2016,07,15, Friday
手描友禅の染め作業、「裁ち切り」
東京手描友禅は基本的に、一人の製作者が下絵から染め上がりまでの染色作業を一貫して行います。
ぼかし屋も一貫制作です。ということは…
友禅染のデザインや染色作業、その準備や後始末も自分でする、ということ。
前回ブログでご紹介した伸子針(しんしばり)の色抜きは後始末の方でした。
よくお客様から 「一本の白い反物がどうやって着物になるの」 というご質問をいただきますので、このブログでは機会をみつけて少しずつ工程をご覧にいれています。
今日は制作の始めの一歩、準備の一コマ、「裁ち切り」の作業風景をご紹介します。
絹の白生地をサイズに合わせて裁ち切って仮絵羽仕立ての準備をするものです。
長~い白生地は3丈物。(裾回しも含む場合は4丈物)
尺差し「鯨尺」で測りながら、袖2枚、見頃2枚、衽に切り分けます。
測った通りに袖、見頃と切り離しますが、反物に最初の鋏を入れるのは今もドキドキします。
新花(後で色が消える)で印をうち、肩山や剣先位置など今後の作業に必要なところには糸印をつけておきます。
表裏が分かり難い生地の時は「こちらが表側」という糸印もつけます。印の仕方に決まりはなく、製作者それぞれが自分に分かるように決めた印をずっと使っています。
生地を切り離す時は、布を織った時の縦糸、横糸から逸れないように真っすぐ切るのですが、それが案外難しいのです。
一番の難所が、衽と衿の部分を縦に長く延々と切り続けるところ。
新花で印をつけてあるものの、集中しないと縦糸から大きく脱線して切り目が曲がってしまうので、切り始めたら終点に向かってひたすら切り続けます。
切り離した生地を並べました。
左から衿、衽、見頃2本、袖2枚です。
何だか少し着物に近づきましたね。
白生地の反物は始めの位置に生地のメーカー(機屋さん)や産地の印字があります。
この部分が左袖後ろにくるように裁ち切ります。
仕立ての時には切り離されてしまうのですが、生地が染め上がって、剥ぎ合せ縫いして反物状に戻した時に必要なのです。
反物の表札とでもいいましょうか。
一本の白生地から染め加工した品ですよ、と伝える役目も果たします。
裁ち切りが済むと次は友禅の初期工程へ。
仮絵羽仕立てや下絵描きが始まります。
さぁ~て!
東京手描友禅の道具・作業 | 11:20 PM
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2016,04,07, Thursday
着物からのれんや風呂敷、本の装丁まで実用品を型絵染めで模様付けした
現代の染色家、
芹沢銈介の展覧会に行ってきました。
「芹沢銈介のいろは」
※ 東京国立近代美術館工芸館にて。5/8まで。

(写真は展覧会チラシと3/23朝日新聞記事より)
昨年、金子量重氏から寄贈された作品を中心にした展示だそうです。前回ご紹介した横河民輔氏と同様、お陰で貴重な美術に接することができ、お志に感謝!です。

文字文地 白麻 部屋着
この展示で面白かったのは芹沢銈介の
「文字文」もじもん。
よく「唐草文様」「樹下獅子文」などと言うのと同じで、
「文字を文様化、模様化した」ものです。
1968年のカレンダー
いずれも70代の作品で、驚くほどポップで大胆!形も色合いも楽しく、こういうデザインが身の回りにあるとステキな生活感が味わえますね。
作品はほとんど型染の実用品でもあるので、今でも買えるし使っているし、です。
ぼかし屋の場合、仕事柄で風呂敷を多用します。
所持品から芹沢銈介デザインを写してみました。

たとう紙ごと着物を包める大型サイズの風呂敷。便利にしています。仮絵羽や下絵描きなどの作業を中断する時に、この風呂敷で作業机ごと覆って埃防ぎにも使っています。

上は反物を包んだ綱の模様の風呂敷。とても古く色が退色しています。
下は小物包み。野菜を模様化した図柄です。
風呂敷と言えば…
白生地反物は丈夫な紙で包まれていますが、持ち歩く時は、さらに風呂敷で包みますと、巻物の状態の生地をしっかり守ってくれます。そして湿気から守るため風呂敷ごとビニールで守って運びます。
昔このように包んだ反物を生地屋さんに返しに行くとき、(数本お借りして、誂えご注文のお客様に生地をお選びいただき、残りを返却)カバンに縦に入れて運び、叱られたことがありました。
わずかでも生地がよれるような事をしてはいけない、売り物にならなくなる、と。しっかり包み、なおかつ横に運ばなければならないのでした。
そのくらい丁寧に扱えとの教え。もちろんすぐに反物包みを横にしたまま運べる鞄を買ったのでした。
以後、生地を運ぶたび、思い出しております。
この工芸館は竹橋と半蔵門の間くらいにあります。

昔の近衛師団司令部だったところで、建築遺産として貴重な建物だそうです。
千鳥ヶ淵にも近いですよ。
4/4スマホで撮影 暗くなりきらない都心の夜空を背景に。
二年ぶりの夜桜見物でしたが、以前と
照明方法が変わっていました。
以前は花見客のいるお堀手前が明るく、今年はお堀向こう側が明るく照らされていました。
近くの桜は薄明り、遠くの桜がはっきり明るく。
どちらがよいか意見が分かれるでしょう。今年の方が情緒はあると思います。
でも頭上に見上げる桜は…ちょっと暗くて寂しかった気がします。
展覧会ルポ | 12:08 PM
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2016,03,21, Monday
久しぶりに上野の展覧会へ行きました。
目的の
「ボッティチェリ展」を見た後、国立博物館の常設展示へ立ち寄り、東洋館で展示中の綺麗なお皿を観てきました。
琺瑯彩 梅樹文皿 雍正帝の時代、1730年頃 中国景徳鎮窯
小振りですが、白い飾り皿に繊細な紅白梅が描かれていて、「これぞ磁器!」というほどの硬質感の輝く白さでした。梅の表現がとても細かく、
極めて細い筆で丹念に絵付けした様子です。
この展示に立ち寄るきっかけになったのは1/31
東京新聞の記事です。
この記事のほとんどの部分は、皿の
寄贈者、横川民輔氏のことが書かれています。
興味深いので、
主旨抜粋で記事を紹介します。
作品の解説プレートのほとんどに「横河民輔氏寄贈」とある。
横河氏は大正期に日本橋三越本店を設計するなどした建築家で、現在の横河グループを創設した実業家でもあり、さらに中国陶磁器の世界的コレクターの顔も持っていた。
1932年から7回にわたり、東京国立博物館に約1100点を寄贈した。同館が所蔵する中国陶磁器約2500点のほぼ半数に上る。
横河氏の買い付けは、清朝の衰退期に美術品が中国からへ流出し、英国はじめ欧米列強が「爆買い」する時期だった。しかも最初から公のため、つまり博物館での展示を考えての収集だった。日本で個人がこれほど寄贈するケースはまれだという。しかも、本人は目立つことを好まなかった。
横河電機の社名は知っていても、このような創業者がいらしたとは知りませんでした。
同じ上野の西洋美術館が
「松方コレクション」の名前を残して展示しているように、国立博物館も「横河コレクション」などと銘打って顕彰してもよいのでは、と思ったことでした。それぞれの作品名の小さなプレートには寄贈者名が書いてはあるのですが。
本館の展示も
季節柄で、桜の文様が多く飾られていました。
仁阿弥道八 「色絵 桜樹図 透かし鉢」
この作は、どの角度から見ても鉢の
外側の枝と内側からのぞく枝がつながって見えることで有名です。雰囲気も材質も柔らかい日本の陶器です。
打掛 「紅綸子地 御簾薬玉模様」(18世紀)
端午の節句に
厄除けのために御簾に飾る花薬玉を描いているそうです。
端午の節句ですが、背景は一面の桜。
女性の身を飾る打掛だからでしょうか。

お洒落な意匠ですね!図案の参考にしようかな!(^^)!
同じ日、上野公園入口の
河津桜。すでにほぼ満開でした。
展覧会ルポ | 11:47 PM
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