2023,05,18, Thursday
赤いスポーツ車
素敵な赤!
実は先日5月7日まで放送されていた
NHK BSのドラマ「グレースの履歴」の放送画面を写したものです。
おとぎ話的なストーリーが魅力的でした。それ以上に
映像がとてもとても美しく、紹介したいと思います。勝手に紹介、なのですが(^^;)
紹介したい一番のポイントは
赤の美しさと配置です。

画面の中の赤色。赤は強い色ですが、ストーリー自体はセピア色やワビサビのグレーな世界。その中に赤い車を馴染ませるように
要所に赤色が置いてあるのです。
NHKの放送ですが車名(社名)は明らか。
車は
HondaのF800というスポーツカーであることが重要な意味を持っています。
四輪車メーカーとして創成期の作品だそうです。

街から街へ巡るストーリー。途中の風景も撮影の苦労が偲ばれます。彼岸花はどこでも咲いているわけではないですから。

フロントガラス一杯の夕焼けは見事でした。

主人公が縁あって訪問した仁科オートサイクル。二輪車の修理工場。
大看板は赤です。焦げ茶色の背景によく合っていますね。
壁面の窓ガラスに車の赤が写っていますよ。
その親父さんと車を前に語らう場面。

渋カッコイイ親父役、宇崎竜童さんの
足元をご覧ください。
真っ赤な靴下。こういうことは演出家が手配するのか俳優さんのアイデアなのか…知りたいところです。親父さんは別の画面(靴下が写らない)では作業服から覗く襟巻が赤でしたよ。

修理工の親父さんの
若かりし頃の思い出場面。昔この車を修理したことがあったのでした。

石造りの背景に赤い車。覗き込む若者。

彼の
工具入れはもちろん赤。

テレビ画面を素人カメラで写しているので限界を感じます。放送では
もっと陰影が美しかったので残念です。
再放送があると期待しております。
このスポーツカーは栃木県茂木市にあるHondaのコレクションホールで見ることが出来ます。Hondaのテーマパークの中にあり、二輪、四輪の往年の名車やF1カー、最新型まで展示されています。
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東京手描き友禅 模様のお話 | 07:02 PM
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2022,05,05, Thursday
東京手描友禅、模様の参考に、友禅染の柄行きに
重い軽いという言い方をする意味は?
振袖の柄行きのお話が前回のブログでした。
全身に均等に模様があるより、模様の多い所と少ない所を作った方が、友禅染の振袖や訪問着は綺麗に見えるというお話でした。
上前の左胸や膝の辺りで模様を多くすると友禅染が綺麗に見えることは
「様式美」となっていて、
礼装の着物をデザインする時の原則のようになっているのでした。
本日はその続きです。

こちらはぼかし屋の訪問着。
全体に紅葉が流れていますが、紅葉の配置は原則通りです。
姉様畳みで
着装した場合の様子を想像しやすくした写真。
下前(右胸)には紅葉はありません。地色も衿を境に左右の胸で違う色(ピンクとベージュ)が向かい合うような配色です。
手描き友禅の誂え染めで柄行きを決める時、模様が多い部分を指して
「柄が重い」といいます。他にも
「この辺の模様を重くしよう」などと言います。
「少し重すぎるから、野暮にならないように軽くした方がいい」とか。
どの辺りに紅葉を多くして、柄を重くするかは本来は自由で決まりがある訳ではないのですが、やはり様式美を意識して友禅模様の
軽重を考えると綺麗に落ち着くのです。
裾模様。褄下の線を境に、写真右側が上前(着た時に前膝辺りにくる部分)左側は下前(上前の下に入り込む部分。歩くと見える)。
やはり模様の重いポイントや地色が左右で重ならないよう
互い違いになっています。
振袖や訪問着といった手描き友禅の着物は、
衣桁に飾れば日本画のように、着ると模様に軽重のある粋さが求められていると考えております。
理想ですね!
柄行きを考えている時に原則に戻って手直ししてスパッとはまると、伝統には勝てないなと思います。
(^^;)
東京手描き友禅 模様のお話 | 05:35 PM
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2021,09,19, Sunday
このところ訪問着のための
蘭の模様の図案を描いています。
全体に蘭の濃淡と、地色も淡いグリーンからクリーム色の濃淡にする予定。
なかなかに
苦戦しています(^^;)
何をと言って、蘭の形が決まらない…
昨日、ヨシ!と思っても、
今日、ダメだ…を繰り返しておりまして。

一度決めた姿を調整しています。

調整につぐ調整で、頭の中の完成図がグラつきます。(T_T)

少しずつ良くなっていると思いたい日々です。
関東はまだ暑さが残るものの、空気がカラッとして、しのぎやすくなりました。
引き染めに向いた季節がやってきます。
急がないと。
東京手描き友禅 模様のお話 | 10:33 PM
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2015,03,20, Friday
工芸職人の地位・桜紋様の拳銃を見て
NHKに歴史ヒストリアという番組があります。
先日「桜田門外の変の主犯は水戸斉昭!」という内容で放送されていました。
何でも最近アメリカで発見された古い拳銃が、その箱書きや諸状況から井伊直弼の命を奪った銃だと分かったそうです。井伊直弼はまず発砲で致命傷を受け、動けなくなったところを刀で止めを刺されたことも水戸家に残る検案書などから分かっているそうです。
それがこの銃。

(写真は番組映像から)
番組では、この拳銃はペリーが幕府に献上したものを模倣して、
日本で製造された国産品だと紹介していました。
上がペリーの銃の図。アメリカ製の51ネイビーという銃だそうです。
下が直弼を撃った銃。
確かに寸分違いません。模倣元はいかにもアメリカ西部劇に出てきそうですが、
日本国産の方は何とも言えず和風です。
ベリーの拳銃は10丁ほどしかなく、それを手に入れて、「同じ物を作れ」と命じることができたのは、かつ井伊直弼を暗殺する動機があったのは、水戸斉昭。
彼こそ桜田門外の変の主犯だと、番組では論じていました。
歴女である私は、へえ!そうなんですか!と面白く観ました。
でも皆様に紹介したいと思ったのは、
別の観点から見たこの銃です。
銃身に一面に桜が彫り込まれています。
和風に見えるのは、鋼鉄全体が漆のように黒いことと、この桜紋様のためでしょう。
まるで漆塗りのようなイメージです。
モデルであるペリーの銃には彫り物などありませんから、これは製作者の考えで彫られたのです。「模倣せよ」と命じられて、機能を模倣したのに加えて、それ以上に美しい物を作り上げたということです。
「モノづくり日本」という言葉は好きではないのですが、思わず頭をよぎりました。
解説者によれば、強烈な尊王攘夷派だった水戸斉昭のために、天皇をイメージさせる吉野の桜を彫ったのではないかということです。
注文主である斉昭は喜んだことでしょう。そしてこの銃を実行犯になる藩士に渡して暗殺を命じた、と考えられるそうです。
もうひとつ、モノを作る側にとって一番重要なのは、
銃身に実際の製作者の氏名が彫ってあるということです。
これは鉄砲鍛冶の名前
これは桜紋様を彫った職人の名前
これには本当に驚きました。
いわゆる職人の社会的地位は江戸時代には低く、刀工のような特別な工芸職人をのぞけば、工芸品を作った職人の名前が残ることはなかったのです。刀の鍔(つば)や鞘(さや)も立派な工芸品なのに、名刀の銘で残るのは刀工だけ。
尾形光琳のように絵師は芸術家として名前を作品に残せましたが、着物を染めても刺繍をしても名前を作品に残すことはありませんでした。
中世の陶工はすべて無名。芸術家を自認して作品に自分の名をいれた初期の陶工である野々村仁清。彼以降でも献上品を作るときは、はばかって名前を入れなかったり、入れた名前を隠したりということがあったと聞いています。漆芸でも同じ。
比べてこの銃は、水戸斉昭という将軍に準じる身分の人に納めるにあたり、
製作者たちは堂々と名前を残しているのです。嬉しいですね~。
幕末は商人の力が台頭したとは歴史で習うところですが、
職人の地位も上がってきたのでしょうか。
明治期になると、美術工芸品を輸出して外貨を稼ぐという日本の国策に後押しされて、工芸職人の地位は上がっていきました。
不肖ぼかし屋でも誂え染めの着物が出来上がると、最後に下前の裾に落款をおしたりサインを入れたりします。
この習慣はいつ頃からか分かりませんが、大正、昭和になってからだと思います。日本画の画家が落款を入れることに影響されて、誂えの着物に落款が入るようになったのです。
江戸時代はどんな立派な打掛、小袖でも、能衣装でも製作者はみな無名。せいぜい納品した呉服屋さんや織元さん、つまり職人に作らせた人、の名前が分かったりするくらいです。
博物館で立派な刺繍の打掛などを観ると「こんな細かい仕事したのはどんな人だろう」などと考えます。毎日毎日黙々と針を動かし続けたのでしょうね。名前は残らずとも、作品が今日に残りましたよ、とガラス越しに語りかけます。
東京手描き友禅 模様のお話 | 09:01 PM
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