東京友禅は、ぼかし屋友禅へ

 
今回は東京手描友禅の涼しい雰囲気の染め帯を紹介します。


雨中の紫陽花の表現です。
お太鼓と前の柄が見えるように、染め上がりを椅子にかけてみました。


    お太鼓の柄

    前の柄

    染め風景   
 下絵


 色挿し




緑色のラインナップ。色数多く、濃淡もつけることでのっぺりしがちな紫陽花の葉を面白く。手前は色試し布です。

色挿しが進むと葉に変化が出て、涼し気ながら豪華な感じに。手描き友禅ですから!



色挿しが済んだところ。
糊でバリバリした生地は伸子で引っ張られて作業した後ですから変形しています。


まだ糸目糊が残っています。


蒸し、水もと、湯のしが済んで、当初の綺麗な生地にもどった出来上がり。


糸目糊がとれ、白い糸のような線となって残っています。糸目友禅とも呼ばれる訳です。


雨を思わせる地紋の生地を使ったので、地紋の凹凸が光を反射しています。季節感たっぷり。お洒落用の帯となりました。

街中で紫陽花を見かけます。梅雨本番ですね。


最後にぼかし屋ベランダの額アジサイの鉢の写真を。

ぼかし屋の作品紹介 | 09:42 AM | comments (x) | trackback (x)
振袖用の白生地を裁って仮絵羽仕立ての準備をしました。
東京手描き友禅の誂え染めでは、まず白生地をサイズに合わせて裁ち切り、仮の仕立てをしてから下絵を描くのです。


今回使うのはこちらの生地。
欄や菊のおめでたい地紋です。



反物をまず巻きを解いて長さを確認し、難がないか見ておきます。
巻棒から解くと大きな絹の山に。


真っ白の輝く美しさで、毎度のことながら「私なんかが手を加えていいのかしら」と思ってしまいます。変身の甲斐ある仕上げにしますからね、と言いながら採寸


印打ち。
裁ち切っていきます。勇気がいります。


途中何度も長さを確かめつつ、切り終わったら着物の形に並べて最終確認。
仮絵羽仕立てへ進みます。


6/14追記  
仮絵羽仕立てが出来上がって戻ってきました。地紋がきれいです!


  花嫁衣裳のようですね(*^^)

東京手描友禅の道具・作業 | 04:07 PM | comments (x) | trackback (x)
五月連休に岐阜県を経て富山、福井の境あたり白山信仰の地をドライブしました。
目的地は福井県勝山市にある平泉寺白山神社
古来この神社が白山へ修行登山する入口にもなっているそうです。



 1000年の歴史を持つ天台宗寺院である平泉寺(へいせんじ)
白山信仰に基づく白山神社があるお山で、今は神社として残っています。



きわめて古い神社としては鹿島神宮を訪ねたことがありますが、鹿島に劣らず古いことは巨木が並ぶ様子や擦り減り苔むした参道から窺えました。

室町時代には数千の僧兵を擁する石垣作りの大要塞だったそうです。
一向一揆の攻撃を受けて全山焼失、その後、再興に向かいますが、明治の廃仏毀釈で廃寺となり仏教関連の建築はみな破壊されたそうです。今残るのは境内各所の石垣と江戸期に再建された白山神社本殿などわずかなお宮さんだけ。


でも室町期の本殿がいかに大きかったか、木々の根元をつらぬく礎石が示しています。
素人にもハッキリわかりました。


僧坊が立ち並んでいた場所も石垣と石畳だけが残っていて当時のままだそうです。
中世へタイムスリップ感がありました。



この流れも僧坊跡一帯の流れ。石垣の下の側溝です。


スギナなど春の野草に覆われていますが、しっかりした石造りの溝に豊かな水が流れていました。

雪深い土地で春が一気に来るから?
名残りの椿がまだ咲いているのに、葉に新芽が吹いているなんて初めて見ました。


名古屋を出て白山を目指し九頭竜ダムにそって岐阜県を北上したのですが、どんどん気温が下がり季節を遡っている感じがしました。
菜の花と八重桜と藤の花を同時に見ましたよ!


 九頭竜ダム湖と菜の花


 新緑の淡い緑から常緑樹の濃い緑まで、
まるで緑色の色見本のようでした。

は地勢にあっているのか本当に多かったです。山といわず藪といわず。

        あちこちで咲いていた八重桜。

一番印象的だったのはダム本体の上の桜。背景遠くに白山山頂がのぞいています。


二日間のドライブ中驚いたのは九頭竜、白山一帯の水がきれいなこと。


こちらは勝山市内で泊まった宿のそばの流れ。澄み切った急流。


帰路、郡上市内の長良川で、盛大な鯉のぼり。五月五日当日でした。

名古屋方面へ戻る途中、水で有名な郡上八幡に寄ってみました。


 水が澄み切っているって、こんなに豊かな風景を作るものなのですね。
利根川水系が東京湾に注ぐあたり(川は灰色)で暮らしているぼかし屋雑感。


季節の便り | 08:37 PM | comments (x) | trackback (x)
サントリー美術館ですばらしい器を見たので紹介いたします。
終わってしまった展覧会で恐縮ですが…

  「寛永の雅」サントリー美術館


 このパンフレットに写っている孔を開けた白い鉢。
会場に入るなりドキッとする存在感を放っていました。


 白釉 円孔 透鉢  野々村仁清

 展覧会のテーマである江戸寛永期の美術に沿う現代の前衛アーテイストの作品かと思いきや、野々村仁清の作品でした。
 鉢に穴をあしらう造作は江戸前期の乾山や道八にもあるようで「透かし鉢」と呼ぶそうです。でもそれらはあくまでも描いた絵を効果的に生かすための空間として孔を開けたもの。
ところがこの鉢はご覧の通りランダムにあけた孔そのものが主人公
 どうしてこれほどの創作を江戸前期という何百年も前に成し得たのでしょう。
オドロキです。



会場で見た時は、孔は片抜きではなく、竹ヘラ状の何かで手でくり抜いたように思われましたが、図録の解説では型抜きしているそうです。

 仁清と言えば思い浮かぶ作品は、派手な色絵や、色使いと幾何学的な面白さ


色絵 芥子文 茶壺      色絵 鱗波文 茶碗

または渋く


銹絵 富士山文 茶碗           白濁釉 象嵌 桜文茶碗 

 それから私が仁清を好きになったキッカケの作品

 色絵 武蔵野文 茶碗
  
といったところでしょうか。
このような作品を作っていた人が、どういうツナガリでこの白い鉢を「作ろう!」と思い至るのでしょうか。
現代のように溢れる映像や製品から刺激を受けることは出来ない、はるか昔に。

本日取り上げた仁清のうち茶碗と鉢はみな縁の部分は真円でなく不均等にズレています。上から見ても横から見ても。

特にこの白い透かし鉢は縁もシルエットも孔の開き方、配置もすべて不均衡
それで美しいのですから、天才はいるものだと思うばかりです。

 帰宅してから手持ちの図録を確認しましたら、2014年に出光美術館で開かれた
「仁清・乾山と京の工芸」展の展示作から仁清の透かし鉢を見つけました。


 白釉 菊花 七宝文 透彫 木瓜型鉢

 当時は友禅染の模様の参考としてしか仁清をみていなかったので、
色絵物以外はスルー。記憶に残っていませんでした。今回再認識です。


展覧会ルポ | 05:17 PM | comments (x) | trackback (x)
サウジアラビアとても古い織物を見る機会がありました。


※会期延長されています。5/13まで東京国立博物館の表慶館で開催中。

いずれも紀元前3世紀~後3世紀のもの。


羊毛で人物を織り出したもの。


亜麻で細かい幾何学模様を織り出したもの。


羊毛のチェック柄


一緒に掘り出された紡錘車や針、糸玉

糸を染めつけて、このように細かい技術で模様を織り出していたのですね、驚きました。
正倉院御物よりはるかに古い時代のものです。

 印象深かったのは、紀元前1世紀~8世紀のガラスの製品たち


何となく東洋っぽく親しみがわくのは…… おそらく形。
お鉢なのです。西洋風の皿やグラスではなく、深みのある様々な形の鉢型。



写真では陶磁器に見えてしまうかもしれませんが、みなガラスで透明感もありました。
和食器だと言っても通りそうです。


最後に驚くほど古い遺物を紹介


これは何でしょう?

100万年以上前の石器だそうです。石を削って鋭い角を作り、獲物をさばくのに使用したものだそうです。ゲンコツくらいの大きさ。
斧など石器の刃物にいたる前の道具で、アフリカで誕生した人類がアラビア半島を通ってユーラシア大陸へ拡散する過程の遺物とのこと。まだネアンデルタール人が共存していた時期ですよね!!


紀元前6000年位になると石の錐など鋭い石器が作られたそうです。

100万年前から6000年前へ……私たちの祖先は石器をこのように尖らせるのに、膨大な時間がかかったのですね。
江戸時代からの手描き友禅、なにやらチンマリした感じの技術に感じてしまいます(^^;)


追記 2018年9/26  ブログ内容を訂正いたします。
NHK BS放送「人類誕生 未来編」によれば、180万年ほど前にアフリカで生まれたホモ・エレクトスがやがてインド、東南アジアへ進出(北京原人やジャワ原人と呼ばれる)したので、アラビア半島で発見された100万年前の石器はホモ・エレクトスの遺したもの。私たちサピエンスではないのでした。
エレクトスは狩りを行って肉食し、感情を持ち社会生活と営んだ最初の人類で、老人を扶養した事が分かっているそうです。(高齢のため歯が欠落した頭蓋が出土)
ちなみに、
ネアンデルタール人の登場は40万年前~35万年前、ホモ・サピエンスは20万年前くらいにアフリカで生まれており、この時期はアフリカのサピエンス、ヨーロッパのネアンデルタール人、アジアのホモ・エレクトスという3種の人類が併存していたそうです。
なんだか…すごい…

展覧会ルポ | 08:38 PM | comments (x) | trackback (x)
長年見たかった屏風にやっと対面してきました。


 日月松鶴図屏風(室町時代)

 このように完全な形(六曲一双)で残っている屏風としては、とくに彩色画を描いた金屏風としてはおそらく一番古い時期の作例だそうで、ぜひ一度観たいと思いつつ、なかなか機会がなかったのでした。
 室町時代のいつなのかも作者も不明とのこと。


 想像していたより色が美しく、重厚な松だけでなく、
色々な植物が描き込まれていました。
 解説によれば、春を表わす右側にはタンポポやスミレ、ツツジが、秋を表わす左側には藪柑子やアシなどいずれも身近な植物が描かれているそうです。
 金色を背にした鶴の色がよく残っているわりには、下の花々がこのように黒ずんでいるのは銀が使われているのかもしれません。上の方が金色、下の方が銀色できっと華やかな豪華な屏風だったのではないでしょうか。


 写真(絵葉書をスキャン)では写りが悪いのですが、マナヅルの羽根の色合いはエメラルドブルーからブルーグレー、グレーへのグラデーションでした。
 同じ室町時代といっても狩野派や長谷川等伯などが活躍した安土桃山期より古く、彼らが先輩絵師の作として参考にしたかもしれない屏風です。
 いったい誰が、誰の注文で描いたのでしょうか。

 この屏風の展示はもう終わりましたが、今はもっと著名な作品が展示されていますよ。


 雪松図屏風 円山応挙(国宝)

場所は三井記念美術館、2/4まで


最後に、日本画ではあまり見かけない枇杷を描いた図を紹介!(^^)!
お目出度い図柄だそうです。


 枇杷寿帯図(清朝、乾隆帝時代)

展覧会ルポ | 11:24 PM | comments (x) | trackback (x)
   謹賀新年

 
今年もどうぞよろしくお願いいたします



新年のお楽しみはウィーンフィルのニューイヤーコンサート。
ただし、もちろんテレビで。

 コンサートのテーマはイタリアで、楽友協会ホールはイタリアに因んだピンク主体の花で飾られたそうです。


 優雅なだけでなく、早いテンポの景気よい曲も多いのがこのコンサートの愉快なところです。シュトラウスが作曲した時代、オーストリアは戦争に負けることが多く打ちひしがれる人々を励まそうとたくさんの舞踊曲が作られたからだそうです。



 今回は特に子供時代の運動会の徒競走で流れていたようなスタートピストルの似合う曲が多い構成でした。「ウイリアムテルギャロップ」やポルカ「雷鳴と電光」など、跳びはねたくなるものでした!(^^)!

 皆様にとって今年もよい年でありますように。


ぼかし屋友禅染め風景より

季節の便り | 05:28 PM | comments (x) | trackback (x)
白生地屋さんから和服の染織用しては最長サイズ、振袖用の六丈物が届きました。


本当に太い巻ですね。六丈とは約18mもあります。

 この生地の登場で、今手元に全種類の長さの白生地が揃いました。
あまりない事なので、揃い踏みさせて撮影しました。


左から染帯用、訪問着用の三丈物、四丈物、振袖用の五丈物、六丈物。
(10尺で1丈→3メートル強)

 着物の場合、裾回し(裏地)を表地と同じ生地で染めるかどうかと、袖の長さや身長で必要な生地の長さを割り出します。五丈物は一般的な振袖サイズで、長い袖と裏地がとれます。六丈物となると袖の振りなどの飾りを染めることが出来ます。

 振袖用と訪問着用では幅も違います

若い方の体格が良く、振袖用は幅一尺五寸あるのが普通になってきました。

 訪問着を誂える時、四丈物を使い裏地を表地と同じ生地で染めると豪華とされていますが、三丈物と裏地専用のパレス地などを合わせて染めることも多くあります。
実は着やすさ、歩きやすさではパレス地の裏地の方が優れています。すべりがよいので絹地特有のシャッシャッという感触で裾さばきしながら歩くのはなものです。いずれにするかはお好みと、地紋で選んだ生地が何丈物だったかによることが多いようです。

 この機会に地紋も写してみました。

 左下の六丈振袖用は本文(ほんもん)と呼ばれる地紋。沙綾形と四君子を組み合わせた模様で、模様の大きさには種類がありますが、ほぼ振袖専用の地紋です。


左二番目の五丈振袖用は桜花びら散らし
四丈物は牡丹ぼかし雲。三丈物は変り模様でレースのような模様を浮かせた織りです。

 帯では金通しの生地もよく用います。


金属糸が織り込まれていると最初から生地はベージュの色合いで、染めると金色が発色します。白の帯地の地紋は「石畳」です。


 いずれにしても絹の白生地は本当に綺麗で、広げるといつも「すみません、これから色をつけちゃいます」という気持ちになります。<(_ _)>

東京手描友禅の道具・作業 | 03:20 PM | comments (x) | trackback (x)
着物といっても種類は様々ですが、上野の国立博物館で見た火事装束には驚きました。


  火事装束 紺木綿地 刺子 人物模様(19世紀江戸時代)
            (写真横転、ご容赦を)


解説によれば、鳶(とび)職たちが担った町方火消しの装束だそうです。


 木綿生地に刺し子をして丈夫にしてあります。確かに刺し子になった布に水を掛ければ火が燃え移りにくかったことでしょう。

 この派手な装束で消火作業をしたのですね。
無事に鎮火すると、裏の派手な描き絵を見せて歩いたそうです。何人も組んで肩で風を切って歩いたことでしょう。
火事と喧嘩は江戸の華と言ったそうですが、といえば、


火事装束 猩々緋 羅紗地 波鯉模様 (抱き茗荷紋)19世紀江戸時代

この真っ赤っかの火事装束は大名家の装束だそうです。
頭巾も付ければ全身燃え立つようですね。

 女性用で火事に備えて用意していたものだと解説されています。抱き茗荷はどちらのご家中でしょうか。胸元も凝っています。


それにしても華やか。これで江戸の町をのし歩く機会はなかったと思うものの…
「火事だ!」という一大事で、お姫様がこんな装束に着替えようという発想が面白いですね。
 遠目には鳥の模様が刺繍されているかに見えましたが、近づくと鳥はワッペン状になっています。

この羽根の先が生地から浮き上がっているのは、縫いがとれてしまったのか、わざと飛んでいる雰囲気を出すべくわざと縫い付けなかったのか、どちらでしょう!(^^)!

いずれにしても目立つことが目的のような意匠です。

 江戸時代までの日本人、特に江戸っ子は陽気で踊り好き、自己顕示欲も強く遊び上手でラテン気質だったと聞いたことがあります。
そういえば源平武者の鎧は五色に彩られていたし、秀吉や政宗など戦国武者の派手さも有名。信長は宣教師も驚く和洋折衷の装いで目立っていたらしい…
今の私たちの横並び意識の強さは明治以降の学校教育の結果でしょうか~~??(+_+)

展覧会ルポ | 04:52 PM | comments (x) | trackback (x)
今は振袖の下絵の図案作りに勤しんでおります。
実物大サイズに測った雛型にまず鉛筆でおよその作図をしているところです。


 なにやら文鎮がたくさん置かれています。大きな紙の上に乗って描くので文鎮の押えは不可欠です。誂えの手描き友禅の染め作業では色々な場面で文鎮が必要なのです。


 こちらは仮絵羽仕立てをした絹地に模様を描き取っているところ。
衿は剣先など微妙なところをきれいな絵羽付けで模様をおくため縫い合わせた生地に描くわけです。どうしても生地が浮くので要所に文鎮を置くのです。

 他にも金彩など仕上げをする場合など出番は多いので、文鎮はたくさん持っています。
せっかくなら実用的な範囲で面白いものを集めています。

 こちらはちょっと高価な文鎮。富山県高岡市の産で、金属に黒い漆、金蒔絵、螺鈿がほどこされています。(金胎漆と呼ぶそうです)たいへん重くしっかり止めたい時に活躍します。



 上の金蒔絵のものは愛用ウン十年。少し傷んだのでお直しに出した時、もう一本と思って誂えたのが下の螺鈿の紅白梅の文鎮です。漆がつくる曲線のおかげで絹地に優しいアタリをします。

 こちらは知り合いの美術の先生がデザインしたもの。古代の鏡を模した鹿狩文様です。


一番実用的で出番の多い三本。


 上から順に。木の中に金属棒をいれたもの。長いので裾の押えなどに。
次は取っ手がついて便利な重い正統派文鎮。
下左は小型の四角でどこかで見た気がしませんか。石庭を模した文鎮で龍安寺で買いました。そのとなりは薬師寺で購入した細い軽めの文鎮。



 四神のうち白虎と青龍のデザインでカッコイイです。

置いて楽しいものも。どんぐりのついた枝と梅の扇の形。


枝形の方は南部鉄器のお店で買いました。(鉄瓶は高値の花でしたが、文鎮なら!.)

 最後は小さなフクロウ君たち。文鎮として売られていましたが、フクロウを飾ると賢くなるそうなので玄関に飾っております。(^_-)☆


 漆仕上げではありませんが、これも高岡の物です。高岡は金属加工が今も盛んで、仏像や茶釜など色々生産しているそうです。

東京手描友禅の道具・作業 | 05:45 PM | comments (x) | trackback (x)

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