っています。西洋やアラビアなどの文化では左右対称が基本。
左右の衿が違う色、お皿の半分が違う色、面白いですね。

仁阿弥道八の桜楓文鉢(江戸時代)


地色の違いはありませんが、模様が左右でまったく対照的。
春の桜に秋の楓。これも片身替わり応用編ですね。
友禅染でもぜひ真似して、まねびたい柄行きです。
桜と楓、左右をどちらに当てるとよいでしょうか。想像すると楽しいです。着物の場合、上前となる左胸側に来る色、模様が主人公になります。

東京手描き友禅 模様のお話 | 03:05 PM | comments (x) | trackback (x)

少し前の朝日新聞記事です。



ニューヨークのメトロポリタン美術館で所蔵品のうち著作権の切れた美術品などを公共の財産、パブリックドメインとして誰でもいつでも見られるようにネットで公開しているというものです。
フェルメールやゴッホなどの作品のデジタル映像37万点以上を常時ホームページ上で公開していて、見せてくれる公開だけでなく、ダウンロードして印刷も自由に出来るのです。さっそく試してみました。

美術館名 Metropolitan Museum of Art ですぐにホームページにヒットします。
※(ホームページの図柄はどんどん更新されるようです)


右の隅にあるsearchをクリックしますと、
探したい情報を入力するボックスが出てきます。



鈴木其一」を探してみます。
一覧が出てきました。


一昨年東京に来た「朝顔」も見えますね。


芥子図」画像を選んで印刷してみました。


フェルメール」も探してみました。


新聞記事に取り上げられていた「水差しを持つ女」も出てきました。

なかなかの質で印刷出来ました。


画家の名前を横文字で入力する手間はあるものの絵が好きな人には朗報です。
大きく印刷してフレームに入れたり、壁に貼ったり、色々楽しめそう!(^^)!
ぜひお試しください。

ちなみに記事では公共財産に対する日本の美術館の対応の遅れも指摘されています。
東京国立博物館は所蔵品について、撮影は自由ですが、ネット公開はしていません
自由に撮影した写真が着物作りにどれほど役立つかを思えば、気軽に行ける距離に住んでいることを幸運と思いますが、本当は先人たちの遺してくれた財産による恩恵は、居住地に関わらず受けられるべきですよね。せっかくネットの時代なのですから。
ニューヨークで出来て東京に出来ないはずはありませんよね!


お知らせ | 11:04 PM | comments (x) | trackback (x)
季節のお便りをすべくハロウィンらしく並べてみました。



 中央の水彩画は自筆。実はしばらく前から月に一度水彩画を習っております。
手描き友禅の模様は、花々の写生をそのまま使えば綺麗な着物になる、わけではありません。あくまでも模様として形を整え配置も考える必要があります。
 それを言い訳にしてきたか、、見たままを描く練習が不足している気がして、
それに着物の模様向けの物ばかり描いている反省もあり、ここはひとつ絵の先生に与えられた画題を描く練習をしようと思い立ったわけです。
 この画題はカラスウリ。カサカサに渇いた葉っぱとウリのつるつるした鮮やかさがきれいな画題でした。ぼかし屋としてはどうしても背景はぼかし
 後ろに吊るした本物のカラスウリは先生が下さいました。
ご自身で採った江戸川区地場物だそうです。
こうしてみると染め帯の模様としてカラスウリも面白いかもしれませんね。
秋だけの帯になりますが。
カラスウリ柄ではありませんが、この色調と雰囲気に合う染め帯を写しました。


秋の色をテーマに錆朱に緑、茶を合わせてぼかし。

切箔模様
を散らした名古屋帯です。


追記:絵の前に写っているキノコは粘土細工です。
知人の作品で本物そっくりで面白く、いつも食器棚の中にいます。




季節の便り | 12:05 AM | comments (x) | trackback (x)
このブログの名前は「着物ブログ」
東京手描き友禅の作業や作品紹介と合わせ、和服に関わる事を幅広くご紹介しています。
が、今日は着物のそもそも、事始めのお話。
実はNHKの番組の紹介です。

9月18日NHK BS放送の「人類誕生 未来編 第3集」より

何が驚いたといって!
これは縫い針縫い針保管用の筒型ケース


シベリア北極圏で約3万年前の遺跡から発掘されたもので、いずれも大型動物の骨から削り出し、磨いて作られているそうです。
縫い針を使えば毛皮を縫い合せて身体を隙間なく包む防寒着を作ることができます。



20万年ほど前にアフリカで生まれたホモサピエンスは、アラビア半島を経て4万年~3万年前頃には暖かい東南アジアまで広がり、南から日本列島にも到達したと分かっているそうです。
一方、北方寒冷地はサピエンスにとって不向きであったものの、中国大陸やシベリアにはマンモスやバイソンなど食料になる大型動物が多く、

しかも雪の上は足跡から動物を追いやすく狩猟に適していたので ホモサピエンスは防寒着を得ることで、食を求めて寒冷地へ、さらに極寒地に進出し、北側からも日本列島に到達したのだとか。なるほど…

最初は毛皮に穴を開けて頭を通すマント状だったことでしょう。
それではスース―するので紐(動植物の筋や根?)で胴を縛ったことでしょう。
さらに寒くなると毛皮で立体的に身体を包めたらいいなと思った誰かがいて、毛皮と毛皮を糸状の物で剥ぎ合せようと工夫した誰かがいて、
細い棒で紐や糸を通すことを始めた誰かがいて、そして
鋭い針を作り出した誰かがいたのですよね。
長い長い年月をかけて3万年前には今の毛皮コートと基本的に同じ機能の防寒着が作られていたなんて。


映像の針をよく見ると糸孔に大中小があるのです。
こういう針で縫えばこんな立派なコートを作れたはず、という映像。


着物、着る物、その一、でした!(^^)!
植物繊維や動物の毛を使って布が作られたのは、ずっと後、というより最近の事なのですよね、この時間軸で考えると。


参考→ 2018年3/18の当ブログ「サウジアラビア展」にて 紀元前後3世紀の布片を紹介しています。羊毛や麻で織り柄があります。土器石器とちがい大地に還りやすいので、最初の布が作られた時期は、専門家でも分からないことかと思います。

着物あれこれ | 06:42 PM | comments (x) | trackback (x)
麻や綿の生地でつくられた単衣(ひとえ、裏地のない着物)を帷子(かたびら)と言います。
現在友禅の技法で染色する場合、生地はほぼ絹地です。しかし江戸時代、絹は高価であり身分制上の制限もあり、なかなか着られるものではなかったので、今に伝わる友禅染の着物にも麻や綿に染めたものがよく見られます。
糊防染する友禅の初歩のものは庶民の着物からスタートしたのです。
暑い日々が続くからか、上野の国立博物館で友禅染の帷子を展示していました。


(画像が横向き表示になる場合はご容赦下さい)

江戸時代からこれまで保存されてきたのは「豪華」だったり「優れた染色」だったから。
この作品はその両方。しかも解説によれば清水の舞台の模様は当時流行だったそうです。


江戸の後期になると庶民でも物見遊山を楽しめるようになり、嵐山と並び清水は人気スポットだったそうです。今もあまり変わりませんね(*^^)

今風に言うなら無線友禅


竹笹を麻にスッキリと墨描きしています。


帷子イコール湯帷子(ゆかた)になっている現代の目で見ると、この作はゆかたそのものみ見えます。
でも解説によればこの帷子は元々は振袖だったものを後に袖を切って留袖に仕立て直したものだそうです。立派な外出着(訪問着)だったわけです。


こちらも今なら絹の単衣で誂えるべきところ。商家や農家で余裕ある階層がこのように豪華な帷子を着たのでしょう。それに八代将軍吉宗は経費節減のため絹物の直用を武士階級にも制限したそうですから、麻の友禅の需要は想像以上だったのかもしれません…


糸目糊がきれいに浮いている作品です。

現代の伝統工芸としての友禅染は手描き友禅型友禅に分かれますが、江戸期の友禅はほぼ手描き。型紙の発達を待って型友禅が盛んになっていきます。筒に入れた糊を手で挿す手描き友禅の方が原始的でした。江戸初期の素朴に太~い糸目糊の友禅を見たことがあります。



糸目友禅のお手本のような麻の帷子。糸目も細く、笠の中は※糊疋田です。季節先取りの紅葉。ぼかしも細かく刺繍もあしらわれている豪華版です。


どんなお嬢さんが、どんな髪型でどんな簪、小物を合わせて着ていたのでしょうか。タイムスリップして見てみたいですね。

極小の細かい絞りをぎっしり詰めた絞り染めを鹿の子絞り、疋田(ひった)絞りといいます。人気のある模様だったので友禅模様にそれを取り入れて糸目の糊を使って絞りのように見せることを糊疋田(のりびった)と呼びます。(なぜか糊鹿の子とは呼びません)


今回は帷子に合わせて江戸期のすばらしい団扇が展示されていました。


江戸後期から明治期までの作で、どれも大変凝った作りでした。


バラ模様 花の部分だけ和紙が貼られています。涼しそう!
でもよく考えると…風を起こす効果は低い?


流水もみじ模様 こんな狭い団扇の中に大胆な水しぶきが!


月模様 花の向こう、主役の月の部分は和紙を貼らずに余白の効果のような感じに。


玩具模様 お子様サイズでも手抜きのない作り。絵師の名前と落款があります。

八月も終わりますが、まだまだ暑そうですね。(^^;)


着物あれこれ | 11:00 PM | comments (x) | trackback (x)
東京手描き友禅を誂える時は色々なご希望を承ります。日本古来の文様でないことも多いので、機会があれば他の分野の美術品も見て勉強させてもらっています。
今回はハイジュエリーの老舗ショーメの展覧会にいってきました。



 麦の穂をデザインした有名なティアラがチラシの表を飾っております。


 チラシ裏側


 右端の変わった形のネックレスはクリスタルで作られた白い蛸にダイヤがあしらわれたもの。モチーフは植物が一番多いのですが、昆虫、鳥も多くデザインの創意を凝らしてきた歴史を感じました。
中央下に大きく写るダイヤのネックレスも麦の穂のデザイン。


精密なデザイン画も見られたのが展覧会のよいところ。お店では見られませんから。
いえいえ、お店には入ることも出来ません~(^^;)
銀座通りに面したショーウインドウくらいは眺めたいものですが、ほら!入口に威厳のある男性が立っておられますよね、気になってしまうので、ショーウインドウだけとはいえ足を止めるか止めないか位の速度でサッと見るだけ、なのですよ~~(^^;)

 会場内に撮影コーナーがありまして、展示品のいくつかが画像化されていて写すことができました。

髪飾り。日本の簪のようですね。


ブローチ。
鳥の形で尾羽の部分に本当の羽根を指すことができます。
(チラシに小さく写っていますよ)
このように複数の用途のある作もかなり見られました。
ベルトと首飾り、ヘアバンドなど。

パンジーのティアラ


 展示の実物は花びらのカーブが柔らかく、
硬いダイアで作られていることを忘れそうでした。

 ショーメはナポレオン時代以来240年もの歴史があるそうです。
ナポレオンがローマ法王に贈呈したという宝冠の展示もありました。


        写真は図録から
 豪華ですが、解説によれば長い歴史のなかで宝石が外されたりナポレオンを示す模様が削られたり色々あったそうです。
今のフランシスコ法王様は質素な方だそうですが、儀式によってはこのような宝冠をおつけになることもあるのでしょうか。

この展覧会は9/17まで。丸の内の三菱一号館美術館にて。
展覧会ルポ | 12:09 AM | comments (x) | trackback (x)

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