着物あれこれ

 
運ばれていく着物
 本日の朝日新聞朝刊上に、気持ちに残る写真がありましたのでご紹介いたします。



 一週間前の地震で被災した長野県白馬村で、解体作業中の家屋から貴重品を運びだすボランティア活動中の女性の写真です。白馬村は豪雪地帯。壊れた家屋をそのままにしておくと雪で倒壊して家財も雪に埋もれてしまうので作業を急ぐ必要があるそうです。
 彼女が手にしているのは和箪笥の中引き出し。三段分を両手で持ち上げ中身を落とさないように一生懸命に運んでおられます。すぐ側で重機が動いている様子。埃をかぶらないように被せてくれた新聞は風でめくれています。ボランティアの方の心使いが伝わる写真だと思います。
 中引き出しに収められているのは男性用の羽織のように見えます。重ね具合から羽織と長着のアンサンブルでしょうか。その下にも男性用浴衣らしい柄がみえます。このように箪笥を管理していた持ち主の方なら、大切な女性用の着物もたくさんお持ちだったことでしょう。思い出の着物や大切な方の形見の品も。考えつつしばらく見入りました。
 私も以前水害にあった着物の再生をご注文いただいたことがあります。思い出の着物は「めったに着ないけれど、きちんとした状態で保管しておきたい」とおっしゃるお客様は多くいらっしゃいます。
 この写真の和箪笥の持ち主の方も、大切な品々を少しでも多く取り戻せますようお祈りするばかりです。それに各地で健闘なさっているボランティアの若い皆様、ありがとうございます。

着物あれこれ | 02:19 PM | comments (x) | trackback (x)
 今までこのブログで話題となった「着物あれこれ」の中から、
最近実例を見かけた着物姿を2例紹介します。

その一
 昨年2013年4/27日のブログで取り上げた「腰巻姿」を、思いがけず映画で見かけました。



 「雨あがる」山本周五郎原作の一場面

 さほど大きくない大名家の殿様と奥方がくつろいで話をしているシーンです。殿様はお酒を飲みながら奥方に愚痴めいた話としています。お酌しながら聞いてあげている奥方が腰巻姿です。袴に見えるかもしれませんが、ブルーの小袖の腰に紺色の打掛を巻きつけています。立ち姿の場面がなく残念…。



 簡単にまとめただけのお下げ髪なのが印象的です。ブルーの小袖の燕子花の模様は写実的な友禅染め。燕子花の下は金箔があしらわれて華やかです。打掛は紺一色に見えます。立ち歩くと紺色の裾からさらに白地に燕子花や金箔の小袖がのぞくはず。すてきでしょうね!
 江戸時代を舞台にした時代劇では、身分ある女性はみな打掛をガウンのように羽織った姿で登場しますが、この映画の衣装担当の方はどんな意図で腰巻姿にしたのでしょうか。今では完全に廃れた着用方法ですが、能や歌舞伎では、よく似た着付け方法を見かけることがあります。

その二
2013年11/26のブログ「宮廷服の礼装」でご紹介した「袿袴(けいこ)姿」
伊勢神宮の遷宮の儀式で天皇家長女の黒田清子さんがお召しになっていました。



  家庭画報 2014年1月号より

 この写真が横から撮影されているので、袿(うちき、上から羽織るもの)と袴のボリュームがよく分かります。着用するとこんなに大きいのですね!この袴で歩くのは大変そうです。
さらに白い上着を羽織っているのは、おそらく神事への参列だからでしょう。袴はくるぶしまでの長さで引きずりません。
 この写真でもう一点面白いと思ったのは一番左端に写る男性の足元です。古くからの沓でも草履などの履物でもなく、大きな写真で見ると子供用運動靴のような白い靴を履いています。動きやすくて狩衣にも合うように現代になってからデザインされた物に見えました。実用的ですね。

2014/10/10追記
 先日の千家典子さんの結婚式の日に花嫁一同が出雲大社境内を歩く様子が報道されました。


         毎日新聞電子版より

 おや珍しい!袿袴姿ですね。報道各社で衣装の呼び名が違うようでしたが、
NHKでは「袿・切り袴」(うちき・きりばかま)と呼んでいました。  
 風で衣装があおられている分、足元がよく見えます。
袴の下は西洋風の靴。束帯姿の花婿は沓をはいています。
 花嫁は儀式そのものでは袿に長袴。(小袿姿)おはしょりしない袿と長い袴を優雅に引いて歩かれたようです。今回たまたま花婿が神職だったので、袿袴姿で境内を歩くという光景が見られました。
 こうして見ると袿に袴は意外に実用的な感じもしますね。
裾が広がらず帯も重い現代の着物より…。

着物あれこれ | 10:50 PM | comments (x) | trackback (x)
 子供の頃、父の京都土産の絵葉書に写っていた舞妓さんを見て以来、お引きずりの振袖姿に憧れていました。だらりの帯、びらびらの簪にも。
 本物をじっくり拝見する機会もないまま今に至りますが、一番の興味はやはり着物。特に裾を引きながら軽々を踊ったり歩いたりする着物はどんな構造なのだろうと。



 踊っても裾の返りが綺麗なので、小袖と打掛のような重ね着ではないと想像していましたが、思いがけずNHKの番組「新日本風土記」花街・祇園で答えが分かりました。
 男衆さんが舞妓さんに着付けをする、一分ちょっとの場面に振袖の裏側が写ったのです。



 畳んであった振袖を手に取りサッと広げる瞬間。裾のフキが厚いですね。ピンクの表地の内側に黄緑の中着が見えます。これがどうなっているかが疑問だったのでした。



 男衆さんが両手で衿を持って振袖を広げました。襟が※比翼仕立てで重ね衿になっています。



 舞妓さんに後ろから羽織らせるために広げてさばいています。ほら!裾も比翼仕立てです。
やはり二枚重ねではなく、一般の黒留袖と同じように比翼仕立てなのですね!なるほど。
しかし黒留袖の比翼でも十分重く、仕立てるのも大仕事なら、ズッシリした絹の重みで着るのも楽ではないのに、これほど厚くフキが入っている比翼の振袖を着こなすのは大変そうです。
胴裏と裾回し、比翼との境なども一般の着物と比べ特に違いはなさそうです。

 ピンクの表地に黄緑色で模様のある襲ね(かさね)は春の取り合わせですね。 
 


 背中心だけ慎重にあてて位置を決めた後は…







 衿からスッと沿わせて肩山の位置は一瞬で決まっていました。



 最後に帯結び。
 舞妓さんの着付けは男衆さん(おとこしさん)の仕事で実質的に世襲だそうです。ほんの数分で舞妓さんの着付けが出来上がるとは驚きました。伝承技術なのですね。
 周辺にある棚や着物ハンガーなど一般家庭でも使うような物たちも見えてちょっと親近感。



 芸妓さんの黒の礼装一式。帯板や紐類など私たちも馴染み深い形ですが、衿も大きく襦袢を含め全体にフキが厚く重そうです。
 いつの日か舞妓さんをじっくりと拝見したいものですが、残念ながらまず機会はないことでしょう。一見さんお断りの世界なので。
 思いがけず舞妓さんの着物の裏側を見ることができて幸運でした。

※ 比翼仕立て
 正装の着物は元々、二枚襲ね(重ねること)で着用するのが正式でした。留袖なら黒い表着の内側に白い下着を重ね合わせてから袖を通して着たそうです。
 これでは重くてかさ張り、動くと着崩れしやすいので、時代と共に簡略化され、二枚がずれないよう下着を表着に縫い付け、しかも衿と裾部分だけになってきました。これを比翼仕立てと呼んでいます。
 色留袖ですと裾も省いて比翼衿だけ付けたり、訪問着にお洒落のため比翼衿を付けることもあります。伊達衿は比翼衿をさらに簡単にして取り外しがきくようにしたものです。

 比翼という言葉は二羽の鳥が仲良く翼を並べているところを表わすそうです。夫婦仲のよいことの例えだとか。着物を二枚重ねているように見せる仕立て方法なので、いつか誰かが比翼仕立てと呼ぶようになって一般化したようです。
(各種着物関連図書を参考にしております)

2014年5月25日のブログ「東京手描友禅の色留袖、几帳模様の色留袖」 にて比翼仕立ての色留袖を作品例として紹介しています。舞妓さんの着物と違いフキは薄いのですが、構造は同じです。
裾回し、比翼が写っておりますので、ぜひご覧ください。



着物あれこれ | 12:20 AM | comments (x) | trackback (x)
着物の巻き棒の旅

 まずはこの写真をご覧ください。

 

 これは反物を巻く時に芯となる巻き棒です。
お料理用のラップの芯の両端にプラスチック製のフタがついているとお思い下さい。
 巻き棒は機屋(はたや)さんが生地を織りあげて出荷するときに、新しい巻棒に反物を巻いて世に送り出した後は、問屋、染色業者、縫製業者を行き来します。ぼかし屋の場合、例えば湯のし屋さんに染め上がりを持ち込んだ時の巻き棒と湯のし屋さんから戻ってきた時の巻き棒が同じ物かどうか気にしません。反物の長さ、幅によって少し種類がありますが、だいたいみな同じだからです。染色関連の業者の間をたくさんの巻き棒がグルグル旅を続けているわけです。いよいよ古くなって誰かが破棄するまで。

 先日ふと手元の帯用巻き棒が妙に重いのに気付きフタを外してみましたら!
驚いたことに2011年12月13日付けの京都新聞(夕刊)が詰め込まれていたのです。
 きっと丹後ちりめんの機屋さんのところを出発して色々旅をしてここまで辿り着いたのだなぁと感慨深く…。
2年以上前の、それも京都の新聞です。シワを伸ばして読んでみました。すると偶然にも着物に関わる記事を二か所も発見しました。



 まず一面に花街の一足早い新年の行事が紹介されていました。舞妓さん芸妓さんが芸事の師匠に新年の挨拶に回る日だそうです。京舞井上流のお師匠さんに順番に挨拶している写真はいかにも京都らしいと感心して眺めました。本当に年が明けるとお客様相手の新年行事で忙しいからだそうです。
 後ろから二番目の面にはとても興味深い染色関係の記事がありました。



 ご覧のように「黒留袖、あなた色に」という見出しで、模様を残したまま黒い地色を脱色して薄い色に染め直す技術が開発されたことが紹介されています。
 黒留袖の黒が脱色できるようになっていたとはしりませんでした。
 黒留袖や喪服、黒地の振袖の地色の黒色は化学染料ではなく鉄が酸化する力を利用して染める草木染の一種だそうです。他の色(化学染料)と違って絶対に脱色出来ないものと思っていました。
 技術を開発なさる方がいらっしゃるのですね。思い出の留袖をぜひ色留袖に変えたいという方には朗報です。私は身近で実例を見聞きしたことがないので、脱色作業により生地がどんな状態になるのか分からないのですが。
 ちなみに、模様も地色も染めるのがぼかし屋の特徴ですが、黒留袖の地色だけは専門の黒染屋さんに依頼します。化学染料の黒とは比べられない冴えた黒色になります。
 この記事のすぐ下には京料理展示大会が紹介されています。京都料理組合の200店が参加したそうです。これもまた京都らしい記事ですね!
 左側にある被ばく線量の記事はせつないですけど。
 それにしても誰がなぜ巻き棒の中に新聞を詰め込んだのでしょう。
おかげで京都の新聞が読めました。
この巻き棒は新聞を除いてまたフタをしました。
いずれ旅に出てぼかし屋からいなくなるでしょう。

着物あれこれ | 12:42 AM | comments (x) | trackback (x)
街角で友禅流し?映画の一場面から

 友禅流しといいますと、川の流れを利用して染め上がった反物から余分な染料や防染糊を落とすために川の中の杭に反物の端を引っかけて、反物を長く川の流れに泳がせながら洗うものです。ご存知のように今では観光風物的に金沢などに残るだけです。
 6月27日に放送された昔の映画に友禅流しを思わせる大変興味深いシーンがありました。



「宮本武蔵 一乗寺の決斗」1964年 東映京都制作
中村(萬家)錦之助主演、内田吐夢監督

 京都の街中の大きな屋敷前という設定。画面左下に川の中で作業をする人が二人写っています。二人とも布を洗っています。一人は棒で布を叩いて、もう一人は川の中に立ち、反物を流し洗いしていて布が下流に長く伸びて水にゆらいでいます。二人が男性であるところから、これは日常の家事としての洗濯ではなく反物を生産する染色作業だろうと思われます。
 映画を作成するにあたり全盛時代の日本映画は訴える力を高めるために、これほど細かい映像作りをしたのだと感心するばかりです。
 特にこの映画では剣の道を追及する武蔵の生き方と対比させて庶民が繰り広げる営みの描写が随所にあります。その営みの一つとして染色作業をしている職人が取り上げられているのです。決闘申込みに来た武士団を武蔵が見送り、自分も外出するシーンですが、ただ川だけが写っていても差支えないところを、二人が黙々と川で作業をしている情景の中に武蔵をおくことで武蔵の立場の特異性が際立ち映像に膨らみが出ていると思います。
 時代考証の上での映像として見ると、街中のこのような小さな流れも染色に利用されていたという事なのですね。洗濯は川でしていたのですから同じことでしょうか。そういえば宮本武蔵は江戸初期の剣豪。友禅染が生まれた時代ですね。
 興味深いのは庶民の営みの描写として農作業や商店、行商といった生業と並んで染色職人が取り上げられたことです。現代と違い、監督さんはじめ当時映画を作った人々にとって着物の染色作業が身近にあったからではないかと思うのです。
 家庭でも昭和40年代位まで張り板や伸子針を使った着物の洗い張りが家事の一部と見なされていたようです。着物を解いて洗い、きれいに形を整えて干してから再度縫い直すという一連の作業ができる女性が少しずつ減り、昭和60年代終わり位でほぼ全滅したのではないでしょうか。
 かく言う私も手描き友禅の制作上必要なので仮絵羽仕立て(仮縫い)は致しますが、本縫いは専門の仕立屋さんにお願いしております。
 今回の「宮本武蔵」のように昭和40年代までの日本映画は、作品の良し悪しとは別に、着物の着こなしが勉強になります。今の俳優さんと違い、着物を日常生活で着ていた人々が演じるので、「実際に着て生活したらこうだろうな」と思う自然な着崩れをしているのです。それに、女性が料理をするので袂を帯にサッとはさむ、男性が急ぐのでちょいと尻っぱしょりする、といった仕草もまったく自然で「着物の時代の日本人はこんなふうだったのか」と、現代人としての私は別の民族を見るかのような目で観察してしまいます。
 いまさら着物の日常に戻ることはあり得ませんし、このような古い日本映画が放送されることも減っていくのでしょうね。

 この機会に家事として着物の洗い張りをしている女性を描いた名画を紹介します。


上村松園「晴日」

洗い上がった反物に伸子針をうって幅を整えながら干している女性が描かれています。家事労働する女性をこんなに美しく描いた絵は他にないと思っております。
 竹の細い棒の先に針のついた伸子針を真剣に扱う女性の眼差し。彼女の着る着物や帯揚げなど小物類の色合いも見事です。失われた日本の風景というわけです。




着物あれこれ | 07:38 PM | comments (x) | trackback (x)
着物洗いの幟に感激
 以前から一度は、と思っていたのですが、東日本大震災の被災地、宮城県南三陸町を訪ねてきました。何のお手伝い出来る訳でもないのですが、観光客として宿泊、買い物をするだけでもと思っていたところ、手ごろなツアーがあったので実行いたしました。
 新幹線で昼には仙台到着。そこからレンタカーで三陸道を北へ。途中で日本三景の一つ、松島も寄りました。松島も初めてだったので大急ぎで見学し、再び北へ。東松島、石巻など被災のニュースですっかり馴染んだ地名が続き、夕刻には南三陸町に入りました。
 翌朝、宿泊ホテルの主催する語り部ツアーで約一時間、津波被害にあった地域をバスで回り説明を受けました。
 被災の事について感想めいたことを言うのは憚られますが、一番感じたことだけ書きます。
報道されている通りには違いないのですが、実際に現地に立つと、あまりにも広い範囲だという、横の広がり感と、あんなに高い崖の上、ビルの屋上まで、という縦の高さ感に唖然としました。それほどの海水が街を覆ったのか、と。
 木材の瓦礫は片づけられて、電柱が立ちガソリンスタンドが営業したり仮設市場が再開したりしているのですが、それだけに本来あったはずの街がすっぽり抜け落ちている感は大きいものでした。そこにあった仕事やら生活の雑事やら、子供の遊びやら喧騒やら。そういうものが無い感。
 途中に何もないため水門が間近に見えるのですが、説明では「あの水門の高さの倍の高さで津波が街に押し寄せた」とのこと。今は穏やかに広がる水面からは信じられない事実で、同じく海の近くに住む私は、そんなことがあり得るのかと改めて思いました。
商店街だった所には、白い立て看板のようなものが沢山見えます。ガイドの方の説明では、それぞれの店の商売内容を表す絵や、気持ちを書いた文を、切り絵のように白いボードを切り取って表現したものを、店のあった場所に飾っているそうです。
 何でも南三陸では、お正月には神棚を白い紙の切り絵で飾る習慣があるそうです。その「きりこ」と呼ばれるお飾りを「きりこボード」として被災した街々に飾るのは、被災者の方々によるプロジェクトだそうです。
語り部ツアーの後はレンタカーで個人的に再度訪問。高台にあるベイサイドセンターの写真などの展示も見学しました。近接して木造の真新しい幼稚園がありました。杉の被害材を使って建築し、海近くの低地にあった幼稚園が移転したのだそうです。なんでもサッカー日本代表キャプテンの長谷部選手の援助があったそうです。さすが長谷部キャプテン!
 長谷部選手のような援助は出来ない私は、せめて買い物で貢献するべく、商店街が集団で再開した「南三陸さんさん商店街」へ。東京では考えられない海産物のレベルの高さ。色々買い込みました。

 嬉しいことにクリーニング屋さんに「きもの洗い」の幟がありました!東京ではトンと見かけなくなった表示。こちらでは今も着物洗いのニーズがあるのだと思うと嬉しい、嬉しい。心の中で「染め直しや新規のご注文は、ぼかし屋へ」とつぶやいた事でした。

着物あれこれ | 08:41 PM | comments (x) | trackback (x)
山田洋二監督の「武士の一分(いちぶん)」をビデオで鑑賞しました。
その中で、主人公の下級武士の妻が、夫の袴に火のしを掛ける場面がありました。つまりアイロン掛けです。鉄の容器に炭火をいれ、容器の底を布にあてることでアイロンがかかる仕掛け。聞いたことはありましたが、実際に使う様子を、映画とはいえ見られたのは貴重です。身分が低いので裃もごく質素な木綿か麻の物。でも大切に扱う妻の姿が印象的でした。
ところで、タンスにしまってあった着物に、思いがけないシワがついたり、持ち歩いてシワを寄せてしまったりする事がありませんか。
正しく畳み直して時間が経てば直ることが多いのですが、どうしても直らない、または急ぐ場合はアイロンをかける事もできます。
ただし、ワイシャツでもかけるように無造作にアイロンを着物地の上においては失敗してしまいます。スチームの浮かしアイロンで、当て布の上から一瞬だけ掛けます。アイロンの重みを着物に掛けてしまうと、着物の上にアイロン跡が付いたり、縫い代の中の返し布部分の僅かな厚みが浮き出てしまったり、危険が沢山あります。重みをかけずに一瞬かけては着物地の様子を確認し、足りなければまた一瞬かける、と繰り返すと大きな失敗は避けられます。
スチームアイロンの方が着物のシワはよく取れますが、着物の絹は水分で縮みます。蒸気をあまり当てると、その部分が縮むことで布の風合いが変わってシミのように見える事もあります。ご注意くださいね。
火のし掛けの時代は、柔い絹物などはどうしていたのでしょうか。あのような鉄の容器では無理だと思いますから、きっと上に座布団など柔いものを置いて時間をかけてシワを伸ばしていたのでしょうね。
そういえば私の高校生時代は、制服の紺のプリーツスカートのプリーツを整えるのに、寝押しをしていました。今の若い方はご存じないかもしれませんが、プリーツを整えた状態で、上にそうっと布団を敷いて寝て、翌朝布団の下から出すとプリーツがきっちりしているというわけです。今?見かけなくなりましたね。皆さんのお宅はいかがですか。技術が向上し、洋服布がシワになりにくくなったためでしょうか。寝押しをする話は、もう聞くことがないように思います。

着物あれこれ | 10:58 PM | comments (x) | trackback (x)
引き続き着物風俗のお話を、再放送のNHK大河ドラマ「篤姫」の衣装に関連して。
今回は腰巻姿という武士階級の女性の着物についてです。
安土桃山、江戸期の身分ある女性の装いのうち、打掛、小袖などの装い姿は有名で、時代劇などでも見る機会が多いのですが、めったに見る機会のない「腰巻姿」という装いをご存知でしょうか。私も展覧会で再現してマネキンが着用している様子を見たことがあるだけで、実際に着用している様子は見たことがありません。白い小袖の上に羽織った打掛、あるいは豪華な模様の小袖、を帯でしっかり体にとめてから上半身だけ脱いでしまった感じです。すると当然打掛の上半身、袖などがウエストまわりや背後ろに垂れ下がります。それを豪華に見えるよう着付けを工夫した装い姿です。特に袖部分に棒状の支えを入れて袖を左右に張らせ、前から見ても袖が見えるようにしています。
 本当のところ、着用するとどんな感じかしら、と思っていたところ、「篤姫」再放送 第33回で篤姫役の女優さんがワンシーンながら腰巻姿で登場し、びっくりしました。
着座した姿だけだったのが残念。せっかく女優さんに着付けをしたのですから、立ち姿、歩く様子も映像にしてほしかったですね。立ちあがると腰の後ろからかなり腰巻袖部分が左右にかなり出っ張る派手な着付けのはず。映像でも濃茶地の織物の打掛をウエスト部分にぐるりと巻き付けて、座る篤姫の背から左右に打掛の袖部分が張り出しています。映像を静止させて(便利な時代ですね)よく観ると、両袖の途中まで棒状の支えを入れて着付けるようです。より豪華に見せるためでしょうか。上半身は、白地の小袖ながら豪華な刺繍で華やかです。
ドラマの場面は前将軍の御台所として老中に合うシーンです。他の多くのシーンでは、夫を亡くした妻として地味な被布姿の場合が多いので、この腰巻姿は際立って華やかでした。表政治の代表たる老中に篤姫が物申すシーンでしたから、華やかにして威勢を張ったという意味なのかもしれません。
 


この腰巻姿の良い参考例としては、「お市の方」を描いた著名な画像があります。お市の方、つまり織田信長の妹で浅井長政の夫人ですから、安土桃山時代の女性で、幕末の篤姫から遡ること300年ですが、着付け方法はほぼ同じです。赤みの艶やかそうな打掛で腰から下が覆われ、上半身は真っ白な小袖だけ。やはり坐像です。朝日新聞社「日本美術に描かれた女性たち」によれば、絵画としては江戸時代初期のものだそうです。確かに近江の一大名の妻にしては着物が立派過ぎる感じもします。江戸初期になってから、娘の誰かが追悼のために描かせたのかもしれないですね。
着物あれこれ | 11:39 PM | comments (x) | trackback (x)
先週に引き続き、テレビで見かけた着物姿についてもう一つ。
つい先日まで再放送されたNHK大河ドラマ、篤姫を見ていました。
本来の放送の時は、篤姫が薩摩で西郷、大久保といった人々と交流する設定が時代考証として無理で、面白いと思えずあまり見なかったのですが、今回はストーリーより衣装が目的で毎回楽しみました。
 ご存じのように篤姫は薩摩藩主の分家の娘(それだってかなり高い身分ですが)として生まれ、本家の薩摩藩主の養女となり、さらに徳川将軍家に嫁いだ人。ですから身分が上がるにつれ、篤姫とその近辺の人々の着物のグレードが上がっていき、様々な衣装で登場します。若くして藩主、島津家の姫君となってからは、これぞお姫様の中のお姫様、という真っ赤な着物の数々。髪型も武家というよりは公家の女性に近い結い方となりました。実際のところ、彼女はさらに摂関家である近衛家の養女となって格を上げてから徳川家に嫁いだのでした。公家風を教え込む専門の老女もいたそうです。
 印象的だったのは将軍との婚礼衣装。白無垢で胸にお守りを下げていました。実際に篤姫自身がどのような衣装だったか、本当のところは資料もないことと思われます。きっとこの装いは衣装担当の方々が当時の資料などからお考えになったのでしょう。初々しく好感持てる花嫁姿でした。
 将軍の御台所となってからは、本当に華やかな小袖、打掛の数々。教育係の老女、幾島など大奥の大勢の女性の着物姿も飽きることはありませんでした。特に篤姫の姑である本寿院が夫(前将軍)を亡くした女性として地味な被布を着ているのに、貫禄たっぷりで見応えあり、楽しませてくれました。
被布は今では七五三の三歳女児しか着ませんが、大人の女性も着るものでした。でも何となくご隠居様が着るイメージですね。夫のいる若い、あるいは中年の女性は着ないものだったのかどうか。私は不勉強で知らないのですが。
 女優の森光子さん主演の放浪記のお芝居で、終盤、経済的に余裕の出た林芙美子が、その老母に立派な織の被布を着せていて、老母が「無理に着せられている、云々」というセリフを言うシーンがあります。地味な色合いですが、何とも言えない華やかさがありました。被布を着たご隠居がいらっしゃるというのはステータスだったのでしょう。今は見かけませんね、本当に。

着物あれこれ | 12:29 AM | comments (x) | trackback (x)
 関東の桜は残すところ山桜が少々となりました。先日風に吹かれて桜吹雪が舞う中、改めて桜は一瞬の花で諸行無常という言葉が似合うなどと考えていて、 少し前に見ていたTVの時代劇「薄桜記」を思い出しました。
 昨年、同時期のNHK大河ドラマ「平清盛」の時代考証が凝っていて、正し過ぎて登場人物の身なりが汚く?評判が今一つだった(私はファンでしたが)のに対し、こちらは正調TVドラマらしく江戸庶民も小奇麗な身なりで登場。これはこれで楽しめました。
 主演俳優さんが旗本姿、浪人姿とも見栄えがしました。不本意な出来事から浪人の身となった後の姿は粋でした。木綿物の小袖もパリッとした着こなしでした。
ご覧になった方、お気づきでしたが。終盤に羽織袴姿で登場したとき、羽織の下の小袖は紺地に細かい桜の模様でした。いよいよ悲劇的なクライマックスが近いと予告するような気づかいを感じました。
 主人公の妻役の女優さんが武家の女性らしい美しさでした。プライベートでは小紋に織帯。侍女として勤務中は地味な小紋に黒繻子の帯。小紋は裾長な着付けでお引きずりに。帯はきっぱり羽を張らせた文庫結び。同じ絹物の小紋であっても、彼女の母親役は抑えた色合い、一方で彼女の女主人である大名家の女性は豪華な柄の小紋でした。
 楽しめるとは言いつつも、このお話しは主人公夫婦の愛情を描き二人の悲しい死で終わります。山本周五郎の原作から、悲劇と知っているからこそ、より切ない美しさでした。綺麗な時代劇でした。
 そろそろ桜はすべて終わりツツジや藤の季節に移ります。暑い寒いは苦手ですが、四季のある国に生まれてよかったと思います。

着物あれこれ | 12:29 AM | comments (x) | trackback (x)

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