2017,02,23, Thursday
上野の国立博物館で開催中の「春日大社 千年の至宝」展を観てまいりました。※写真は展覧会のパンフレット、図録、絵葉書より
開催期間は3/12までですが、国宝の「金地螺鈿毛抜形太刀」の展示は2/19までだったので、駆け込むように行ってきました。
この写真の中央にあるのがその太刀です。
太刀の名前が示す通り、金地に細かい螺鈿の装飾が一面にあります。
どんな吉祥紋かと思いきや、猫や雀といった身近な生き物を写実的に彫り込んだ螺鈿です。
刀身の細い飾り刀の鞘なので、実物で拝見すると本当に細かいのです。
螺鈿を彫った貝はいかにも薄そうで、はかないような印象でした。
「毛抜き」の名は刀の柄に毛抜きの形が彫りぬかれているからだそうです。
ちなみにこの柄部分はほぼ純金とのこと。豪華です。
宝物の中で印象的だったのは「瑠璃灯篭」
展示では黒っぽい色の一般的な灯篭に見えましたが、中に灯をともすと
このように瑠璃色に光るそうです。
回りを囲んでいるのはビーズ状につないだ瑠璃石の簾というわけです。
人の描写が生き生きしていて面白く、しばし眺めたのは
「春日本、春日権現験記」(かすがぼん かすがごんげんげんき)
なんと!はるか13世紀鎌倉時代に描かれたものです。
お社の建築作業中の職人の面々。
なんて生き生きしているのでしょう!!!
槍鉋(やりかんな)で板を削っていたり、奥の職人は柱の先端をくり抜いています。
右端の職人は遠くから指図する親方に向かって何か叫んでいるのです。
解説によればこちらの写真↓の右端が指図する親方だそうです。
「おい!アッチで手が足りねえ。何人か回っとくれ」
「そいつぁ請け合えねぇ。コッチだって手一杯なんでさ」
「おい!何だってぇの?」 (江戸落語風 脚本ぼかし屋)
休憩時間で「あ~やれやれ」
はだけた衿から筋骨たくましい背中が見えています。
まだ半人前の小僧さんたち。明らかにサボっていますね。(^^)/
右の職人が使っているのは釿(ちょうな)という材木を削る道具だそうです。
二人一組で計測したり、印付けしたり。
ご先祖様たちもセッセと働いていたのですね~!(^^)!
こちらは打って変わってお公家の世界。
当時の一大権力者、白河上皇の春日大社へのお参り。
皆さんお行儀は良いけれど…
大きな上皇の牛車を「もうちょっと右だ」「いやこの辺りでいいだろう」「まだ離しちゃだめだ」などと苦労している表情です。
お顔も老若色々、細面からメタボのお顔まで様々ですね。
回りにはよそ見したり私語に勤しむ面々も。
僅かしか見えませんが、画面の両端には、庶民の僧俗男女が地面にぎっしり座ってご一行を見物しているのが描かれています。
例外なく頭巾で頭を覆っているのは当時の風俗でしょうか。
ざっと800年前の絵巻で、これだけの描写を楽しめるとは今回初めて知りました。
中世が本格化する時期、西欧ではまだまだ宗教にがんじがらめの絵ばかりだったかと思います。
世界に冠たる!と言って差し支えない日本の文化はアニメだと思っていますが、
その源流は絵巻にあると言われていますが、鎌倉時代の絵巻ですでにこれほどリアルな表現がされているとは知りませんでした。
寒くて人の少ないこの時期、常設展示も充実しています。
お訪ねになってみてはいかがでしょうか。
教科書でしか見たことのなかった本阿弥光悦の舟橋蒔絵硯箱(国宝)を拝見。
所蔵品なので撮影自由でしたが、球面に光が反射し、うまく写せませんでした。
本物はしっとり静かな色合い。
この斬新な球面フタの文箱、作例が他にないのは制作が大変難しかったからでしょうか。
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3/8追記
「春日権現験記」の大工仕事の光景に登場した釿(ちょうな)、どんな道具なのか知る機会がありました。
竹中工務店HPのアーカイブより
大阪城の千貫櫓(せんがんやぐら)に釿(ちょうな)で削った板が使われた床があるそうです。豊臣氏滅亡直後に徳川幕府によって再建された櫓で約400年前の建築だとか!
大阪城 千貫櫓の床 TVぶらぶら美術・博物館 3/3放送より
槍鉋(やりかんな)や台鉋(木製の台にはめ込まれたカンナ)ではなく釿(ちょうな)が使われたため、このような独特の凹凸のある床面になるそうです。
番組では手斧(ちょうな)と表記していました。
竹中工務店HPアーカイブの説明によれば、釿は大工道具の生きた化石ともいわれ、
古墳時代の鉄製の出土物にも見られる道具で、
釿で出来る独特の波状の削り肌を名栗面(なぐりめん)と呼ぶそうです。
なるほど古い日本建築で見たり踏み歩いたりしたことがあるような…。
真っすぐな板面を作りやすい台鉋の発達と入れ違いに槍鉋や釿は江戸期以降あまり使われなくなっていったそうです。
展覧会ルポ | 01:00 PM | comments (x) | trackback (x)