2021,08,04, Wednesday
サントリー美術館で今開催中の、ちょっと面白い展覧会の紹介です。
まずはこちらを。華麗な手箱。
教科書にも載っていたりする
国宝です。

浮線綾螺鈿蒔絵手箱(鎌倉時代)
両手でしっかり持つほど
大振りな作りで、金地を埋め尽くしている螺鈿は剥落も少なく、新しかった時は
揺らめくように輝く箱だったと思われます。
この工芸品だけなら、これまで国宝展などで見る機会はありました。今回の展覧会が面白いのは、手箱を
保管していた箱も展示されていることです。

蓋の裏に
手箱の由来が書かれていて、解説によれば、この手箱は
北条政子の愛用品だったこと、火災や破損を免れ今日あるのは政子の霊力のおかげだと書かれているそうです。
箱は
江戸時代1819年に誂えられたとのこと。
日本史上、有数の女性権力者だった北条政子、さすがの所持品です!

こちらは会場で撮影した写真。
箱と手箱が背中合わせに見られます。一部の除き会場は撮影自由でした。有難いことです。
こちらは展覧会パンフレットの写真から。
同じく鎌倉時代の笛で、
小男鹿丸という銘の「笙」
独特な形が安定するように作られた箱。箱は後世に作られたもの。葵のご紋が見えますね。
他にかの
徒然草の巻と、それを納めた箱など、大変なラインアップでした。
元の箱が傷まないよう、後世さらに箱ごと収める大箱が作られたりしたのです。
現代の日本にも外箱も大切に思うセンスは受け継がれていますよね(^^♪
この展覧会はいくつかのテーマに分かれていて、箱以外にも、たとえば
制作時から姿を変えてしまったものを、
元々の姿を思い浮かべられるようにした展示。

右は
元は絵巻。左は
元々は着物。いずれも今は掛け軸になっています。
絵巻は、持ち主が切り売りしてしまった場合が多いそうです。着物の場合は傷みに少ない綺麗なところだけを軸で飾れるようにしたのではないでしょうか。
どうやら
左身頃の背側を切り取ったようですね。

江戸時代(17世紀)の「舞踊図」
元は
六曲の屏風だったものを舞人ひとりずつに分けて額装されています。江戸初期のファッションがよく分かります。退色していない時は華々しい色調だったことでしょうね。
「よく見ないと分からない」という展示も。
さてこれは?
身分の高い
武家婦人の夏の装いだった「腰巻」です。
一面の
宝尽くし。じっと見ますと、当然ながらすべて
手仕事の刺繍。一面にぎっしりと。

気が遠くなるような仕事ぶりです。
「腰巻姿」は現代ではほぼ見ることがないので、参考例を2点紹介します。

織田信長の妹であるお市の方

黒沢明監督の「隠し砦の三悪人」の一場面より
小袖の上に重ね着した腰巻を上半身だけ脱ぎ落してある着付けで、袖部分が腰の左右に張り出して、立ち姿が豪華になります。
「ざわつく日本美術」展は8月29日(日曜)までサントリー美術館(六本木)にて。
めったにない展示です。ぜひどうぞ<(_ _)>
展覧会ルポ | 04:54 PM
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2019,02,14, Thursday
前回ブログの続編、追加版です。
奈良時代のメモ帳からスタートしたとはいえ、形が末広がりであったことから扇は実用兼、縁起物としても喜ばれ、安土桃山期には絵師たちが扇絵に腕を振るうようになります。長谷川等伯や狩野派も扇を製造販売していたという説もあるそうです。
そして江戸初期に現れた琳派の祖、俵屋宗達。「俵屋」ブランドの扇は優れた扇絵で大人気だったそうです。

画像は日本美の昇華、朝日新聞社より
2点とも和歌扇面。上が椿下絵、下は橋に波下絵。
本阿弥光悦と俵屋宗達のコラボ作です。かの有名な鶴下絵和歌巻と同じ雰囲気で、
扇だった時の名残りが放射線状の筋となって残っています。
扇は長期保存に向かないので、扇骨から絵を外して平に戻し、このように保管したのです。
ただ保管するより楽しめるように工夫されたのが、扇貼り交ぜ屏風。

醍醐寺所蔵、醍醐寺展図録より
解説によれば、宗達の死後に製作されたと考えられていて、扇絵をただ列に並べるのではなく、散らし風にしておしゃれな配置となっています。扇の向きを変えたり、柄の部分を描いたり描かなかったりして変化をつけています。


扇は水に流したり、畳の上で投げたりして遊ぶものでもあったので、「扇を散らした図」は発想しやすい構図だったのかもしれないと思います。
宗達は江戸初期の画家です。今はよくある○○散らし、例えば花散らし、貝散らし、といった構図の初期の作品にあたると思います。
一方こちらは、始めから屏風絵にするために宗達が描いた扇散らし図。

フリーア美術館所蔵(画像は同館のホームページのダウンロードサイトより)
扇絵を貼ったのではなく、広い画面に扇を散らせた図柄を、宗達が構成して描いたものです。閉じた扇を混ぜたり、重ねたり。文字通り扇を散らせた構図です。
画像は屏風を真っすぐにして写した状態ですが、本来の屏風として飾られた写真があります。平面なのとは迫力が違いますよ。

NHK BS放送「江戸あばんぎゃるど」の映像より
屏風全体で見た時の色のバランスも考えてあり、色調がすばらしいです、と申し上げるのもおこがましいですが。
「江戸あばんぎゃるど」は明治以降に米国へ流出した日本美術品、主に屏風などの絵画と、その流出経路、現在の保管状況のドキュメントで、今年1月に放送されました。
所蔵しているフリーア美術館はチャールズ・ラング・フリーアの明治期の収集品を基に設立されました。
彼は「宗達の再発見者」とされていて、つまり明治期の日本人は宗達を評価することがなかった、そうです(T_T)
米国に渡ったから大切にされてきた面もあり…
遺言により所蔵品は門外不出。ワシントンDCの中心地にあるそうですが、観に行くには遠すぎます(T_T) かの「松島図屏風」もフリーアにあるのですよ~
〆のご紹介は酒井抱一の扇そのもの。

武蔵野図扇面(上野 国立博物館の展示より)
解説文によれば、秋の武蔵野に昇る、または沈む月を描いているそうです。
宗達から約100年、これぞ扇絵!と言わんばかりの成熟した作品ですね。
私は昇る月、と見ましたが?
3/3 追記
ぼかし屋のお雛様、木目込みの親王飾りです。
後ろの屏風にご注目を。
酒井抱一の屏風の
ミニチュアです。
だいぶ以前に琳派の展覧会のミュージアムショップで買いました。
もともとお雛様の後ろは衝立だけでしたが、屏風が加わってオリジナル感が出ました。
展覧会ルポ | 02:00 PM
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2018,03,17, Saturday
サウジアラビアのとても古い織物を見る機会がありました。


※会期延長されています。5/13まで東京国立博物館の表慶館で開催中。
いずれも紀元前3世紀~後3世紀のもの。

羊毛で人物を織り出したもの。

亜麻で細かい幾何学模様を織り出したもの。

羊毛のチェック柄。

一緒に掘り出された紡錘車や針、糸玉
糸を染めつけて、このように細かい技術で模様を織り出していたのですね、驚きました。
正倉院御物よりはるかに古い時代のものです。
印象深かったのは、紀元前1世紀~8世紀のガラスの製品たち。

何となく東洋っぽく親しみがわくのは…… おそらく形。
お鉢なのです。西洋風の皿やグラスではなく、深みのある様々な形の鉢型。


写真では陶磁器に見えてしまうかもしれませんが、みなガラスで透明感もありました。
和食器だと言っても通りそうです。
最後に驚くほど古い遺物を紹介。

これは何でしょう?
100万年以上前の石器だそうです。石を削って鋭い角を作り、獲物をさばくのに使用したものだそうです。ゲンコツくらいの大きさ。
斧など石器の刃物にいたる前の道具で、アフリカで誕生した人類がアラビア半島を通ってユーラシア大陸へ拡散する過程の遺物とのこと。まだネアンデルタール人が共存していた時期ですよね!!

紀元前6000年位になると石の錐など鋭い石器が作られたそうです。
100万年前から6000年前へ……私たちの祖先は石器をこのように尖らせるのに、膨大な時間がかかったのですね。
江戸時代からの手描き友禅、なにやらチンマリした感じの技術に感じてしまいます(^^;)
追記 2018年9/26
ブログ内容を訂正いたします。
NHK BS放送「人類誕生 未来編」によれば、
180万年ほど前にアフリカで生まれた
ホモ・エレクトスがやがてインド、東南アジアへ進出(北京原人やジャワ原人と呼ばれる)したので、
アラビア半島で発見された100万年前の石器はホモ・エレクトスの遺したもの。私たちサピエンスではないのでした。
エレクトスは狩りを行って肉食し、感情を持ち社会生活と営んだ最初の人類で、老人を扶養した事が分かっているそうです。(高齢のため歯が欠落した頭蓋が出土)
ちなみに、
ネアンデルタール人の登場は40万年前~35万年前、ホモ・サピエンスは20万年前くらいにアフリカで生まれており、この時期は
アフリカのサピエンス、ヨーロッパのネアンデルタール人、アジアのホモ・エレクトスという3種の人類が併存していたそうです。
なんだか…すごい…
展覧会ルポ | 08:38 PM
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