展覧会ルポ

 
フェルメールはオランダが貿易国として一番華やかだった時代、17世紀の画家です。日本で言えば徳川家光のころ。長崎に出島ができて鎖国の日本がヨーロッパの国として唯一通商を続けた時期です。同時期のレンブラントほどの知名度はありませんが、一番有名な「真珠の耳飾の少女」(青いターバンの少女)ならご存じの方も多いのでは?
実はぼかし屋イチ推しの絵がフェルメールのこの絵。(写真は展覧会チラシと絵葉書から)


窓辺で手紙を読む女  所蔵:ドレスデン国立古典絵画館

昔々まだ高校生だった時に都内の展覧会に展示され惚れ込んで以来です。ドレスデンは遠く、再度見られるとは思っていませんでしたが、何と絵の方が上野に来てくれたのです。


「フェルメールと17世紀オランダ絵画展」
4/3まで。上野の東京都美術館にて。


この展覧会チラシは工夫されていて


このように表紙の絵の右半分が入れ替わるように印刷されていて、


入れ替えると絵の右上にある絵、壁にかかったキューピッドの絵が消えるのです。女性の後ろはモスグリーンの薄明るい色合いで無地。(それはそれで実に美しい空間でしたが)
長い間、フェルメールの作品として親しまれてきたのはこの状態の方。ですから嬉しい配慮です。キューピッドは絵を修復した結果、現れたのです。

誰が何故キューピッドを消したかは諸説あり分からないそうです。
ぼかし屋の勝手な想像では→ 持ち主が厳格なキリスト教徒だった時期に「愛のキューピッド」を嫌って消した、です(^^;)

展覧会の解説を要約しますと、無地の壁にはもともとキューピッドが描かれていることは以前からレントゲン撮影で分かっていました。


でもそれはフェルメール自身によって塗り潰されたと考えられてきました。であれば無地の壁はフェルメールの制作の一部です。
ところが最新の技術によって絵具の経過年数が分かり、塗りつぶしの絵具はフェルメールの没後何十年も経ってから塗られたことが分かったそうなのです。すると壁にはキューピッドがいることが彼の意思。
そこでキューピッドを覆っていた絵具を少しずつ取り除き、フェルメールが描いた状態へ修復したのだそうです。



汚れも落とした結果、キューピッドが現れただけでなく、窓からの光はより明るく、女性の姿も背景の壁も明るく浮かび上がったのでした。


東京都美術館に飾られた絵はモスグリーンの色調の中に青、赤、緑、黄が落ち着いた色合いで溶け込み、光の中に手紙を読む女性がいました。女性の服のシワ、後れ毛に光が反射して深みを出していました。


キューピッドの絵が飾られた室内の描写は手紙がラブレターであることを暗示しているそうです。フェルメールの作品の中では大型で、近くで鑑賞できたのでオリジナルならではの細やかな筆使いと色合いを見ることができます。
まだ会期がありますがコロナ感染防止のため入場は予約制です。これからお出かけの方は上野公園の桜が見られそうですね。


展覧会ルポ | 11:08 PM | comments (x) | trackback (x)
日本の婚礼衣装展 そごう美術館

見て来ました報告が遅くなりましたが、横浜のそごう美術館に行ってきました。
「ジャパニーズウェディング 日本の婚礼衣装展」

江戸末期の武家の婚礼衣装や道具から1900年前後の商家、豪農の花嫁衣装が、これまでにない規模で展示されていました。
会場入り口すぐ、大名家伝来の打掛、帷子三点の展示だけは撮影自由でした。



三点とも主役は刺繍。武家の婚礼で花嫁や付き添いの女中衆が着用したものだそうです。
松竹梅を基本に、水に遊ぶ亀を配置した図柄です。


竹笹は匹田糊を使って防染し、鹿の子模様です。糊や染料の出番はここだけで、あとは総刺繍。経過年月にも関わらず、素晴らしい保存で糸の退色が感じられず、伸び縮みによるツレも気にならない程度です。
目を近づけて、つくづく拝見。


松の放射線状の糸に勢いがあり、


岩が厚みや、水の軽やかさが糸の挿し方で表されていますね!!


亀は刺繍に刺繍を重ねて甲羅を重々しく。


こちらの亀は染めの上に刺繍を重ねています。


鶴も羽の羽ばたく向きに糸が通っています。

さて今度は明治期以降の町方の婚礼。

この写真ご覧ください。
松竹梅の図柄で三色の地色で染め分けられています。



披露宴で今も使われる「お色直し」という言葉。白い衣装だけでなく、色物の衣装も着たいから、あるいは、多くの衣装を持って嫁入りすることで家の力を誇示した名残りで使われる言葉だと漠然と思っていました。でももっと深い意味があるそうなのです。

(写真は図録から。解説は主にNHK日曜美術館アートシーンより)
日本語の白、赤、黒の語源は 昼の白、夕焼けの赤、夜の黒だそうです。それをすべて重ねることで、時間の移ろいを見にまとうという意味があったとか。
婚礼の時、輿入れ、盃事は白い衣装で、夕刻のご披露は赤から始まり、やがて深夜の黒へというのが「お色直し」
よく言われる「婚家の色に染まりますという意思表示」としての白でもあったでしょうが、アートシーンによれば、自然な時の流れをそのまま取り入れるという日本人の自然観が、婚礼衣装に現れているという解説でした。

江戸時代の婚礼ファッションブック「手鏡模様節用」1700年代末頃


右下に文字で、上着の地色は黒、中着の地色は赤、下着の地色は白、と書かれていて、挿絵の着物は裾をめくって描かれ、黒、赤、白の重ね着だと分かるようになっています。

展示では様々な三色の取り合わせが見られました。


まったく同じ図柄の色違い。おそらく重ね着でしょう。
三着とも、きっちり左右対称な柄付け。注文主の性格もしのばれますね。
財力によって三色を着替えたり、重ね着したりしたそうです。地域性や流行もあったことと思います。


こちらは打掛三点です。どれも裾のフキが厚く刺繍も多く、でもよく見ると図柄は少しずつ違えてあります。昼、夕、夜で着替えたことでしょう。

1900年代になり財力面で中間層が増えてくると、手に届くお値段の贅沢を求めて衣装の簡略化が進みます。
こちらは着用時に下になる部分を(どうせ見えない)簡単な生地で代用したもの。着れば三枚重ねに見えます。


日本では十二単の昔から着物を重ねて(襲ねて)着ることが礼装として大切なポイントでした。このような工夫は、簡略してもなお礼装、三衣襲ねでありたいという意味でしょう。
さらに簡略化され、重ね着を止めたのがこちら。

1930年頃の婚礼用振袖。もはや表着の黒だけです。
図録のこの写真は会場でも同じように着装で展示されていました。現在の振袖にかなり近い着装です。重ねの部分は比翼仕立てになっていると思われます。着物の裾と袖、袖の振りにだけ生地を縫い付けて、二着を重ね着しているように見せるものです。
このような黒地の振袖は1900年代半ばで長く花嫁衣装の主役でした。

このような比翼仕立ては今でも黒留袖に残っているものの、現代の振袖ではほとんど見られなくなりました。
黒地の振袖の着装、後ろ姿。


丸帯(帯全体に模様が織り込まれている織り帯)を膨ら雀(ふくらすずめ)の形に結び、腰にはしごきを巻いています。現在では袋帯(着装時に隠れる部分の模様織を省き軽くした)が主流で、しごきも七五三女児だけに残っています。
現代の振袖でも重く動きも不自由ですが、かつて本当に三着も重ねていたお嫁さんはさぞ重かったことでしょうね(^^;)

会場には何本か帯も展示されていました。その中で一番美しかったのがこちら。


葉も花も、ほとんどの色目にグラデーションがあります。濃淡をだす毎に僅かずつ織り糸を変えていくことを想像すると、恐ろしいほどの手間の結晶です。
本当に目の保養でした。

展覧会ルポ | 10:55 PM | comments (x) | trackback (x)
サントリー美術館で今開催中の、ちょっと面白い展覧会の紹介です。

まずはこちらを。華麗な手箱。
教科書にも載っていたりする国宝です。


浮線綾螺鈿蒔絵手箱(鎌倉時代)

両手でしっかり持つほど大振りな作りで、金地を埋め尽くしている螺鈿は剥落も少なく、新しかった時は揺らめくように輝く箱だったと思われます。

この工芸品だけなら、これまで国宝展などで見る機会はありました。今回の展覧会が面白いのは、手箱を保管していた箱も展示されていることです。


蓋の裏に手箱の由来が書かれていて、解説によれば、この手箱は北条政子の愛用品だったこと、火災や破損を免れ今日あるのは政子の霊力のおかげだと書かれているそうです。
箱は江戸時代1819年に誂えられたとのこと。
日本史上、有数の女性権力者だった北条政子、さすがの所持品です!


こちらは会場で撮影した写真。箱と手箱が背中合わせに見られます。一部の除き会場は撮影自由でした。有難いことです。

こちらは展覧会パンフレットの写真から。


同じく鎌倉時代の笛で、小男鹿丸という銘の「笙」
独特な形が安定するように作られた箱。箱は後世に作られたもの。葵のご紋が見えますね。

他にかの徒然草の巻と、それを納めた箱など、大変なラインアップでした。
元の箱が傷まないよう、後世さらに箱ごと収める大箱が作られたりしたのです。
現代の日本にも外箱も大切に思うセンスは受け継がれていますよね(^^♪

この展覧会はいくつかのテーマに分かれていて、箱以外にも、たとえば
制作時から姿を変えてしまったものを、元々の姿を思い浮かべられるようにした展示。


右は元は絵巻。左は元々は着物。いずれも今は掛け軸になっています。
絵巻は、持ち主が切り売りしてしまった場合が多いそうです。着物の場合は傷みに少ない綺麗なところだけを軸で飾れるようにしたのではないでしょうか。
どうやら左身頃の背側を切り取ったようですね。


江戸時代(17世紀)の「舞踊図」
元は六曲の屏風だったものを舞人ひとりずつに分けて額装されています。江戸初期のファッションがよく分かります。退色していない時は華々しい色調だったことでしょうね。

「よく見ないと分からない」という展示も。
さてこれは?


身分の高い武家婦人の夏の装いだった「腰巻」です。


一面の宝尽くし。じっと見ますと、当然ながらすべて手仕事の刺繍。一面にぎっしりと。


気が遠くなるような仕事ぶりです。

「腰巻姿」は現代ではほぼ見ることがないので、参考例を2点紹介します。


織田信長の妹であるお市の方


黒沢明監督の「隠し砦の三悪人」の一場面より
小袖の上に重ね着した腰巻を上半身だけ脱ぎ落してある着付けで、袖部分が腰の左右に張り出して、立ち姿が豪華になります。

「ざわつく日本美術」展は8月29日(日曜)までサントリー美術館(六本木)にて。
めったにない展示です。ぜひどうぞ<(_ _)>

展覧会ルポ | 04:54 PM | comments (x) | trackback (x)
東京都八王子市にある東京富士美術館で 11/29まで
「永遠の日本美術の名宝展」が開かれています。

東京の東の端のぼかし屋から、西の端の美術館まで小旅行でしたが、初めて訪ねました。
(基本的に撮影自由でした。画像は現地撮影分と展覧会図録から)



この美術館は我が鈴木其一「風神雷神図」を所蔵しています。

風神雷神といえば俵屋宗達を筆頭に尾形光琳、酒井抱一の三作が有名ですが、私はこの作品は、江戸初期に京都の宗達で始まった琳派、風神雷神図の、江戸に引き継がれた完成形だと思っております。
金箔の上ではなく、絹本に描いているのは、墨の勢いや滲み、重なりで雲を表現するには絹本がふさわしかったからだそうです。



雲以外でも、太い筆で一気呵成に描いた線がとても美しいです。
髪の毛、表情、筋肉の動き。スキがありません。


展示室で遠目で見ますと、残念ながら展示ケースのガラスに向い側の作品が写ってしまっていますが、それでも本物の存在感はさすがでした。

曽我蕭白の展示も充実していました。


     「鶴図」曽我蕭白 

1対の鶴を描いた構図はよくあるものですが、デッサンも墨の使いも極めて上手な蕭白の手にかかると、鶴がイキイキしていました。
羽毛の柔らかさが感じられるのです。
           ガラスの反射、本当に残念…(T_T)



鶴の背に沿ったくぼみ。羽毛のふんわりした重なりが印象的でした。これは図録でもテレビでも、画像では分かりませんでした。本物に会う価値、ですね(‘◇’)  
もしお出かけになったら、この鶴の柔らかい背中、是非ご覧ください!     


亀寿老図(亀仙人) 
他に色々飾られている中で、この寿老人が一番チャーミングでした。蕭白はこういう人だったのかな?

さすがの展示内容で、洛中洛外図や源氏物語図の屏風など見飽きない絵がたくさんありましたが、ここで紹介したいのは大正昭和に活躍した土田麦僊(つちだばくせん)


     「雪中梅」 
雪の部分は彩色せずに地のまま残すことで表現しています。間近で見ても雪に見えました(^^;)


     「紅葉小禽」(部分)

なんて綺麗!!
解説によると、シジュウカラを輪郭線を描かずに「隈取り」の技法で描いているそうです。本当の小鳥とは頭や胴のシルエットが違いますが、ちょこちょこと何かをついばむ小鳥らしさは本物以上ですね!
絵は(友禅模様も)こうありたいと思っております。足元にも及びませんが…(^^;)

この展覧会ではありませんが、東京富士美術館には面白い映像展示もありました。
写真がなぜか投稿できなず残念ですが、ダ・ビンチの壁画「最後の晩餐」のオリジナルと、制作当時の色、構図を再現した版とを、壁に映し出しているのです。
ミラノの現地でも、教会の食堂だった部屋の壁の高い位置に描かれているそうです。

修復版では背景に細かい模様が色鮮やかに描かれていたようですよ。日本の古い仏像も制作当初は赤、青、金で極彩色だったそうですね。共通するオドロキでした。


展覧会ルポ | 04:05 PM | comments (x) | trackback (x)
大倉集古館の「近代日本画の華」展を観ました。
(写真は展覧会チラシとNHKアートシーンの画像から)
1930年にローマで開かれた日本画の展覧会の出品作の展示です。


右上は竹内栖鳳の「蹴合」闘鶏の図で、チラシのサイズではただ黒い鶏に見えていますが、実物はとても綺麗な彩色で、闘う鶏の羽根が生き生きと躍動



若冲の鶏が苦手な方でも、この絵は気に入ることと思いました。

この絵と並んで、とても美しい白鷺の絵がありました。



宇田荻邨 「淀の水車」
鷺の白い羽根が、ぼかしで水に溶け込んでいるような描き方が印象的でした。どうにかして真似したいものです。

さてこの新聞記事をご覧ください。


朝日新聞 9/15 美の履歴書より

この展覧会を代表する展示、横山大観の「夜桜」の紹介記事で、
見出しは「咲き誇る春 見せたい相手は?」
この絵を見るのはヨーロッパ美術の大御所、イタリア人であることを大いに意識して制作された絵だという解説です。


もちろん日本人が見ても、篝火(かがりび)に照らし出された夜桜は豪華です。



記事に「桜はすべて正面を向いている」とあり、確かにその通りでした。


着物の模様として絵を描く時は、きれいに見える角度だけ描くことはよくあるのですが、絵画でこの表現は珍しいのでしょうね。

「正面向きだけ描く」といいますと、かつて当ブログで紹介したことのある、我が鈴木其一の「朝顔図」もそうです。


 

ただしこちらは葉っぱが正面向き

朝顔のツルがのびのびと画面を覆っています。葉っぱは正面向きだけである方が、ツルの動き、方向性に目が行くからだと思っております。

※ぼかし屋は長年にわたり鈴木其一のファンなのです(‘◇’)ゞ
 朝顔図は2016年10月14日のブログで紹介しております。


展覧会ルポ | 07:26 PM | comments (x) | trackback (x)
上野国立博物館
「KIMONOきもの展」が8月23日まで開かれています。


オンライン予約が必要ですが、ネット操作困難の方には現地で当日券の販売もしています。朝行けば、午前中の入場ができる様子でした。ただし混雑すると当日券は打ち切るそうです。
で、観てまいりましたが、先にお伝えしたいのが、こちら!


本館常設展示 風神雷神図屛風 尾形光琳
空いていて、撮影可!(^^)!

!著名な風神雷神図の中で光琳作だけは見る機会が無かったのですが、今回思いがけず。
本物は筆使いが実にイキイキ!


筋肉の勢いや衣の線、逆立つ髪の毛を一気に描いています。お習字のように「書いて」というべきかなと思うくらい一気に。
実はこの展示は8月10日(月祝)まで。
急ぎご紹介する次第です。

他にも酒井抱一の「秋草図」、紫式部日記絵巻(道長が潜んでくる有名な場面)、ピンクの色彩が美しい「孔雀明王図」などの国宝、重文が!長い休館のお詫びかしらと思うほど良い物がたくさん出ていました。
きもの展の入場者は本館常設展示を見ることができます。
コロナで迷っていた方、予約不要の常設展示だけでも見ごたえがあります。
主役級が並んでいるのに、観覧者は少ないですからこの土日祝、半日ユックリいかがですか?

さて「きもの展」そのものにつきまして…
主に室町時代末期から江戸時代の着物の発展が分かりやすく展示されていました。

おそらく初めての試みかと思われるのは、江戸時代に贅沢(唐織や刺繍、総絞り)禁止令が出されるにつれて友禅染の技術が発達した様子を実際の作品で見られることです。
刺繍が無くても鮮やかな多色使いの着物で身を飾りたいという旺盛なニーズに支えられて糸目糊防染の技術と図案構成力が発達を続けたわけです。
(写真は図録から)

素晴らしいと思った本格派手描き友禅の2点。いずれも若衆(男性)向けです。





実に細い細やかな糸目糊で、しかも勢いを感じる糊置きです。この時代は合成のゴム糸目糊はまだ無いので、すべて真糊(餅粉と糠粉を蒸し練って作る)の糸目糊です。

意地悪い目で観察しましたが、色のはみ出し、浸み出しが、無い!
染料の色挿しは、作業した時ははみ出さずにキレイに塗れたと思っても、後から糸目糊の堤防を越えて色が浸み出てきてしまうことがあるのです。
それを消す「しみ抜き」技術者が別にいるのですが、いつ頃から「しみ抜き」は発達したのでしょうか。それとも初めから一切はみ出させない強い堤防だったのでしょうか?当時の糸目糊。まさしく糸目状に細~いのに!!!
この件、同業の間でも話題になっています。


友禅染は最初、高価な刺繍や織り模様の代替として登場したことは間違いないですが、その後の発展については、同時期(桃山から江戸初期)の豪華な日本画(屏風絵や襖絵)の発達の影響があると私は感じております。
絵として「筆で描き彩色する」技術の発展が、自由な構図を生み出しやすい友禅染の発展や普及につながったに違いないと思うからです。
着物に日本画のような構図を模様として染め付けることの原点のような作品がこちら。


尾形光琳、白綾地秋草模様 小袖

糊防染の糸目友禅ではなく、図録解説によれば白生地に日本画と同じように墨絵で描き、藍の濃淡も加え、きちんと絵羽模様になっています。
屏風絵のような自由な図柄を着物にも表現することの出発点のような作品だと思います。

この小袖は白地ですが、仮に地色を染めようとした時、ただ塗ったのでは模様が色の中に沈んでしまいます。模様を避けて地色を染料で染める必要が出て、「模様の上を糊で被せておけば染料が入らない」工夫を誰かがしたのでしょうね。そして糊防染の技術は江戸300年をかけて発達していったのでしょう。

今回は光琳の小袖と、風神雷神図を同じ日に見ることが出来たのでした。



展覧会ルポ | 10:49 AM | comments (x) | trackback (x)
日本の手描友禅の模様の参考に
イギリスの模様の展覧会を観てまいりました。

ウィリアムモリスとイギリスの壁紙展 そごう美術館(6/2まで) 

このチラシの模様を私が見た時につい思ってしまうのは
「よくある感じの模様だね」です。
でも、こういう感じの模様は古来あったのではなく、最初に本格的に壁紙や布の模様として製造したウィリアム・モリス(1834~1932)の業績を紹介する展示です。


とても魅力的な模様が図録の後カバーに印刷されています。
菊をモチーフにした構成。牡丹も入っていて日本の影響を受けているそうです。色合いを変えていくつものパターンで壁紙を制作。

古くから絵画や金銀の細工で壁を飾れた王侯貴族は別として、市民が自宅を飾り始めたのはそれほど古くないそうです。産業革命の結果、製造力も市民の購買力も上がって19世紀を迎え、そういう時期に画家でもあったウィリアム・モリスが、生活を取り巻く物品にも美しさを、という考え方で多くの作品を発表したわけです。

この菊の壁紙で飾った部屋の再現コーナーもありました。
(再現コーナーは撮影可)

カーテン、テーブルクロス、クッションカバーそして壁紙

現在の生活にある様々な布類に複雑にパターンを組み合わせた模様を染めたり織り出したりしています。

    図録の中から紹介

ノーベル賞の選考委員会は「その業績の元になった研究、その研究者」を探すそうです。それと同じことを感じました。
いわゆる唐草文様は大昔からありましたから、葉がモチーフとして左右対称など平面に並ぶ模様なら珍しくなかったのですが、それをパターンの一部として複雑に組み合わせて構成したのはモリスが最初。その図案は見ていてとても勉強になります。


こちらはミュージアムショップで買ったクリアファイルの模様。
とても大胆ですが、自然な組み合わせになっています。


葉をパターン化した壁紙。
本当に「よくある感じ」ですが、商品として売られ続ける中で、様々な他の商品のデザインのもととなっていったために「よくある感じ」に見えるわけです。

ヒナギクのパターン。


ふと気づいたのですが、ぼかし屋のファクスが置かれている台のレース。

このようなパターン模様を最初に本格大量生産販売したモリス。その影響のもと、今の身の回りの様々な商品のデザインがあるのですね。

少々脱線しますが、野々村仁清。


写実的で鮮やかな花の描写は、室町期以降、屏風絵や掛け軸には珍しくありませんでしたが、最初に壺に焼き付けたのは彼。
この壺を見るとつい「よくある感じ」を抱いてしまいますが、江戸初期当時とても画期的な試みと技術だったのでした。

もっと有名な例が元祖アニメと言われる鎌倉期の鳥獣戯画

今のアニメと同じ、とつい思ってしまいがちです。
鳥獣戯画の方が大々先輩なのを忘れないようにしなければ。
作者は確定していませんが、ノーベル賞の価値がありますよね。

そういうモノが無い環境で、そういうモノがを創り出した方々のすごさを、そういうモノが溢れている今の私たちはウッカリ忘れがちかもしれないと、見慣れた感のあるモリスの壁紙を見ながら思いました。

最後に会場の再現コーナーの写真で、モリスの模様を現代にアレンジした部屋をご覧ください。

すてきです。


展覧会ルポ | 01:21 AM | comments (x) | trackback (x)

前回ブログの続編、追加版です。

奈良時代のメモ帳からスタートしたとはいえ、形が末広がりであったことから扇は実用兼、縁起物としても喜ばれ、安土桃山期には絵師たちが扇絵に腕を振るうようになります。長谷川等伯や狩野派も扇を製造販売していたという説もあるそうです。
そして江戸初期に現れた琳派の祖、俵屋宗達。「俵屋」ブランドの扇は優れた扇絵で大人気だったそうです。


      画像は日本美の昇華、朝日新聞社より

2点とも和歌扇面。上が椿下絵、下は橋に波下絵
本阿弥光悦と俵屋宗達のコラボ作です。かの有名な鶴下絵和歌巻と同じ雰囲気で、
扇だった時の名残り放射線状の筋となって残っています。
扇は長期保存に向かないので、扇骨から絵を外して平に戻し、このように保管したのです。
ただ保管するより楽しめるように工夫されたのが、扇貼り交ぜ屏風


醍醐寺所蔵、醍醐寺展図録より

解説によれば、宗達の死後に製作されたと考えられていて、扇絵をただ列に並べるのではなく、散らし風にしておしゃれな配置となっています。扇の向きを変えたり、柄の部分を描いたり描かなかったりして変化をつけています。


扇は水に流したり、畳の上で投げたりして遊ぶものでもあったので、「扇を散らした図」は発想しやすい構図だったのかもしれないと思います。
宗達は江戸初期の画家です。今はよくある○○散らし、例えば花散らし、貝散らし、といった構図の初期の作品にあたると思います。

一方こちらは、始めから屏風絵にするために宗達が描いた扇散らし図。


フリーア美術館所蔵(画像は同館のホームページのダウンロードサイトより)

扇絵を貼ったのではなく、広い画面に扇を散らせた図柄を、宗達が構成して描いたものです。閉じた扇を混ぜたり、重ねたり。文字通り扇を散らせた構図です。

画像は屏風を真っすぐにして写した状態ですが、本来の屏風として飾られた写真があります。平面なのとは迫力が違いますよ。


      NHK BS放送「江戸あばんぎゃるど」の映像より

屏風全体で見た時の色のバランスも考えてあり、色調がすばらしいです、と申し上げるのもおこがましいですが。
「江戸あばんぎゃるど」は明治以降に米国へ流出した日本美術品、主に屏風などの絵画と、その流出経路、現在の保管状況のドキュメントで、今年1月に放送されました。
所蔵しているフリーア美術館チャールズ・ラング・フリーアの明治期の収集品を基に設立されました。
彼は「宗達の再発見者」とされていて、つまり明治期の日本人は宗達を評価することがなかった、そうです(T_T)
米国に渡ったから大切にされてきた面もあり…
遺言により所蔵品は門外不出。ワシントンDCの中心地にあるそうですが、観に行くには遠すぎます(T_T) かの「松島図屏風」もフリーアにあるのですよ~

〆のご紹介は酒井抱一の扇そのもの。


     武蔵野図扇面(上野 国立博物館の展示より)

解説文によれば、秋の武蔵野に昇る、または沈む月を描いているそうです。
宗達から約100年、これぞ扇絵!と言わんばかりの成熟した作品ですね。
私は昇る月、と見ましたが?


3/3 追記

ぼかし屋のお雛様、木目込みの親王飾りです。
後ろの屏風にご注目を。


酒井抱一の屏風のミニチュアです。
だいぶ以前に琳派の展覧会のミュージアムショップで買いました。
もともとお雛様の後ろは衝立だけでしたが、屏風が加わってオリジナル感が出ました。


展覧会ルポ | 02:00 PM | comments (x) | trackback (x)
サントリー美術館で開かれた「扇の国」展を見てきました。



友禅染や刺繍の着物の模様としてお馴染みのモチーフのひとつである扇。
扇そのものを描いたり、扇の形の中に花鳥を描いたり。

紅水浅葱段扇夕顔模様唐織 19世紀

と、ここまでは想像の範囲内でしたが、
これまでまったく知らなかった事も紹介されていました。

檜扇 春日行幸次第(かすがぎょうこうしだい)鎌倉時代(図録より)

この扇に書かれているのは儀式の式次第や要点のメモ
扇のオオモトは「メモ帳」だったそうなのです。

紙がない、あるいは極めて貴重だった時代、代わりに木簡が使われていたのをご存じでしょうか。薄く細く切り出した木の上下に穴を開け、紐を通して巻物状につないだものです。そこに文章を書いて記録に使っていたわけです。

昔むかし、奈良時代~~お役人同士で、こんな会話があったかも。

「おエライさんの来る儀式の運営責任者になってしまった!間違えたらどうしよう」
「手順をメモして途中でソッと見たいねぇ」
「でも儀式の最中にバサッと木簡を開いたら目立っちゃうよ」
「そうだ!木簡の下の方は開かないように紐を〆ておけばいい。
            上の方にだけ式次第をメモしておくんだよ!」
「なるほど!そうすれば、困った時に片手でちょっとだけ開いて、チラッと読めるよ」
「そうだ、そうだ!」
   ぼかし屋想像

扇の発祥を、そうと知った目で見ると、
確かに檜扇は下側の開かない木簡ですよ!^-^;

解説によれば、次第とは「先…次…次…」と儀式の進行を箇条書きで記したもので、
とも呼ばれたそうです。

内裏上棟次第 15世紀中頃(図録より)
いずれも行幸や上棟式のような儀式を、お役人たちが滞りなく行うのに役に立っていたのですね。
藤原道長と同時代を生きた藤原実資の日記にこんな記述があるとか…

「儀式でヘマをした人がいて面白いから扇に書き留めておいたら、家族が知らずにヨソの人にその扇を渡してしまったので、バツが悪いことになってしまった」

手近な日記でもあったのですね。この実資さんが扇メモも駆使して取材したことを文書として書き留めた日記「小右記」は、道長の時代を知るための重要な資料だそうですよ。
解説によれば、男性が衣冠束帯で儀式に臨む時に手に持つ(しゃく)も式次第などのカンニングペーパーだったことが確認されているそうです。ヘラ状の部分の内側に挨拶文なども書いておいたことでしょう。

扇は平安時代には重要な装身具ともなり、美しい絵を描いた檜扇、お雛様が持っているような、が発達。


紙の普及もあって室町時代以降、軽くて薄く折りたためる紙扇が主役となり現代に至っております。
檜より紙の方が精密な絵を描くことができるので、扇は絵を描く創作の場ともなり、扇を消耗品として終わらせるのではなく、優れた扇絵を保存することも工夫されました。


  扇面貼交屏風 16~17世紀 (画像はNHK日曜美術館アートシーンから)



狩野元信らの印のある扇画が、保存のために扇骨からはずされて屏風に貼られたものだそうです。たしかにモトは扇だったことがよく分かります。


 図録から

ここに貼られた扇絵は 素人の私が見ても素晴らしい画力、技術で、高度なものばかりでした。買い集めた人も、貼って保存した人も見る目がありました<(_ _)>
こういう屏風が呼び水となって、意匠として扇の形を散らせた中に花鳥や源氏絵を描いた屏風や襖が制作されるようになったわけです。


  扇面流図(名古屋城の襖絵)江戸初期

当時扇を水に流し、浮き沈みして流れゆく扇を愛でる遊びがあったそうです。この屏風はその情景を描いたもので、それぞれの扇の中に意匠を凝らした扇画が描かれています。


 拡大図

そして扇の形は着物の模様へとススム、だったのです。。

嬉しいことに我が鈴木其一の扇も展示されていました。

朝顔図 鈴木其一
あっさりと白い紙に描かれた朝顔、写実的でした。

今回のように古い時代からの展示をみてくると、其一のように江戸時代も中期~後半の美術品はさすがに新しく保存状態もいいです。

こんな展示も。日本で扇型を言えば長崎の出島
シーボルトが製作した出島図の復刻版が展示されていました。

東京のオランダ大使館は出島に因み、上空から見ると扇の形の建物だそうです。埋め立てられた出島は見る影も無くなっていましたが、今は少しずつ復元中です。

最後にBS日テレの番組「小さな村の物語イタリア」の一コマをご紹介。
                (ゴージオ ダッローシャ村 1/19)

ダイニングキッチンで食事をするご夫婦。キッチンの壁紙は扇画です。
それらしく言うなら「扇面散らし図御台所壁画」でしょうか(^^♪


展覧会ルポ | 02:20 PM | comments (x) | trackback (x)
東京手描き友禅を誂える時は色々なご希望を承ります。日本古来の文様でないことも多いので、機会があれば他の分野の美術品も見て勉強させてもらっています。
今回はハイジュエリーの老舗ショーメの展覧会にいってきました。



 麦の穂をデザインした有名なティアラがチラシの表を飾っております。


 チラシ裏側


 右端の変わった形のネックレスはクリスタルで作られた白い蛸にダイヤがあしらわれたもの。モチーフは植物が一番多いのですが、昆虫、鳥も多くデザインの創意を凝らしてきた歴史を感じました。
中央下に大きく写るダイヤのネックレスも麦の穂のデザイン。


精密なデザイン画も見られたのが展覧会のよいところ。お店では見られませんから。
いえいえ、お店には入ることも出来ません~(^^;)
銀座通りに面したショーウインドウくらいは眺めたいものですが、ほら!入口に威厳のある男性が立っておられますよね、気になってしまうので、ショーウインドウだけとはいえ足を止めるか止めないか位の速度でサッと見るだけ、なのですよ~~(^^;)

 会場内に撮影コーナーがありまして、展示品のいくつかが画像化されていて写すことができました。

髪飾り。日本の簪のようですね。


ブローチ。
鳥の形で尾羽の部分に本当の羽根を指すことができます。
(チラシに小さく写っていますよ)
このように複数の用途のある作もかなり見られました。
ベルトと首飾り、ヘアバンドなど。

パンジーのティアラ


 展示の実物は花びらのカーブが柔らかく、
硬いダイアで作られていることを忘れそうでした。

 ショーメはナポレオン時代以来240年もの歴史があるそうです。
ナポレオンがローマ法王に贈呈したという宝冠の展示もありました。


        写真は図録から
 豪華ですが、解説によれば長い歴史のなかで宝石が外されたりナポレオンを示す模様が削られたり色々あったそうです。
今のフランシスコ法王様は質素な方だそうですが、儀式によってはこのような宝冠をおつけになることもあるのでしょうか。

この展覧会は9/17まで。丸の内の三菱一号館美術館にて。
展覧会ルポ | 12:09 AM | comments (x) | trackback (x)

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