展覧会ルポ

 
東京都八王子市にある東京富士美術館で 11/29まで
「永遠の日本美術の名宝展」が開かれています。

東京の東の端のぼかし屋から、西の端の美術館まで小旅行でしたが、初めて訪ねました。
(基本的に撮影自由でした。画像は現地撮影分と展覧会図録から)



この美術館は我が鈴木其一「風神雷神図」を所蔵しています。

風神雷神といえば俵屋宗達を筆頭に尾形光琳、酒井抱一の三作が有名ですが、私はこの作品は、江戸初期に京都の宗達で始まった琳派、風神雷神図の、江戸に引き継がれた完成形だと思っております。
金箔の上ではなく、絹本に描いているのは、墨の勢いや滲み、重なりで雲を表現するには絹本がふさわしかったからだそうです。



雲以外でも、太い筆で一気呵成に描いた線がとても美しいです。
髪の毛、表情、筋肉の動き。スキがありません。


展示室で遠目で見ますと、残念ながら展示ケースのガラスに向い側の作品が写ってしまっていますが、それでも本物の存在感はさすがでした。

曽我蕭白の展示も充実していました。


     「鶴図」曽我蕭白 

1対の鶴を描いた構図はよくあるものですが、デッサンも墨の使いも極めて上手な蕭白の手にかかると、鶴がイキイキしていました。
羽毛の柔らかさが感じられるのです。
           ガラスの反射、本当に残念…(T_T)



鶴の背に沿ったくぼみ。羽毛のふんわりした重なりが印象的でした。これは図録でもテレビでも、画像では分かりませんでした。本物に会う価値、ですね(‘◇’)  
もしお出かけになったら、この鶴の柔らかい背中、是非ご覧ください!     


亀寿老図(亀仙人) 
他に色々飾られている中で、この寿老人が一番チャーミングでした。蕭白はこういう人だったのかな?

さすがの展示内容で、洛中洛外図や源氏物語図の屏風など見飽きない絵がたくさんありましたが、ここで紹介したいのは大正昭和に活躍した土田麦僊(つちだばくせん)


     「雪中梅」 
雪の部分は彩色せずに地のまま残すことで表現しています。間近で見ても雪に見えました(^^;)


     「紅葉小禽」(部分)

なんて綺麗!!
解説によると、シジュウカラを輪郭線を描かずに「隈取り」の技法で描いているそうです。本当の小鳥とは頭や胴のシルエットが違いますが、ちょこちょこと何かをついばむ小鳥らしさは本物以上ですね!
絵は(友禅模様も)こうありたいと思っております。足元にも及びませんが…(^^;)

この展覧会ではありませんが、東京富士美術館には面白い映像展示もありました。
写真がなぜか投稿できなず残念ですが、ダ・ビンチの壁画「最後の晩餐」のオリジナルと、制作当時の色、構図を再現した版とを、壁に映し出しているのです。
ミラノの現地でも、教会の食堂だった部屋の壁の高い位置に描かれているそうです。

修復版では背景に細かい模様が色鮮やかに描かれていたようですよ。日本の古い仏像も制作当初は赤、青、金で極彩色だったそうですね。共通するオドロキでした。


展覧会ルポ | 04:05 PM | comments (x) | trackback (x)
大倉集古館の「近代日本画の華」展を観ました。
(写真は展覧会チラシとNHKアートシーンの画像から)
1930年にローマで開かれた日本画の展覧会の出品作の展示です。


右上は竹内栖鳳の「蹴合」闘鶏の図で、チラシのサイズではただ黒い鶏に見えていますが、実物はとても綺麗な彩色で、闘う鶏の羽根が生き生きと躍動



若冲の鶏が苦手な方でも、この絵は気に入ることと思いました。

この絵と並んで、とても美しい白鷺の絵がありました。



宇田荻邨 「淀の水車」
鷺の白い羽根が、ぼかしで水に溶け込んでいるような描き方が印象的でした。どうにかして真似したいものです。

さてこの新聞記事をご覧ください。


朝日新聞 9/15 美の履歴書より

この展覧会を代表する展示、横山大観の「夜桜」の紹介記事で、
見出しは「咲き誇る春 見せたい相手は?」
この絵を見るのはヨーロッパ美術の大御所、イタリア人であることを大いに意識して制作された絵だという解説です。


もちろん日本人が見ても、篝火(かがりび)に照らし出された夜桜は豪華です。



記事に「桜はすべて正面を向いている」とあり、確かにその通りでした。


着物の模様として絵を描く時は、きれいに見える角度だけ描くことはよくあるのですが、絵画でこの表現は珍しいのでしょうね。

「正面向きだけ描く」といいますと、かつて当ブログで紹介したことのある、我が鈴木其一の「朝顔図」もそうです。


 

ただしこちらは葉っぱが正面向き

朝顔のツルがのびのびと画面を覆っています。葉っぱは正面向きだけである方が、ツルの動き、方向性に目が行くからだと思っております。

※ぼかし屋は長年にわたり鈴木其一のファンなのです(‘◇’)ゞ
 朝顔図は2016年10月14日のブログで紹介しております。


展覧会ルポ | 07:26 PM | comments (x) | trackback (x)
上野国立博物館
「KIMONOきもの展」が8月23日まで開かれています。


オンライン予約が必要ですが、ネット操作困難の方には現地で当日券の販売もしています。朝行けば、午前中の入場ができる様子でした。ただし混雑すると当日券は打ち切るそうです。
で、観てまいりましたが、先にお伝えしたいのが、こちら!


本館常設展示 風神雷神図屛風 尾形光琳
空いていて、撮影可!(^^)!

!著名な風神雷神図の中で光琳作だけは見る機会が無かったのですが、今回思いがけず。
本物は筆使いが実にイキイキ!


筋肉の勢いや衣の線、逆立つ髪の毛を一気に描いています。お習字のように「書いて」というべきかなと思うくらい一気に。
実はこの展示は8月10日(月祝)まで。
急ぎご紹介する次第です。

他にも酒井抱一の「秋草図」、紫式部日記絵巻(道長が潜んでくる有名な場面)、ピンクの色彩が美しい「孔雀明王図」などの国宝、重文が!長い休館のお詫びかしらと思うほど良い物がたくさん出ていました。
きもの展の入場者は本館常設展示を見ることができます。
コロナで迷っていた方、予約不要の常設展示だけでも見ごたえがあります。
主役級が並んでいるのに、観覧者は少ないですからこの土日祝、半日ユックリいかがですか?

さて「きもの展」そのものにつきまして…
主に室町時代末期から江戸時代の着物の発展が分かりやすく展示されていました。

おそらく初めての試みかと思われるのは、江戸時代に贅沢(唐織や刺繍、総絞り)禁止令が出されるにつれて友禅染の技術が発達した様子を実際の作品で見られることです。
刺繍が無くても鮮やかな多色使いの着物で身を飾りたいという旺盛なニーズに支えられて糸目糊防染の技術と図案構成力が発達を続けたわけです。
(写真は図録から)

素晴らしいと思った本格派手描き友禅の2点。いずれも若衆(男性)向けです。





実に細い細やかな糸目糊で、しかも勢いを感じる糊置きです。この時代は合成のゴム糸目糊はまだ無いので、すべて真糊(餅粉と糠粉を蒸し練って作る)の糸目糊です。

意地悪い目で観察しましたが、色のはみ出し、浸み出しが、無い!
染料の色挿しは、作業した時ははみ出さずにキレイに塗れたと思っても、後から糸目糊の堤防を越えて色が浸み出てきてしまうことがあるのです。
それを消す「しみ抜き」技術者が別にいるのですが、いつ頃から「しみ抜き」は発達したのでしょうか。それとも初めから一切はみ出させない強い堤防だったのでしょうか?当時の糸目糊。まさしく糸目状に細~いのに!!!
この件、同業の間でも話題になっています。


友禅染は最初、高価な刺繍や織り模様の代替として登場したことは間違いないですが、その後の発展については、同時期(桃山から江戸初期)の豪華な日本画(屏風絵や襖絵)の発達の影響があると私は感じております。
絵として「筆で描き彩色する」技術の発展が、自由な構図を生み出しやすい友禅染の発展や普及につながったに違いないと思うからです。
着物に日本画のような構図を模様として染め付けることの原点のような作品がこちら。


尾形光琳、白綾地秋草模様 小袖

糊防染の糸目友禅ではなく、図録解説によれば白生地に日本画と同じように墨絵で描き、藍の濃淡も加え、きちんと絵羽模様になっています。
屏風絵のような自由な図柄を着物にも表現することの出発点のような作品だと思います。

この小袖は白地ですが、仮に地色を染めようとした時、ただ塗ったのでは模様が色の中に沈んでしまいます。模様を避けて地色を染料で染める必要が出て、「模様の上を糊で被せておけば染料が入らない」工夫を誰かがしたのでしょうね。そして糊防染の技術は江戸300年をかけて発達していったのでしょう。

今回は光琳の小袖と、風神雷神図を同じ日に見ることが出来たのでした。



展覧会ルポ | 10:49 AM | comments (x) | trackback (x)
日本の手描友禅の模様の参考に
イギリスの模様の展覧会を観てまいりました。

ウィリアムモリスとイギリスの壁紙展 そごう美術館(6/2まで) 

このチラシの模様を私が見た時につい思ってしまうのは
「よくある感じの模様だね」です。
でも、こういう感じの模様は古来あったのではなく、最初に本格的に壁紙や布の模様として製造したウィリアム・モリス(1834~1932)の業績を紹介する展示です。


とても魅力的な模様が図録の後カバーに印刷されています。
菊をモチーフにした構成。牡丹も入っていて日本の影響を受けているそうです。色合いを変えていくつものパターンで壁紙を制作。

古くから絵画や金銀の細工で壁を飾れた王侯貴族は別として、市民が自宅を飾り始めたのはそれほど古くないそうです。産業革命の結果、製造力も市民の購買力も上がって19世紀を迎え、そういう時期に画家でもあったウィリアム・モリスが、生活を取り巻く物品にも美しさを、という考え方で多くの作品を発表したわけです。

この菊の壁紙で飾った部屋の再現コーナーもありました。
(再現コーナーは撮影可)

カーテン、テーブルクロス、クッションカバーそして壁紙

現在の生活にある様々な布類に複雑にパターンを組み合わせた模様を染めたり織り出したりしています。

    図録の中から紹介

ノーベル賞の選考委員会は「その業績の元になった研究、その研究者」を探すそうです。それと同じことを感じました。
いわゆる唐草文様は大昔からありましたから、葉がモチーフとして左右対称など平面に並ぶ模様なら珍しくなかったのですが、それをパターンの一部として複雑に組み合わせて構成したのはモリスが最初。その図案は見ていてとても勉強になります。


こちらはミュージアムショップで買ったクリアファイルの模様。
とても大胆ですが、自然な組み合わせになっています。


葉をパターン化した壁紙。
本当に「よくある感じ」ですが、商品として売られ続ける中で、様々な他の商品のデザインのもととなっていったために「よくある感じ」に見えるわけです。

ヒナギクのパターン。


ふと気づいたのですが、ぼかし屋のファクスが置かれている台のレース。

このようなパターン模様を最初に本格大量生産販売したモリス。その影響のもと、今の身の回りの様々な商品のデザインがあるのですね。

少々脱線しますが、野々村仁清。


写実的で鮮やかな花の描写は、室町期以降、屏風絵や掛け軸には珍しくありませんでしたが、最初に壺に焼き付けたのは彼。
この壺を見るとつい「よくある感じ」を抱いてしまいますが、江戸初期当時とても画期的な試みと技術だったのでした。

もっと有名な例が元祖アニメと言われる鎌倉期の鳥獣戯画

今のアニメと同じ、とつい思ってしまいがちです。
鳥獣戯画の方が大々先輩なのを忘れないようにしなければ。
作者は確定していませんが、ノーベル賞の価値がありますよね。

そういうモノが無い環境で、そういうモノがを創り出した方々のすごさを、そういうモノが溢れている今の私たちはウッカリ忘れがちかもしれないと、見慣れた感のあるモリスの壁紙を見ながら思いました。

最後に会場の再現コーナーの写真で、モリスの模様を現代にアレンジした部屋をご覧ください。

すてきです。


展覧会ルポ | 01:21 AM | comments (x) | trackback (x)

前回ブログの続編、追加版です。

奈良時代のメモ帳からスタートしたとはいえ、形が末広がりであったことから扇は実用兼、縁起物としても喜ばれ、安土桃山期には絵師たちが扇絵に腕を振るうようになります。長谷川等伯や狩野派も扇を製造販売していたという説もあるそうです。
そして江戸初期に現れた琳派の祖、俵屋宗達。「俵屋」ブランドの扇は優れた扇絵で大人気だったそうです。


      画像は日本美の昇華、朝日新聞社より

2点とも和歌扇面。上が椿下絵、下は橋に波下絵
本阿弥光悦と俵屋宗達のコラボ作です。かの有名な鶴下絵和歌巻と同じ雰囲気で、
扇だった時の名残り放射線状の筋となって残っています。
扇は長期保存に向かないので、扇骨から絵を外して平に戻し、このように保管したのです。
ただ保管するより楽しめるように工夫されたのが、扇貼り交ぜ屏風


醍醐寺所蔵、醍醐寺展図録より

解説によれば、宗達の死後に製作されたと考えられていて、扇絵をただ列に並べるのではなく、散らし風にしておしゃれな配置となっています。扇の向きを変えたり、柄の部分を描いたり描かなかったりして変化をつけています。


扇は水に流したり、畳の上で投げたりして遊ぶものでもあったので、「扇を散らした図」は発想しやすい構図だったのかもしれないと思います。
宗達は江戸初期の画家です。今はよくある○○散らし、例えば花散らし、貝散らし、といった構図の初期の作品にあたると思います。

一方こちらは、始めから屏風絵にするために宗達が描いた扇散らし図。


フリーア美術館所蔵(画像は同館のホームページのダウンロードサイトより)

扇絵を貼ったのではなく、広い画面に扇を散らせた図柄を、宗達が構成して描いたものです。閉じた扇を混ぜたり、重ねたり。文字通り扇を散らせた構図です。

画像は屏風を真っすぐにして写した状態ですが、本来の屏風として飾られた写真があります。平面なのとは迫力が違いますよ。


      NHK BS放送「江戸あばんぎゃるど」の映像より

屏風全体で見た時の色のバランスも考えてあり、色調がすばらしいです、と申し上げるのもおこがましいですが。
「江戸あばんぎゃるど」は明治以降に米国へ流出した日本美術品、主に屏風などの絵画と、その流出経路、現在の保管状況のドキュメントで、今年1月に放送されました。
所蔵しているフリーア美術館チャールズ・ラング・フリーアの明治期の収集品を基に設立されました。
彼は「宗達の再発見者」とされていて、つまり明治期の日本人は宗達を評価することがなかった、そうです(T_T)
米国に渡ったから大切にされてきた面もあり…
遺言により所蔵品は門外不出。ワシントンDCの中心地にあるそうですが、観に行くには遠すぎます(T_T) かの「松島図屏風」もフリーアにあるのですよ~

〆のご紹介は酒井抱一の扇そのもの。


     武蔵野図扇面(上野 国立博物館の展示より)

解説文によれば、秋の武蔵野に昇る、または沈む月を描いているそうです。
宗達から約100年、これぞ扇絵!と言わんばかりの成熟した作品ですね。
私は昇る月、と見ましたが?


3/3 追記

ぼかし屋のお雛様、木目込みの親王飾りです。
後ろの屏風にご注目を。


酒井抱一の屏風のミニチュアです。
だいぶ以前に琳派の展覧会のミュージアムショップで買いました。
もともとお雛様の後ろは衝立だけでしたが、屏風が加わってオリジナル感が出ました。


展覧会ルポ | 02:00 PM | comments (x) | trackback (x)
サントリー美術館で開かれた「扇の国」展を見てきました。



友禅染や刺繍の着物の模様としてお馴染みのモチーフのひとつである扇。
扇そのものを描いたり、扇の形の中に花鳥を描いたり。

紅水浅葱段扇夕顔模様唐織 19世紀

と、ここまでは想像の範囲内でしたが、
これまでまったく知らなかった事も紹介されていました。

檜扇 春日行幸次第(かすがぎょうこうしだい)鎌倉時代(図録より)

この扇に書かれているのは儀式の式次第や要点のメモ
扇のオオモトは「メモ帳」だったそうなのです。

紙がない、あるいは極めて貴重だった時代、代わりに木簡が使われていたのをご存じでしょうか。薄く細く切り出した木の上下に穴を開け、紐を通して巻物状につないだものです。そこに文章を書いて記録に使っていたわけです。

昔むかし、奈良時代~~お役人同士で、こんな会話があったかも。

「おエライさんの来る儀式の運営責任者になってしまった!間違えたらどうしよう」
「手順をメモして途中でソッと見たいねぇ」
「でも儀式の最中にバサッと木簡を開いたら目立っちゃうよ」
「そうだ!木簡の下の方は開かないように紐を〆ておけばいい。
            上の方にだけ式次第をメモしておくんだよ!」
「なるほど!そうすれば、困った時に片手でちょっとだけ開いて、チラッと読めるよ」
「そうだ、そうだ!」
   ぼかし屋想像

扇の発祥を、そうと知った目で見ると、
確かに檜扇は下側の開かない木簡ですよ!^-^;

解説によれば、次第とは「先…次…次…」と儀式の進行を箇条書きで記したもので、
とも呼ばれたそうです。

内裏上棟次第 15世紀中頃(図録より)
いずれも行幸や上棟式のような儀式を、お役人たちが滞りなく行うのに役に立っていたのですね。
藤原道長と同時代を生きた藤原実資の日記にこんな記述があるとか…

「儀式でヘマをした人がいて面白いから扇に書き留めておいたら、家族が知らずにヨソの人にその扇を渡してしまったので、バツが悪いことになってしまった」

手近な日記でもあったのですね。この実資さんが扇メモも駆使して取材したことを文書として書き留めた日記「小右記」は、道長の時代を知るための重要な資料だそうですよ。
解説によれば、男性が衣冠束帯で儀式に臨む時に手に持つ(しゃく)も式次第などのカンニングペーパーだったことが確認されているそうです。ヘラ状の部分の内側に挨拶文なども書いておいたことでしょう。

扇は平安時代には重要な装身具ともなり、美しい絵を描いた檜扇、お雛様が持っているような、が発達。


紙の普及もあって室町時代以降、軽くて薄く折りたためる紙扇が主役となり現代に至っております。
檜より紙の方が精密な絵を描くことができるので、扇は絵を描く創作の場ともなり、扇を消耗品として終わらせるのではなく、優れた扇絵を保存することも工夫されました。


  扇面貼交屏風 16~17世紀 (画像はNHK日曜美術館アートシーンから)



狩野元信らの印のある扇画が、保存のために扇骨からはずされて屏風に貼られたものだそうです。たしかにモトは扇だったことがよく分かります。


 図録から

ここに貼られた扇絵は 素人の私が見ても素晴らしい画力、技術で、高度なものばかりでした。買い集めた人も、貼って保存した人も見る目がありました<(_ _)>
こういう屏風が呼び水となって、意匠として扇の形を散らせた中に花鳥や源氏絵を描いた屏風や襖が制作されるようになったわけです。


  扇面流図(名古屋城の襖絵)江戸初期

当時扇を水に流し、浮き沈みして流れゆく扇を愛でる遊びがあったそうです。この屏風はその情景を描いたもので、それぞれの扇の中に意匠を凝らした扇画が描かれています。


 拡大図

そして扇の形は着物の模様へとススム、だったのです。。

嬉しいことに我が鈴木其一の扇も展示されていました。

朝顔図 鈴木其一
あっさりと白い紙に描かれた朝顔、写実的でした。

今回のように古い時代からの展示をみてくると、其一のように江戸時代も中期~後半の美術品はさすがに新しく保存状態もいいです。

こんな展示も。日本で扇型を言えば長崎の出島
シーボルトが製作した出島図の復刻版が展示されていました。

東京のオランダ大使館は出島に因み、上空から見ると扇の形の建物だそうです。埋め立てられた出島は見る影も無くなっていましたが、今は少しずつ復元中です。

最後にBS日テレの番組「小さな村の物語イタリア」の一コマをご紹介。
                (ゴージオ ダッローシャ村 1/19)

ダイニングキッチンで食事をするご夫婦。キッチンの壁紙は扇画です。
それらしく言うなら「扇面散らし図御台所壁画」でしょうか(^^♪


展覧会ルポ | 02:20 PM | comments (x) | trackback (x)
東京手描き友禅を誂える時は色々なご希望を承ります。日本古来の文様でないことも多いので、機会があれば他の分野の美術品も見て勉強させてもらっています。
今回はハイジュエリーの老舗ショーメの展覧会にいってきました。



 麦の穂をデザインした有名なティアラがチラシの表を飾っております。


 チラシ裏側


 右端の変わった形のネックレスはクリスタルで作られた白い蛸にダイヤがあしらわれたもの。モチーフは植物が一番多いのですが、昆虫、鳥も多くデザインの創意を凝らしてきた歴史を感じました。
中央下に大きく写るダイヤのネックレスも麦の穂のデザイン。


精密なデザイン画も見られたのが展覧会のよいところ。お店では見られませんから。
いえいえ、お店には入ることも出来ません~(^^;)
銀座通りに面したショーウインドウくらいは眺めたいものですが、ほら!入口に威厳のある男性が立っておられますよね、気になってしまうので、ショーウインドウだけとはいえ足を止めるか止めないか位の速度でサッと見るだけ、なのですよ~~(^^;)

 会場内に撮影コーナーがありまして、展示品のいくつかが画像化されていて写すことができました。

髪飾り。日本の簪のようですね。


ブローチ。
鳥の形で尾羽の部分に本当の羽根を指すことができます。
(チラシに小さく写っていますよ)
このように複数の用途のある作もかなり見られました。
ベルトと首飾り、ヘアバンドなど。

パンジーのティアラ


 展示の実物は花びらのカーブが柔らかく、
硬いダイアで作られていることを忘れそうでした。

 ショーメはナポレオン時代以来240年もの歴史があるそうです。
ナポレオンがローマ法王に贈呈したという宝冠の展示もありました。


        写真は図録から
 豪華ですが、解説によれば長い歴史のなかで宝石が外されたりナポレオンを示す模様が削られたり色々あったそうです。
今のフランシスコ法王様は質素な方だそうですが、儀式によってはこのような宝冠をおつけになることもあるのでしょうか。

この展覧会は9/17まで。丸の内の三菱一号館美術館にて。
展覧会ルポ | 12:09 AM | comments (x) | trackback (x)
サントリー美術館ですばらしい器を見たので紹介いたします。
終わってしまった展覧会で恐縮ですが…

  「寛永の雅」サントリー美術館


 このパンフレットに写っている孔を開けた白い鉢。
会場に入るなりドキッとする存在感を放っていました。


 白釉 円孔 透鉢  野々村仁清

 展覧会のテーマである江戸寛永期の美術に沿う現代の前衛アーテイストの作品かと思いきや、野々村仁清の作品でした。
 鉢に穴をあしらう造作は江戸前期の乾山や道八にもあるようで「透かし鉢」と呼ぶそうです。でもそれらはあくまでも描いた絵を効果的に生かすための空間として孔を開けたもの。
ところがこの鉢はご覧の通りランダムにあけた孔そのものが主人公
 どうしてこれほどの創作を江戸前期という何百年も前に成し得たのでしょう。
オドロキです。



会場で見た時は、孔は片抜きではなく、竹ヘラ状の何かで手でくり抜いたように思われましたが、図録の解説では型抜きしているそうです。

 仁清と言えば思い浮かぶ作品は、派手な色絵や、色使いと幾何学的な面白さ


色絵 芥子文 茶壺      色絵 鱗波文 茶碗

または渋く


銹絵 富士山文 茶碗           白濁釉 象嵌 桜文茶碗 

 それから私が仁清を好きになったキッカケの作品

 色絵 武蔵野文 茶碗
  
といったところでしょうか。
このような作品を作っていた人が、どういうツナガリでこの白い鉢を「作ろう!」と思い至るのでしょうか。
現代のように溢れる映像や製品から刺激を受けることは出来ない、はるか昔に。

本日取り上げた仁清のうち茶碗と鉢はみな縁の部分は真円でなく不均等にズレています。上から見ても横から見ても。

特にこの白い透かし鉢は縁もシルエットも孔の開き方、配置もすべて不均衡
それで美しいのですから、天才はいるものだと思うばかりです。

 帰宅してから手持ちの図録を確認しましたら、2014年に出光美術館で開かれた
「仁清・乾山と京の工芸」展の展示作から仁清の透かし鉢を見つけました。


 白釉 菊花 七宝文 透彫 木瓜型鉢

 当時は友禅染の模様の参考としてしか仁清をみていなかったので、
色絵物以外はスルー。記憶に残っていませんでした。今回再認識です。


展覧会ルポ | 05:17 PM | comments (x) | trackback (x)
サウジアラビアとても古い織物を見る機会がありました。


※会期延長されています。5/13まで東京国立博物館の表慶館で開催中。

いずれも紀元前3世紀~後3世紀のもの。


羊毛で人物を織り出したもの。


亜麻で細かい幾何学模様を織り出したもの。


羊毛のチェック柄


一緒に掘り出された紡錘車や針、糸玉

糸を染めつけて、このように細かい技術で模様を織り出していたのですね、驚きました。
正倉院御物よりはるかに古い時代のものです。

 印象深かったのは、紀元前1世紀~8世紀のガラスの製品たち


何となく東洋っぽく親しみがわくのは…… おそらく形。
お鉢なのです。西洋風の皿やグラスではなく、深みのある様々な形の鉢型。



写真では陶磁器に見えてしまうかもしれませんが、みなガラスで透明感もありました。
和食器だと言っても通りそうです。


最後に驚くほど古い遺物を紹介


これは何でしょう?

100万年以上前の石器だそうです。石を削って鋭い角を作り、獲物をさばくのに使用したものだそうです。ゲンコツくらいの大きさ。
斧など石器の刃物にいたる前の道具で、アフリカで誕生した人類がアラビア半島を通ってユーラシア大陸へ拡散する過程の遺物とのこと。まだネアンデルタール人が共存していた時期ですよね!!


紀元前6000年位になると石の錐など鋭い石器が作られたそうです。

100万年前から6000年前へ……私たちの祖先は石器をこのように尖らせるのに、膨大な時間がかかったのですね。
江戸時代からの手描き友禅、なにやらチンマリした感じの技術に感じてしまいます(^^;)


追記 2018年9/26  ブログ内容を訂正いたします。
NHK BS放送「人類誕生 未来編」によれば、180万年ほど前にアフリカで生まれたホモ・エレクトスがやがてインド、東南アジアへ進出(北京原人やジャワ原人と呼ばれる)したので、アラビア半島で発見された100万年前の石器はホモ・エレクトスの遺したもの。私たちサピエンスではないのでした。
エレクトスは狩りを行って肉食し、感情を持ち社会生活と営んだ最初の人類で、老人を扶養した事が分かっているそうです。(高齢のため歯が欠落した頭蓋が出土)
ちなみに、
ネアンデルタール人の登場は40万年前~35万年前、ホモ・サピエンスは20万年前くらいにアフリカで生まれており、この時期はアフリカのサピエンス、ヨーロッパのネアンデルタール人、アジアのホモ・エレクトスという3種の人類が併存していたそうです。
なんだか…すごい…

展覧会ルポ | 08:38 PM | comments (x) | trackback (x)
長年見たかった屏風にやっと対面してきました。


 日月松鶴図屏風(室町時代)

 このように完全な形(六曲一双)で残っている屏風としては、とくに彩色画を描いた金屏風としてはおそらく一番古い時期の作例だそうで、ぜひ一度観たいと思いつつ、なかなか機会がなかったのでした。
 室町時代のいつなのかも作者も不明とのこと。


 想像していたより色が美しく、重厚な松だけでなく、
色々な植物が描き込まれていました。
 解説によれば、春を表わす右側にはタンポポやスミレ、ツツジが、秋を表わす左側には藪柑子やアシなどいずれも身近な植物が描かれているそうです。
 金色を背にした鶴の色がよく残っているわりには、下の花々がこのように黒ずんでいるのは銀が使われているのかもしれません。上の方が金色、下の方が銀色できっと華やかな豪華な屏風だったのではないでしょうか。


 写真(絵葉書をスキャン)では写りが悪いのですが、マナヅルの羽根の色合いはエメラルドブルーからブルーグレー、グレーへのグラデーションでした。
 同じ室町時代といっても狩野派や長谷川等伯などが活躍した安土桃山期より古く、彼らが先輩絵師の作として参考にしたかもしれない屏風です。
 いったい誰が、誰の注文で描いたのでしょうか。

 この屏風の展示はもう終わりましたが、今はもっと著名な作品が展示されていますよ。


 雪松図屏風 円山応挙(国宝)

場所は三井記念美術館、2/4まで


最後に、日本画ではあまり見かけない枇杷を描いた図を紹介!(^^)!
お目出度い図柄だそうです。


 枇杷寿帯図(清朝、乾隆帝時代)

展覧会ルポ | 11:24 PM | comments (x) | trackback (x)

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