東京友禅は、ぼかし屋友禅へ

 
着物の染めや柄行きを話題にする時使う言葉の中に
片身替わり(かたみがわり)という言葉があります。
片身とは見頃の右半分、左半分のこと。着物の場合、着た時に衿や胸の色合いが左右で違うことを片身替わりと呼ぶのです。
左右の違いでおしゃれの効果を上げて楽しむための意匠です。
たとえば、

この蘭の訪問着は、全体にグレーとピンクの地色で染め分け、着ると左右の胸と衿で2色が交差するように染められています。


着用するとグレーの方が多く表に出て、ピンク地と華やかな蘭を落ち着かせます。
このように一方を強く華やかに、もう一方は抑え役で片身替わりに合わせることが多いようです。
この片身替わりの意匠は室町時代後半から増えたとか。それ以前にも前例があり、重ね着した袿(うちき)を一方の肩だけ外して下の小袖をわざと見せる着方があったのです。
そういうファッションの歴史の中に片身替わりもあるのですね。


こちらは戦国大名、北条氏康の肖像で、小田原の早雲寺所蔵の原本を昭和初期に模写したもの。狩衣の中の小袖の衿をご覧ください。


片や緑の格子、反対は焦げ茶の無地です。正面から見ると両方が目に入り、両衿が緑の格子であるよりもはるかにお洒落に見えたことでしょう。

この時代以降、江戸初期まで着物は男女問わずに一番華やかな時代に入ります。


こちらはNHK大河ドラマ、伊達政宗の晩年、江戸初期に入ってからの場面です。
俳優さんの衣裳は金茶と濃い海老茶の片身替りの羽織。この場合、後ろから見ると背中心を境にくっきり色が替わる強い対比になっているはずです。再放送で見た時に とても素敵でこの時代をよく写しているので保存していた画像です。
伊達政宗はお洒落の代名詞でもありますね。

片身替わりは着物の特許ではなく、身の回りの和風の物には沢山みられます。

こちらは古い陶器(上野国立博物館の常設展示より)

片身替 釉 水差し(江戸時代)
わび茶の道具なので地味ですが片身替わりのおかげでオシャレ。


織部 洲浜型 手鉢(1600年頃)
洲浜の形の鉢に手提げをつけたもの。


鉢の半分だけにどっぷりと緑釉をかけてあるのです。

実はごく最近購入した小樽のガラス食器も片身替わり!(^^)!


右半分がブルー、左半分はピンクで、とっても身近な片身替わりです。

左右まったく違うけれど、全体として見た時にバランスよい色合い、模様の量が目に入る
という片身替わりは日本の独自性が高い意匠だと思っています。西洋やアラビアなどの文化では左右対称が基本。
左右の衿が違う色、お皿の半分が違う色、面白いですね。

仁阿弥道八の桜楓文鉢(江戸時代)


地色の違いはありませんが、模様が左右でまったく対照的。
春の桜に秋の楓。これも片身替わり応用編ですね。
友禅染でもぜひ真似して、まねびたい柄行きです。
桜と楓、左右をどちらに当てるとよいでしょうか。想像すると楽しいです。着物の場合、上前となる左胸側に来る色、模様が主人公になります。

東京手描き友禅 模様のお話 | 03:05 PM | comments (x) | trackback (x)

少し前の朝日新聞記事です。



ニューヨークのメトロポリタン美術館で所蔵品のうち著作権の切れた美術品などを公共の財産、パブリックドメインとして誰でもいつでも見られるようにネットで公開しているというものです。
フェルメールやゴッホなどの作品のデジタル映像37万点以上を常時ホームページ上で公開していて、見せてくれる公開だけでなく、ダウンロードして印刷も自由に出来るのです。さっそく試してみました。

美術館名 Metropolitan Museum of Art ですぐにホームページにヒットします。
※(ホームページの図柄はどんどん更新されるようです)


右の隅にあるsearchをクリックしますと、
探したい情報を入力するボックスが出てきます。



鈴木其一」を探してみます。
一覧が出てきました。


一昨年東京に来た「朝顔」も見えますね。


芥子図」画像を選んで印刷してみました。


フェルメール」も探してみました。


新聞記事に取り上げられていた「水差しを持つ女」も出てきました。

なかなかの質で印刷出来ました。


画家の名前を横文字で入力する手間はあるものの絵が好きな人には朗報です。
大きく印刷してフレームに入れたり、壁に貼ったり、色々楽しめそう!(^^)!
ぜひお試しください。

ちなみに記事では公共財産に対する日本の美術館の対応の遅れも指摘されています。
東京国立博物館は所蔵品について、撮影は自由ですが、ネット公開はしていません
自由に撮影した写真が着物作りにどれほど役立つかを思えば、気軽に行ける距離に住んでいることを幸運と思いますが、本当は先人たちの遺してくれた財産による恩恵は、居住地に関わらず受けられるべきですよね。せっかくネットの時代なのですから。
ニューヨークで出来て東京に出来ないはずはありませんよね!


お知らせ | 11:04 PM | comments (x) | trackback (x)
季節のお便りをすべくハロウィンらしく並べてみました。



 中央の水彩画は自筆。実はしばらく前から月に一度水彩画を習っております。
手描き友禅の模様は、花々の写生をそのまま使えば綺麗な着物になる、わけではありません。あくまでも模様として形を整え配置も考える必要があります。
 それを言い訳にしてきたか、、見たままを描く練習が不足している気がして、
それに着物の模様向けの物ばかり描いている反省もあり、ここはひとつ絵の先生に与えられた画題を描く練習をしようと思い立ったわけです。
 この画題はカラスウリ。カサカサに渇いた葉っぱとウリのつるつるした鮮やかさがきれいな画題でした。ぼかし屋としてはどうしても背景はぼかし
 後ろに吊るした本物のカラスウリは先生が下さいました。
ご自身で採った江戸川区地場物だそうです。
こうしてみると染め帯の模様としてカラスウリも面白いかもしれませんね。
秋だけの帯になりますが。
カラスウリ柄ではありませんが、この色調と雰囲気に合う染め帯を写しました。


秋の色をテーマに錆朱に緑、茶を合わせてぼかし。

切箔模様
を散らした名古屋帯です。


追記:絵の前に写っているキノコは粘土細工です。
知人の作品で本物そっくりで面白く、いつも食器棚の中にいます。




季節の便り | 12:05 AM | comments (x) | trackback (x)
このブログの名前は「着物ブログ」
東京手描き友禅の作業や作品紹介と合わせ、和服に関わる事を幅広くご紹介しています。
が、今日は着物のそもそも、事始めのお話。
実はNHKの番組の紹介です。

9月18日NHK BS放送の「人類誕生 未来編 第3集」より

何が驚いたといって!
これは縫い針縫い針保管用の筒型ケース


シベリア北極圏で約3万年前の遺跡から発掘されたもので、いずれも大型動物の骨から削り出し、磨いて作られているそうです。
縫い針を使えば毛皮を縫い合せて身体を隙間なく包む防寒着を作ることができます。



20万年ほど前にアフリカで生まれたホモサピエンスは、アラビア半島を経て4万年~3万年前頃には暖かい東南アジアまで広がり、南から日本列島にも到達したと分かっているそうです。
一方、北方寒冷地はサピエンスにとって不向きであったものの、中国大陸やシベリアにはマンモスやバイソンなど食料になる大型動物が多く、

しかも雪の上は足跡から動物を追いやすく狩猟に適していたので ホモサピエンスは防寒着を得ることで、食を求めて寒冷地へ、さらに極寒地に進出し、北側からも日本列島に到達したのだとか。なるほど…

最初は毛皮に穴を開けて頭を通すマント状だったことでしょう。
それではスース―するので紐(動植物の筋や根?)で胴を縛ったことでしょう。
さらに寒くなると毛皮で立体的に身体を包めたらいいなと思った誰かがいて、毛皮と毛皮を糸状の物で剥ぎ合せようと工夫した誰かがいて、
細い棒で紐や糸を通すことを始めた誰かがいて、そして
鋭い針を作り出した誰かがいたのですよね。
長い長い年月をかけて3万年前には今の毛皮コートと基本的に同じ機能の防寒着が作られていたなんて。


映像の針をよく見ると糸孔に大中小があるのです。
こういう針で縫えばこんな立派なコートを作れたはず、という映像。


着物、着る物、その一、でした!(^^)!
植物繊維や動物の毛を使って布が作られたのは、ずっと後、というより最近の事なのですよね、この時間軸で考えると。


参考→ 2018年3/18の当ブログ「サウジアラビア展」にて 紀元前後3世紀の布片を紹介しています。羊毛や麻で織り柄があります。土器石器とちがい大地に還りやすいので、最初の布が作られた時期は、専門家でも分からないことかと思います。

着物あれこれ | 06:42 PM | comments (x) | trackback (x)
麻や綿の生地でつくられた単衣(ひとえ、裏地のない着物)を帷子(かたびら)と言います。
現在友禅の技法で染色する場合、生地はほぼ絹地です。しかし江戸時代、絹は高価であり身分制上の制限もあり、なかなか着られるものではなかったので、今に伝わる友禅染の着物にも麻や綿に染めたものがよく見られます。
糊防染する友禅の初歩のものは庶民の着物からスタートしたのです。
暑い日々が続くからか、上野の国立博物館で友禅染の帷子を展示していました。


(画像が横向き表示になる場合はご容赦下さい)

江戸時代からこれまで保存されてきたのは「豪華」だったり「優れた染色」だったから。
この作品はその両方。しかも解説によれば清水の舞台の模様は当時流行だったそうです。


江戸の後期になると庶民でも物見遊山を楽しめるようになり、嵐山と並び清水は人気スポットだったそうです。今もあまり変わりませんね(*^^)

今風に言うなら無線友禅


竹笹を麻にスッキリと墨描きしています。


帷子イコール湯帷子(ゆかた)になっている現代の目で見ると、この作はゆかたそのものみ見えます。
でも解説によればこの帷子は元々は振袖だったものを後に袖を切って留袖に仕立て直したものだそうです。立派な外出着(訪問着)だったわけです。


こちらも今なら絹の単衣で誂えるべきところ。商家や農家で余裕ある階層がこのように豪華な帷子を着たのでしょう。それに八代将軍吉宗は経費節減のため絹物の直用を武士階級にも制限したそうですから、麻の友禅の需要は想像以上だったのかもしれません…


糸目糊がきれいに浮いている作品です。

現代の伝統工芸としての友禅染は手描き友禅型友禅に分かれますが、江戸期の友禅はほぼ手描き。型紙の発達を待って型友禅が盛んになっていきます。筒に入れた糊を手で挿す手描き友禅の方が原始的でした。江戸初期の素朴に太~い糸目糊の友禅を見たことがあります。



糸目友禅のお手本のような麻の帷子。糸目も細く、笠の中は※糊疋田です。季節先取りの紅葉。ぼかしも細かく刺繍もあしらわれている豪華版です。


どんなお嬢さんが、どんな髪型でどんな簪、小物を合わせて着ていたのでしょうか。タイムスリップして見てみたいですね。

極小の細かい絞りをぎっしり詰めた絞り染めを鹿の子絞り、疋田(ひった)絞りといいます。人気のある模様だったので友禅模様にそれを取り入れて糸目の糊を使って絞りのように見せることを糊疋田(のりびった)と呼びます。(なぜか糊鹿の子とは呼びません)


今回は帷子に合わせて江戸期のすばらしい団扇が展示されていました。


江戸後期から明治期までの作で、どれも大変凝った作りでした。


バラ模様 花の部分だけ和紙が貼られています。涼しそう!
でもよく考えると…風を起こす効果は低い?


流水もみじ模様 こんな狭い団扇の中に大胆な水しぶきが!


月模様 花の向こう、主役の月の部分は和紙を貼らずに余白の効果のような感じに。


玩具模様 お子様サイズでも手抜きのない作り。絵師の名前と落款があります。

八月も終わりますが、まだまだ暑そうですね。(^^;)


着物あれこれ | 11:00 PM | comments (x) | trackback (x)
東京手描き友禅を誂える時は色々なご希望を承ります。日本古来の文様でないことも多いので、機会があれば他の分野の美術品も見て勉強させてもらっています。
今回はハイジュエリーの老舗ショーメの展覧会にいってきました。



 麦の穂をデザインした有名なティアラがチラシの表を飾っております。


 チラシ裏側


 右端の変わった形のネックレスはクリスタルで作られた白い蛸にダイヤがあしらわれたもの。モチーフは植物が一番多いのですが、昆虫、鳥も多くデザインの創意を凝らしてきた歴史を感じました。
中央下に大きく写るダイヤのネックレスも麦の穂のデザイン。


精密なデザイン画も見られたのが展覧会のよいところ。お店では見られませんから。
いえいえ、お店には入ることも出来ません~(^^;)
銀座通りに面したショーウインドウくらいは眺めたいものですが、ほら!入口に威厳のある男性が立っておられますよね、気になってしまうので、ショーウインドウだけとはいえ足を止めるか止めないか位の速度でサッと見るだけ、なのですよ~~(^^;)

 会場内に撮影コーナーがありまして、展示品のいくつかが画像化されていて写すことができました。

髪飾り。日本の簪のようですね。


ブローチ。
鳥の形で尾羽の部分に本当の羽根を指すことができます。
(チラシに小さく写っていますよ)
このように複数の用途のある作もかなり見られました。
ベルトと首飾り、ヘアバンドなど。

パンジーのティアラ


 展示の実物は花びらのカーブが柔らかく、
硬いダイアで作られていることを忘れそうでした。

 ショーメはナポレオン時代以来240年もの歴史があるそうです。
ナポレオンがローマ法王に贈呈したという宝冠の展示もありました。


        写真は図録から
 豪華ですが、解説によれば長い歴史のなかで宝石が外されたりナポレオンを示す模様が削られたり色々あったそうです。
今のフランシスコ法王様は質素な方だそうですが、儀式によってはこのような宝冠をおつけになることもあるのでしょうか。

この展覧会は9/17まで。丸の内の三菱一号館美術館にて。
展覧会ルポ | 12:09 AM | comments (x) | trackback (x)
今回は東京手描友禅の涼しい雰囲気の染め帯を紹介します。


雨中の紫陽花の表現です。
お太鼓と前の柄が見えるように、染め上がりを椅子にかけてみました。


    お太鼓の柄

    前の柄

    染め風景   
 下絵


 色挿し




緑色のラインナップ。色数多く、濃淡もつけることでのっぺりしがちな紫陽花の葉を面白く。手前は色試し布です。

色挿しが進むと葉に変化が出て、涼し気ながら豪華な感じに。手描き友禅ですから!



色挿しが済んだところ。
糊でバリバリした生地は伸子で引っ張られて作業した後ですから変形しています。


まだ糸目糊が残っています。


蒸し、水もと、湯のしが済んで、当初の綺麗な生地にもどった出来上がり。


糸目糊がとれ、白い糸のような線となって残っています。糸目友禅とも呼ばれる訳です。


雨を思わせる地紋の生地を使ったので、地紋の凹凸が光を反射しています。季節感たっぷり。お洒落用の帯となりました。

街中で紫陽花を見かけます。梅雨本番ですね。


最後にぼかし屋ベランダの額アジサイの鉢の写真を。

ぼかし屋の作品紹介 | 09:42 AM | comments (x) | trackback (x)
振袖用の白生地を裁って仮絵羽仕立ての準備をしました。
東京手描き友禅の誂え染めでは、まず白生地をサイズに合わせて裁ち切り、仮の仕立てをしてから下絵を描くのです。


今回使うのはこちらの生地。
欄や菊のおめでたい地紋です。



反物をまず巻きを解いて長さを確認し、難がないか見ておきます。
巻棒から解くと大きな絹の山に。


真っ白の輝く美しさで、毎度のことながら「私なんかが手を加えていいのかしら」と思ってしまいます。変身の甲斐ある仕上げにしますからね、と言いながら採寸


印打ち。
裁ち切っていきます。勇気がいります。


途中何度も長さを確かめつつ、切り終わったら着物の形に並べて最終確認。
仮絵羽仕立てへ進みます。


6/14追記  
仮絵羽仕立てが出来上がって戻ってきました。地紋がきれいです!


  花嫁衣裳のようですね(*^^)

東京手描友禅の道具・作業 | 04:07 PM | comments (x) | trackback (x)
五月連休に岐阜県を経て富山、福井の境あたり白山信仰の地をドライブしました。
目的地は福井県勝山市にある平泉寺白山神社
古来この神社が白山へ修行登山する入口にもなっているそうです。



 1000年の歴史を持つ天台宗寺院である平泉寺(へいせんじ)
白山信仰に基づく白山神社があるお山で、今は神社として残っています。



きわめて古い神社としては鹿島神宮を訪ねたことがありますが、鹿島に劣らず古いことは巨木が並ぶ様子や擦り減り苔むした参道から窺えました。

室町時代には数千の僧兵を擁する石垣作りの大要塞だったそうです。
一向一揆の攻撃を受けて全山焼失、その後、再興に向かいますが、明治の廃仏毀釈で廃寺となり仏教関連の建築はみな破壊されたそうです。今残るのは境内各所の石垣と江戸期に再建された白山神社本殿などわずかなお宮さんだけ。


でも室町期の本殿がいかに大きかったか、木々の根元をつらぬく礎石が示しています。
素人にもハッキリわかりました。


僧坊が立ち並んでいた場所も石垣と石畳だけが残っていて当時のままだそうです。
中世へタイムスリップ感がありました。



この流れも僧坊跡一帯の流れ。石垣の下の側溝です。


スギナなど春の野草に覆われていますが、しっかりした石造りの溝に豊かな水が流れていました。

雪深い土地で春が一気に来るから?
名残りの椿がまだ咲いているのに、葉に新芽が吹いているなんて初めて見ました。


名古屋を出て白山を目指し九頭竜ダムにそって岐阜県を北上したのですが、どんどん気温が下がり季節を遡っている感じがしました。
菜の花と八重桜と藤の花を同時に見ましたよ!


 九頭竜ダム湖と菜の花


 新緑の淡い緑から常緑樹の濃い緑まで、
まるで緑色の色見本のようでした。

は地勢にあっているのか本当に多かったです。山といわず藪といわず。

        あちこちで咲いていた八重桜。

一番印象的だったのはダム本体の上の桜。背景遠くに白山山頂がのぞいています。


二日間のドライブ中驚いたのは九頭竜、白山一帯の水がきれいなこと。


こちらは勝山市内で泊まった宿のそばの流れ。澄み切った急流。


帰路、郡上市内の長良川で、盛大な鯉のぼり。五月五日当日でした。

名古屋方面へ戻る途中、水で有名な郡上八幡に寄ってみました。


 水が澄み切っているって、こんなに豊かな風景を作るものなのですね。
利根川水系が東京湾に注ぐあたり(川は灰色)で暮らしているぼかし屋雑感。


季節の便り | 08:37 PM | comments (x) | trackback (x)
サントリー美術館ですばらしい器を見たので紹介いたします。
終わってしまった展覧会で恐縮ですが…

  「寛永の雅」サントリー美術館


 このパンフレットに写っている孔を開けた白い鉢。
会場に入るなりドキッとする存在感を放っていました。


 白釉 円孔 透鉢  野々村仁清

 展覧会のテーマである江戸寛永期の美術に沿う現代の前衛アーテイストの作品かと思いきや、野々村仁清の作品でした。
 鉢に穴をあしらう造作は江戸前期の乾山や道八にもあるようで「透かし鉢」と呼ぶそうです。でもそれらはあくまでも描いた絵を効果的に生かすための空間として孔を開けたもの。
ところがこの鉢はご覧の通りランダムにあけた孔そのものが主人公
 どうしてこれほどの創作を江戸前期という何百年も前に成し得たのでしょう。
オドロキです。



会場で見た時は、孔は片抜きではなく、竹ヘラ状の何かで手でくり抜いたように思われましたが、図録の解説では型抜きしているそうです。

 仁清と言えば思い浮かぶ作品は、派手な色絵や、色使いと幾何学的な面白さ


色絵 芥子文 茶壺      色絵 鱗波文 茶碗

または渋く


銹絵 富士山文 茶碗           白濁釉 象嵌 桜文茶碗 

 それから私が仁清を好きになったキッカケの作品

 色絵 武蔵野文 茶碗
  
といったところでしょうか。
このような作品を作っていた人が、どういうツナガリでこの白い鉢を「作ろう!」と思い至るのでしょうか。
現代のように溢れる映像や製品から刺激を受けることは出来ない、はるか昔に。

本日取り上げた仁清のうち茶碗と鉢はみな縁の部分は真円でなく不均等にズレています。上から見ても横から見ても。

特にこの白い透かし鉢は縁もシルエットも孔の開き方、配置もすべて不均衡
それで美しいのですから、天才はいるものだと思うばかりです。

 帰宅してから手持ちの図録を確認しましたら、2014年に出光美術館で開かれた
「仁清・乾山と京の工芸」展の展示作から仁清の透かし鉢を見つけました。


 白釉 菊花 七宝文 透彫 木瓜型鉢

 当時は友禅染の模様の参考としてしか仁清をみていなかったので、
色絵物以外はスルー。記憶に残っていませんでした。今回再認識です。


展覧会ルポ | 05:17 PM | comments (x) | trackback (x)

ページのトップへ