江戸東京博物館の企画「幕末の江戸城大奥」展

 
 東京手描友禅 模様の参考に。
 江戸東京博物館の常設展示室の企画展示 「幕末の江戸城大奥」を見てきました。着物制作の参考になる打掛や貝桶、雛道具など興味深い展示でした。
 展示品の多くは幕末大奥の主人公だった天璋院と和宮所用のものでした。
 天璋院は十三代将軍、徳川家定の夫人です。篤姫の名前でNHKの大河ドラマの主人公にもなりました。同時期に江戸城にいた天璋院と和宮(十四代将軍家茂の夫人)の確執はよくドラマに取り上げられますが、今回の展示にもそれを示す説明が含まれていました。
本当に天璋院と和宮はお互いの面目と格式をめぐっておおいに揉めたのですね。有名な茵の争いは、こんな茵(しとね 座布団)をめぐって争われたのだろうと思われる豪華な茵が飾ってありました。茵一枚あるなしや着座の順序や向きが一大事だったようです。

 着物の展示で特に印象的だったのは天璋院所用の小袖二点です。

  萌黄繻子地 雪持笹と御所車文様の小袖



 雪持笹とは積もった雪に笹が覆われている様子、雪にも負けずに笹がりんとしている様子だそうです。大変綺麗でぜひ作品に取り入れてみたいと思いました。ぼかし染めの白場が雪に見えるように図案を考えてみたいものです。

 もう一点よく似た小袖が展示されていました。

  萌黄縮緬地 雪持竹に雀文様の小袖



 笹が竹に変わっただけで雪持ちのモチーフは同じ。地色も萌黄色ですが、こちらの生地は繻子ではなく縮緬地です。しかも驚いたことにかなり斬新な地紋があるのです。
   拡大しますと、



 大きな蝶を組み合わせた大胆な地紋です。この時代の着物にこれほど目立つ地紋があるのは珍しいのではないでしょうか。前述の雪持笹小袖の方は繻子地なので地紋はありません。
 縮緬地に地紋を織りだす紋意匠は明治期にジャカード織り機を取り入れてからだと聞いていたので、幕末までは縮緬には地紋はないものと思っていたのですが、この小袖は違うようです。 
 展示の説明には「蝶と藤襷を織り出した紋縮緬地」とあります。このように華やかな地紋をジャガード機なしでどのように織り出したのか、帯を織るようにすべて手仕事で縮緬地にこれほどの地紋を織り出すとは恐ろしいほどの仕事量でしょう。あるいは輸入品の生地を染めて小袖に仕立てたのでしょうか。でもこの蝶と藤の意匠は日本風です。この時期の紋意匠縮緬はどのように生産されたのか、どなたかご存じの方がいらっしゃいましたら、当方ぼかし屋友禅のホームページ上の問い合わせメールを利用してお教えくださいませんか。

2015年 1/30 追記
文化学園服飾博物館「時代と生きる・日本伝統染織技術の継承と発展」の展示で勉強しましたので加筆いたします。説明によれば以下の通りです。
 日本の紋織り(地模様のある生地を織ること)の歴史は、すでに飛鳥時代に始まっているそうです。
渡来人の職業集団に「錦織部」(にしごりべ)があって紋様(模様)のある織物を作ったとか。束帯や直衣、唐衣などが主だったと思われますが、安土桃山期に明から優れた織機や織りの技術が伝来して、薄い絹物にも紋織が出来るようになっていったそうです。 
 大奥の女性は当時の最高級品を身に着けていたでしょうから、拝見した打掛類は幕末期の最高技術で織られた国産品の紋意匠の絹地だったようです。
 明治になってからジャカード機が輸入されて紋織が発達したのは、「量産化」できるようになったということで、江戸時代にも武家階級や富裕な商人層向けに紋織はあったのでした。紋意匠の白生地に友禅染めや刺繍を施した贅沢な小袖、打掛が今も残っているのは、そういうわけでした。

展覧会ルポ | 10:29 PM | comments (x) | trackback (x)

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