展覧会ルポ

 
日本の手描友禅の模様の参考に
イギリスの模様の展覧会を観てまいりました。

ウィリアムモリスとイギリスの壁紙展 そごう美術館(6/2まで) 

このチラシの模様を私が見た時につい思ってしまうのは
「よくある感じの模様だね」です。
でも、こういう感じの模様は古来あったのではなく、最初に本格的に壁紙や布の模様として製造したウィリアム・モリス(1834~1932)の業績を紹介する展示です。


とても魅力的な模様が図録の後カバーに印刷されています。
菊をモチーフにした構成。牡丹も入っていて日本の影響を受けているそうです。色合いを変えていくつものパターンで壁紙を制作。


古くから絵画や金銀の細工で壁を飾れた王侯貴族は別として、市民が自宅を飾り始めたのはそれほど古くないそうです。産業革命の結果、製造力も市民の購買力も上がって19世紀を迎え、そういう時期に画家でもあったウィリアム・モリスが、生活を取り巻く物品にも美しさを、という考え方で多くの作品を発表したわけです。

この菊の壁紙で飾った部屋の再現コーナーもありました。
(再現コーナーは撮影可)

カーテン、テーブルクロス、クッションカバーそして壁紙

現在の生活にある様々な布類に複雑にパターンを組み合わせた模様を染めたり織り出したりしています。

    図録の中から紹介

ノーベル賞の選考委員会は「その業績の元になった研究、その研究者」を探すそうです。それと同じことを感じました。
いわゆる唐草文様は大昔からありましたから、葉がモチーフとして左右対称など平面に並ぶ模様なら珍しくなかったのですが、それをパターンの一部として複雑に組み合わせて構成したのはモリスが最初。その図案は見ていてとても勉強になります。


こちらはミュージアムショップで買ったクリアファイルの模様。
とても大胆ですが、自然な組み合わせになっています。


葉をパターン化した壁紙。
本当に「よくある感じ」ですが、商品として売られ続ける中で、様々な他の商品のデザインのもととなっていったために「よくある感じ」に見えるわけです。

ヒナギクのパターン。


ふと気づいたのですが、ぼかし屋のファクスが置かれている台のレース。

このようなパターン模様を最初に本格大量生産販売したモリス。その影響のもと、今の身の回りの様々な商品のデザインがあるのですね。

少々脱線しますが、野々村仁清。


写実的で鮮やかな花の描写は、室町期以降、屏風絵や掛け軸には珍しくありませんでしたが、最初に壺に焼き付けたのは彼。
この壺を見るとつい「よくある感じ」を抱いてしまいますが、江戸初期当時とても画期的な試みと技術だったのでした。

もっと有名な例が元祖アニメと言われる鎌倉期の鳥獣戯画

今のアニメと同じ、とつい思ってしまいがちです。
鳥獣戯画の方が大々先輩なのを忘れないようにしなければ。
作者は確定していませんが、ノーベル賞の価値がありますよね。

そういうモノが無い環境で、そういうモノがを創り出した方々のすごさを、そういうモノが溢れている今の私たちはウッカリ忘れがちかもしれないと、見慣れた感のあるモリスの壁紙を見ながら思いました。

最後に会場の再現コーナーの写真で、モリスの模様を現代にアレンジした部屋をご覧ください。

すてきです。


展覧会ルポ | 01:21 AM | comments (x) | trackback (x)

前回ブログの続編、追加版です。

奈良時代のメモ帳からスタートしたとはいえ、形が末広がりであったことから扇は実用兼、縁起物としても喜ばれ、安土桃山期には絵師たちが扇絵に腕を振るうようになります。長谷川等伯や狩野派も扇を製造販売していたという説もあるそうです。
そして江戸初期に現れた琳派の祖、俵屋宗達。「俵屋」ブランドの扇は優れた扇絵で大人気だったそうです。


      画像は日本美の昇華、朝日新聞社より

2点とも和歌扇面。上が椿下絵、下は橋に波下絵
本阿弥光悦と俵屋宗達のコラボ作です。かの有名な鶴下絵和歌巻と同じ雰囲気で、
扇だった時の名残り放射線状の筋となって残っています。
扇は長期保存に向かないので、扇骨から絵を外して平に戻し、このように保管したのです。
ただ保管するより楽しめるように工夫されたのが、扇貼り交ぜ屏風


醍醐寺所蔵、醍醐寺展図録より

解説によれば、宗達の死後に製作されたと考えられていて、扇絵をただ列に並べるのではなく、散らし風にしておしゃれな配置となっています。扇の向きを変えたり、柄の部分を描いたり描かなかったりして変化をつけています。


扇は水に流したり、畳の上で投げたりして遊ぶものでもあったので、「扇を散らした図」は発想しやすい構図だったのかもしれないと思います。
宗達は江戸初期の画家です。今はよくある○○散らし、例えば花散らし、貝散らし、といった構図の初期の作品にあたると思います。

一方こちらは、始めから屏風絵にするために宗達が描いた扇散らし図。


フリーア美術館所蔵(画像は同館のホームページのダウンロードサイトより)

扇絵を貼ったのではなく、広い画面に扇を散らせた図柄を、宗達が構成して描いたものです。閉じた扇を混ぜたり、重ねたり。文字通り扇を散らせた構図です。

画像は屏風を真っすぐにして写した状態ですが、本来の屏風として飾られた写真があります。平面なのとは迫力が違いますよ。


      NHK BS放送「江戸あばんぎゃるど」の映像より

屏風全体で見た時の色のバランスも考えてあり、色調がすばらしいです、と申し上げるのもおこがましいですが。
「江戸あばんぎゃるど」は明治以降に米国へ流出した日本美術品、主に屏風などの絵画と、その流出経路、現在の保管状況のドキュメントで、今年1月に放送されました。
所蔵しているフリーア美術館チャールズ・ラング・フリーアの明治期の収集品を基に設立されました。
彼は「宗達の再発見者」とされていて、つまり明治期の日本人は宗達を評価することがなかった、そうです(T_T)
米国に渡ったから大切にされてきた面もあり…
遺言により所蔵品は門外不出。ワシントンDCの中心地にあるそうですが、観に行くには遠すぎます(T_T) かの「松島図屏風」もフリーアにあるのですよ~

〆のご紹介は酒井抱一の扇そのもの。


     武蔵野図扇面(上野 国立博物館の展示より)

解説文によれば、秋の武蔵野に昇る、または沈む月を描いているそうです。
宗達から約100年、これぞ扇絵!と言わんばかりの成熟した作品ですね。
私は昇る月、と見ましたが?


3/3 追記

ぼかし屋のお雛様、木目込みの親王飾りです。
後ろの屏風にご注目を。


酒井抱一の屏風のミニチュアです。
だいぶ以前に琳派の展覧会のミュージアムショップで買いました。
もともとお雛様の後ろは衝立だけでしたが、屏風が加わってオリジナル感が出ました。


展覧会ルポ | 02:00 PM | comments (x) | trackback (x)
サントリー美術館で開かれた「扇の国」展を見てきました。



友禅染や刺繍の着物の模様としてお馴染みのモチーフのひとつである扇。
扇そのものを描いたり、扇の形の中に花鳥を描いたり。

紅水浅葱段扇夕顔模様唐織 19世紀

と、ここまでは想像の範囲内でしたが、
これまでまったく知らなかった事も紹介されていました。

檜扇 春日行幸次第(かすがぎょうこうしだい)鎌倉時代(図録より)

この扇に書かれているのは儀式の式次第や要点のメモ
扇のオオモトは「メモ帳」だったそうなのです。

紙がない、あるいは極めて貴重だった時代、代わりに木簡が使われていたのをご存じでしょうか。薄く細く切り出した木の上下に穴を開け、紐を通して巻物状につないだものです。そこに文章を書いて記録に使っていたわけです。

昔むかし、奈良時代~~お役人同士で、こんな会話があったかも。

「おエライさんの来る儀式の運営責任者になってしまった!間違えたらどうしよう」
「手順をメモして途中でソッと見たいねぇ」
「でも儀式の最中にバサッと木簡を開いたら目立っちゃうよ」
「そうだ!木簡の下の方は開かないように紐を〆ておけばいい。
            上の方にだけ式次第をメモしておくんだよ!」
「なるほど!そうすれば、困った時に片手でちょっとだけ開いて、チラッと読めるよ」
「そうだ、そうだ!」
   ぼかし屋想像

扇の発祥を、そうと知った目で見ると、
確かに檜扇は下側の開かない木簡ですよ!^-^;

解説によれば、次第とは「先…次…次…」と儀式の進行を箇条書きで記したもので、
とも呼ばれたそうです。

内裏上棟次第 15世紀中頃(図録より)
いずれも行幸や上棟式のような儀式を、お役人たちが滞りなく行うのに役に立っていたのですね。
藤原道長と同時代を生きた藤原実資の日記にこんな記述があるとか…

「儀式でヘマをした人がいて面白いから扇に書き留めておいたら、家族が知らずにヨソの人にその扇を渡してしまったので、バツが悪いことになってしまった」

手近な日記でもあったのですね。この実資さんが扇メモも駆使して取材したことを文書として書き留めた日記「小右記」は、道長の時代を知るための重要な資料だそうですよ。
解説によれば、男性が衣冠束帯で儀式に臨む時に手に持つ(しゃく)も式次第などのカンニングペーパーだったことが確認されているそうです。ヘラ状の部分の内側に挨拶文なども書いておいたことでしょう。

扇は平安時代には重要な装身具ともなり、美しい絵を描いた檜扇、お雛様が持っているような、が発達。


紙の普及もあって室町時代以降、軽くて薄く折りたためる紙扇が主役となり現代に至っております。
檜より紙の方が精密な絵を描くことができるので、扇は絵を描く創作の場ともなり、扇を消耗品として終わらせるのではなく、優れた扇絵を保存することも工夫されました。


  扇面貼交屏風 16~17世紀 (画像はNHK日曜美術館アートシーンから)



狩野元信らの印のある扇画が、保存のために扇骨からはずされて屏風に貼られたものだそうです。たしかにモトは扇だったことがよく分かります。


 図録から

ここに貼られた扇絵は 素人の私が見ても素晴らしい画力、技術で、高度なものばかりでした。買い集めた人も、貼って保存した人も見る目がありました<(_ _)>
こういう屏風が呼び水となって、意匠として扇の形を散らせた中に花鳥や源氏絵を描いた屏風や襖が制作されるようになったわけです。


  扇面流図(名古屋城の襖絵)江戸初期

当時扇を水に流し、浮き沈みして流れゆく扇を愛でる遊びがあったそうです。この屏風はその情景を描いたもので、それぞれの扇の中に意匠を凝らした扇画が描かれています。


 拡大図

そして扇の形は着物の模様へとススム、だったのです。。

嬉しいことに我が鈴木其一の扇も展示されていました。

朝顔図 鈴木其一
あっさりと白い紙に描かれた朝顔、写実的でした。

今回のように古い時代からの展示をみてくると、其一のように江戸時代も中期~後半の美術品はさすがに新しく保存状態もいいです。

こんな展示も。日本で扇型を言えば長崎の出島
シーボルトが製作した出島図の復刻版が展示されていました。

東京のオランダ大使館は出島に因み、上空から見ると扇の形の建物だそうです。埋め立てられた出島は見る影も無くなっていましたが、今は少しずつ復元中です。

最後にBS日テレの番組「小さな村の物語イタリア」の一コマをご紹介。
                (ゴージオ ダッローシャ村 1/19)

ダイニングキッチンで食事をするご夫婦。キッチンの壁紙は扇画です。
それらしく言うなら「扇面散らし図御台所壁画」でしょうか(^^♪


展覧会ルポ | 02:20 PM | comments (x) | trackback (x)
東京手描き友禅を誂える時は色々なご希望を承ります。日本古来の文様でないことも多いので、機会があれば他の分野の美術品も見て勉強させてもらっています。
今回はハイジュエリーの老舗ショーメの展覧会にいってきました。



 麦の穂をデザインした有名なティアラがチラシの表を飾っております。


 チラシ裏側


 右端の変わった形のネックレスはクリスタルで作られた白い蛸にダイヤがあしらわれたもの。モチーフは植物が一番多いのですが、昆虫、鳥も多くデザインの創意を凝らしてきた歴史を感じました。
中央下に大きく写るダイヤのネックレスも麦の穂のデザイン。


精密なデザイン画も見られたのが展覧会のよいところ。お店では見られませんから。
いえいえ、お店には入ることも出来ません~(^^;)
銀座通りに面したショーウインドウくらいは眺めたいものですが、ほら!入口に威厳のある男性が立っておられますよね、気になってしまうので、ショーウインドウだけとはいえ足を止めるか止めないか位の速度でサッと見るだけ、なのですよ~~(^^;)

 会場内に撮影コーナーがありまして、展示品のいくつかが画像化されていて写すことができました。

髪飾り。日本の簪のようですね。


ブローチ。
鳥の形で尾羽の部分に本当の羽根を指すことができます。
(チラシに小さく写っていますよ)
このように複数の用途のある作もかなり見られました。
ベルトと首飾り、ヘアバンドなど。

パンジーのティアラ


 展示の実物は花びらのカーブが柔らかく、
硬いダイアで作られていることを忘れそうでした。

 ショーメはナポレオン時代以来240年もの歴史があるそうです。
ナポレオンがローマ法王に贈呈したという宝冠の展示もありました。


        写真は図録から
 豪華ですが、解説によれば長い歴史のなかで宝石が外されたりナポレオンを示す模様が削られたり色々あったそうです。
今のフランシスコ法王様は質素な方だそうですが、儀式によってはこのような宝冠をおつけになることもあるのでしょうか。

この展覧会は9/17まで。丸の内の三菱一号館美術館にて。
展覧会ルポ | 12:09 AM | comments (x) | trackback (x)
サントリー美術館ですばらしい器を見たので紹介いたします。
終わってしまった展覧会で恐縮ですが…

  「寛永の雅」サントリー美術館


 このパンフレットに写っている孔を開けた白い鉢。
会場に入るなりドキッとする存在感を放っていました。


 白釉 円孔 透鉢  野々村仁清

 展覧会のテーマである江戸寛永期の美術に沿う現代の前衛アーテイストの作品かと思いきや、野々村仁清の作品でした。
 鉢に穴をあしらう造作は江戸前期の乾山や道八にもあるようで「透かし鉢」と呼ぶそうです。でもそれらはあくまでも描いた絵を効果的に生かすための空間として孔を開けたもの。
ところがこの鉢はご覧の通りランダムにあけた孔そのものが主人公
 どうしてこれほどの創作を江戸前期という何百年も前に成し得たのでしょう。
オドロキです。



会場で見た時は、孔は片抜きではなく、竹ヘラ状の何かで手でくり抜いたように思われましたが、図録の解説では型抜きしているそうです。

 仁清と言えば思い浮かぶ作品は、派手な色絵や、色使いと幾何学的な面白さ


色絵 芥子文 茶壺      色絵 鱗波文 茶碗

または渋く


銹絵 富士山文 茶碗           白濁釉 象嵌 桜文茶碗 

 それから私が仁清を好きになったキッカケの作品

 色絵 武蔵野文 茶碗
  
といったところでしょうか。
このような作品を作っていた人が、どういうツナガリでこの白い鉢を「作ろう!」と思い至るのでしょうか。
現代のように溢れる映像や製品から刺激を受けることは出来ない、はるか昔に。

本日取り上げた仁清のうち茶碗と鉢はみな縁の部分は真円でなく不均等にズレています。上から見ても横から見ても。

特にこの白い透かし鉢は縁もシルエットも孔の開き方、配置もすべて不均衡
それで美しいのですから、天才はいるものだと思うばかりです。

 帰宅してから手持ちの図録を確認しましたら、2014年に出光美術館で開かれた
「仁清・乾山と京の工芸」展の展示作から仁清の透かし鉢を見つけました。


 白釉 菊花 七宝文 透彫 木瓜型鉢

 当時は友禅染の模様の参考としてしか仁清をみていなかったので、
色絵物以外はスルー。記憶に残っていませんでした。今回再認識です。


展覧会ルポ | 05:17 PM | comments (x) | trackback (x)
サウジアラビアとても古い織物を見る機会がありました。


※会期延長されています。5/13まで東京国立博物館の表慶館で開催中。

いずれも紀元前3世紀~後3世紀のもの。


羊毛で人物を織り出したもの。


亜麻で細かい幾何学模様を織り出したもの。


羊毛のチェック柄


一緒に掘り出された紡錘車や針、糸玉

糸を染めつけて、このように細かい技術で模様を織り出していたのですね、驚きました。
正倉院御物よりはるかに古い時代のものです。

 印象深かったのは、紀元前1世紀~8世紀のガラスの製品たち


何となく東洋っぽく親しみがわくのは…… おそらく形。
お鉢なのです。西洋風の皿やグラスではなく、深みのある様々な形の鉢型。



写真では陶磁器に見えてしまうかもしれませんが、みなガラスで透明感もありました。
和食器だと言っても通りそうです。


最後に驚くほど古い遺物を紹介


これは何でしょう?

100万年以上前の石器だそうです。石を削って鋭い角を作り、獲物をさばくのに使用したものだそうです。ゲンコツくらいの大きさ。
斧など石器の刃物にいたる前の道具で、アフリカで誕生した人類がアラビア半島を通ってユーラシア大陸へ拡散する過程の遺物とのこと。まだネアンデルタール人が共存していた時期ですよね!!


紀元前6000年位になると石の錐など鋭い石器が作られたそうです。

100万年前から6000年前へ……私たちの祖先は石器をこのように尖らせるのに、膨大な時間がかかったのですね。
江戸時代からの手描き友禅、なにやらチンマリした感じの技術に感じてしまいます(^^;)


追記 2018年9/26  ブログ内容を訂正いたします。
NHK BS放送「人類誕生 未来編」によれば、180万年ほど前にアフリカで生まれたホモ・エレクトスがやがてインド、東南アジアへ進出(北京原人やジャワ原人と呼ばれる)したので、アラビア半島で発見された100万年前の石器はホモ・エレクトスの遺したもの。私たちサピエンスではないのでした。
エレクトスは狩りを行って肉食し、感情を持ち社会生活と営んだ最初の人類で、老人を扶養した事が分かっているそうです。(高齢のため歯が欠落した頭蓋が出土)
ちなみに、
ネアンデルタール人の登場は40万年前~35万年前、ホモ・サピエンスは20万年前くらいにアフリカで生まれており、この時期はアフリカのサピエンス、ヨーロッパのネアンデルタール人、アジアのホモ・エレクトスという3種の人類が併存していたそうです。
なんだか…すごい…

展覧会ルポ | 08:38 PM | comments (x) | trackback (x)
長年見たかった屏風にやっと対面してきました。


 日月松鶴図屏風(室町時代)

 このように完全な形(六曲一双)で残っている屏風としては、とくに彩色画を描いた金屏風としてはおそらく一番古い時期の作例だそうで、ぜひ一度観たいと思いつつ、なかなか機会がなかったのでした。
 室町時代のいつなのかも作者も不明とのこと。


 想像していたより色が美しく、重厚な松だけでなく、
色々な植物が描き込まれていました。
 解説によれば、春を表わす右側にはタンポポやスミレ、ツツジが、秋を表わす左側には藪柑子やアシなどいずれも身近な植物が描かれているそうです。
 金色を背にした鶴の色がよく残っているわりには、下の花々がこのように黒ずんでいるのは銀が使われているのかもしれません。上の方が金色、下の方が銀色できっと華やかな豪華な屏風だったのではないでしょうか。


 写真(絵葉書をスキャン)では写りが悪いのですが、マナヅルの羽根の色合いはエメラルドブルーからブルーグレー、グレーへのグラデーションでした。
 同じ室町時代といっても狩野派や長谷川等伯などが活躍した安土桃山期より古く、彼らが先輩絵師の作として参考にしたかもしれない屏風です。
 いったい誰が、誰の注文で描いたのでしょうか。

 この屏風の展示はもう終わりましたが、今はもっと著名な作品が展示されていますよ。


 雪松図屏風 円山応挙(国宝)

場所は三井記念美術館、2/4まで


最後に、日本画ではあまり見かけない枇杷を描いた図を紹介!(^^)!
お目出度い図柄だそうです。


 枇杷寿帯図(清朝、乾隆帝時代)

展覧会ルポ | 11:24 PM | comments (x) | trackback (x)
着物といっても種類は様々ですが、上野の国立博物館で見た火事装束には驚きました。


  火事装束 紺木綿地 刺子 人物模様(19世紀江戸時代)


解説によれば、鳶(とび)職たちが担った町方火消しの装束だそうです。


 木綿生地に刺し子をして丈夫にしてあります。確かに刺し子になった布に水を掛ければ火が燃え移りにくかったことでしょう。

 この派手な装束で消火作業をしたのですね。
無事に鎮火すると、裏の派手な描き絵を見せて歩いたそうです。何人も組んで肩で風を切って歩いたことでしょう。
火事と喧嘩は江戸の華と言ったそうですが、といえば、


火事装束 猩々緋 羅紗地 波鯉模様 (抱き茗荷紋)19世紀江戸時代

この真っ赤っかの火事装束は大名家の装束だそうです。

 頭巾も付ければ全身燃え立つようですね。

 女性用で火事に備えて用意していたものだと解説されています。抱き茗荷はどちらのご家中でしょうか。胸元も凝っています。


それにしても華やか。これで江戸の町をのし歩く機会はなかったと思うものの…
「火事だ!」という一大事で、お姫様がこんな装束に着替えようという発想が面白いですね。
 遠目には鳥の模様が刺繍されているかに見えましたが、近づくと鳥はワッペン状になっています。

この羽根の先が生地から浮き上がっているのは、縫いがとれてしまったのか、わざと飛んでいる雰囲気を出すべくわざと縫い付けなかったのか、どちらでしょう!(^^)!

いずれにしても目立つことが目的のような意匠です。

 江戸時代までの日本人、特に江戸っ子は陽気で踊り好き、自己顕示欲も強く遊び上手でラテン気質だったと聞いたことがあります。
そういえば源平武者の鎧は五色に彩られていたし、秀吉や政宗など戦国武者の派手さも有名。信長は宣教師も驚く和洋折衷の装いで目立っていたらしい…
今の私たちの横並び意識の強さは明治以降の学校教育の結果でしょうか~~??(+_+)

展覧会ルポ | 04:52 PM | comments (x) | trackback (x)
本日の展覧会ルポは、「観て来た」ではなく「観に行けない」展覧会のご案内です。
<(_ _)>



 江戸時代の画家、長澤芦雪(ろせつ)の展覧会が愛知県美術館で開かれています。
円山応挙の弟子での中でも異色の面白さ、大胆さで有名です。
ぜひ見たいものの新幹線代の負担は重いので、東京からテレビ「日曜美術館」を見ただけで我慢、我慢。
名古屋方面の方、めったにない展示なのでお出かけなってみてください。

https://www-art.aac.pref.aichi.jp/exhibition/index.html
(11月19日まで)
日本画に興味がない方でも、アニメや動物がお好きでしたら是非!


こちらは朝日新聞に取り上げられた記事で「虎図襖」が大きく写っています。
この襖は和歌山県串本町の無量寺の方丈の左側の絵で、応挙の名代として出向き芦雪が描いたそうです。


反対の右側は龍の図。(NHKテレビ画像より)

動物画は迫力のクローズで、なおかつ可愛らしさがあります。

「白象黒牛図襖」




こういう大きな動物の側に描かれた小さい存在にご注目

      像の背中に、何やら騒いでいるカラス


      牛のお腹にのほほんとした子犬


 子犬だけを描いた作品も展示されるはず。
東京に巡回の予定がないようなので残念です。

2017年は春に京都で海北友松、秋に大阪で葛飾北斎、名古屋でこの長澤芦雪といずれも必見の展覧会が続き、東京モンとしてはどれも観られず無念です。(*_*;


展覧会ルポ | 02:47 PM | comments (x) | trackback (x)
日本画の祖といえば、と聞かれたら狩野元信の名を挙げる方も多いのでは?
雪舟と同じく室町時代後期、つまり戦国時代を生きた人で、かの狩野永徳の祖父、実質的な狩野派の創業者です。
孫の狩野永徳、曾々孫の狩野探幽と違い元信にスポットを当てた展覧会は珍しいのでサントリー美術館に見に行ってきました。



代表作、もと大徳寺大仙院に飾られていた襖絵(一部) 写真は図録から。


 この滝の表現が凄いのです。


私たちは、たとえば葛飾北斎など江戸期の絵師が水をこのように大胆な線描で表現するのを知っているので、この絵を見ても目新しくない気がしてしまいます。実は元信のほうが遥かに古い時代なのですね。


図録などの解説で知ったのですが、水墨画から出発した元信は土佐派など色鮮やかに彩色する大和絵の技法を学び、融合させた最初の絵師だそうです。
何事も最初にした人が評価されるべき!という目で見ると、伊藤若冲の極彩色かつ細かい表現の鳥たちも、「モトは元信」な気がしてきました。

同じく大仙院の襖絵(一部)


鳥の彩色は大和絵由来、その写実性は水墨画由来、岩の力強い写実表現は墨絵そのもの。なるほど!

表現というなら、こちらも印象的です。(写真は図録から)

たゆたう霧、流れる水流、水の表現が何ともキレイ。

面白い展示もありました。
元信自身直筆の下絵だそうです。





サッサッサと、あるいはチョコチョコと描いた動物が何だか可愛く、ほほえましい雰囲気があります。この下絵を利用したと思われる作品は複数あるそうですが、その一つが

四季花鳥図屏風(一部)


金箔を貼った上に描いた絵を「金碧画」と呼びますが、秀吉や家康の時代に活躍した狩野永徳、長谷川等伯、海北友松らの国宝になっているような金碧画からみると、この絵が大先輩にあたるそうです。

一番面白かった絵は
    養蚕機織図屏風


養蚕から機織りして絹地を織りあげるまでの各工程を描き込んだ屏風です。




この時代の墨絵はどうしても中国の名勝や風景か仙人画のような決まり事のある画題が多いので、働く人々を画題にしたものは初めて観ました。
中国へ渡ったことはない元信。この養蚕風景は日本の作業の様子をかの国の人々が行っているように見立てて描いたのでしょう。
手描き友禅にとって欠かせない材料第一である絹。すべて手作業の時代、蚕を育て、糸をとり、機織りして作っていたのですね~と風俗画を見る気持ちで眺めたことでした。

最後にご紹介するのは明代の中国絵画。

 四季花鳥図 呂紀(明代)


足利将軍が南宋の文物を珍重したことは有名ですが、この絵は明代のもの。狩野派などの絵画はもちろん着物の模様表現の原点と言えるような描写ですね。「モトはここなのか」です。
作品入れ替えがあり、これからの時期の方が著名な作品が多いようです。11月5日まで。もう一度行ってみようかと思案中…。(*^。^*)


展覧会ルポ | 10:12 PM | comments (x) | trackback (x)

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