2021年12月

 
 
日本の婚礼衣装展 そごう美術館

見て来ました報告が遅くなりましたが、横浜のそごう美術館に行ってきました。
「ジャパニーズウェディング 日本の婚礼衣装展」

江戸末期の武家の婚礼衣装や道具から1900年前後の商家、豪農の花嫁衣装が、これまでにない規模で展示されていました。
会場入り口すぐ、大名家伝来の打掛、帷子三点の展示だけは撮影自由でした。



三点とも主役は刺繍。武家の婚礼で花嫁や付き添いの女中衆が着用したものだそうです。
松竹梅を基本に、水に遊ぶ亀を配置した図柄です。


竹笹は匹田糊を使って防染し、鹿の子模様です。糊や染料の出番はここだけで、あとは総刺繍。経過年月にも関わらず、素晴らしい保存で糸の退色が感じられず、伸び縮みによるツレも気にならない程度です。
目を近づけて、つくづく拝見。


松の放射線状の糸に勢いがあり、


岩が厚みや、水の軽やかさが糸の挿し方で表されていますね!!


亀は刺繍に刺繍を重ねて甲羅を重々しく。


こちらの亀は染めの上に刺繍を重ねています。


鶴も羽の羽ばたく向きに糸が通っています。

さて今度は明治期以降の町方の婚礼。

この写真ご覧ください。
松竹梅の図柄で三色の地色で染め分けられています。



披露宴で今も使われる「お色直し」という言葉。白い衣装だけでなく、色物の衣装も着たいから、あるいは、多くの衣装を持って嫁入りすることで家の力を誇示した名残りで使われる言葉だと漠然と思っていました。でももっと深い意味があるそうなのです。

(写真は図録から。解説は主にNHK日曜美術館アートシーンより)
日本語の白、赤、黒の語源は 昼の白、夕焼けの赤、夜の黒だそうです。それをすべて重ねることで、時間の移ろいを見にまとうという意味があったとか。
婚礼の時、輿入れ、盃事は白い衣装で、夕刻のご披露は赤から始まり、やがて深夜の黒へというのが「お色直し」
よく言われる「婚家の色に染まりますという意思表示」としての白でもあったでしょうが、アートシーンによれば、自然な時の流れをそのまま取り入れるという日本人の自然観が、婚礼衣装に現れているという解説でした。

江戸時代の婚礼ファッションブック「手鏡模様節用」1700年代末頃


右下に文字で、上着の地色は黒、中着の地色は赤、下着の地色は白、と書かれていて、挿絵の着物は裾をめくって描かれ、黒、赤、白の重ね着だと分かるようになっています。

展示では様々な三色の取り合わせが見られました。


まったく同じ図柄の色違い。おそらく重ね着でしょう。
三着とも、きっちり左右対称な柄付け。注文主の性格もしのばれますね。
財力によって三色を着替えたり、重ね着したりしたそうです。地域性や流行もあったことと思います。


こちらは打掛三点です。どれも裾のフキが厚く刺繍も多く、でもよく見ると図柄は少しずつ違えてあります。昼、夕、夜で着替えたことでしょう。

1900年代になり財力面で中間層が増えてくると、手に届くお値段の贅沢を求めて衣装の簡略化が進みます。
こちらは着用時に下になる部分を(どうせ見えない)簡単な生地で代用したもの。着れば三枚重ねに見えます。


日本では十二単の昔から着物を重ねて(襲ねて)着ることが礼装として大切なポイントでした。このような工夫は、簡略してもなお礼装、三衣襲ねでありたいという意味でしょう。
さらに簡略化され、重ね着を止めたのがこちら。

1930年頃の婚礼用振袖。もはや表着の黒だけです。
図録のこの写真は会場でも同じように着装で展示されていました。現在の振袖にかなり近い着装です。重ねの部分は比翼仕立てになっていると思われます。着物の裾と袖、袖の振りにだけ生地を縫い付けて、二着を重ね着しているように見せるものです。
このような黒地の振袖は1900年代半ばで長く花嫁衣装の主役でした。

このような比翼仕立ては今でも黒留袖に残っているものの、現代の振袖ではほとんど見られなくなりました。
黒地の振袖の着装、後ろ姿。


丸帯(帯全体に模様が織り込まれている織り帯)を膨ら雀(ふくらすずめ)の形に結び、腰にはしごきを巻いています。現在では袋帯(着装時に隠れる部分の模様織を省き軽くした)が主流で、しごきも七五三女児だけに残っています。
現代の振袖でも重く動きも不自由ですが、かつて本当に三着も重ねていたお嫁さんはさぞ重かったことでしょうね(^^;)

会場には何本か帯も展示されていました。その中で一番美しかったのがこちら。


葉も花も、ほとんどの色目にグラデーションがあります。濃淡をだす毎に僅かずつ織り糸を変えていくことを想像すると、恐ろしいほどの手間の結晶です。
本当に目の保養でした。

展覧会ルポ | 10:55 PM | comments (x) | trackback (x)
 

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