2015,06,03, Wednesday
少し前になりますが、
NHKアーカイブスの放送で
「祇園・継承のとき 井上八千代から三千子へ」を観ました。
感銘深かったのでテレビ映像をお借りして紹介させていただきます。
京舞・井上流の四世である井上八千代さんが、家元八千代の名を孫の三千子さんへ譲るにあたり
家元の暮らしや舞の披露、稽古の様子を収録した番組です。

新しい家元として三千子さんが舞う
「虫の音」
「虫の音」は井上流家元には重要な演目だそうです。
日本舞踊には特別の知識のない私でも、隙のない身ごなしを美しいと思いました。
紋付きの
色留袖 白の比翼つき。
裾模様の背には模様がありませんが、下前に柄がある
両褄模様の形式。
足の運びで下前の柄が見え隠れします。
バレエのように動き自体に華やかさがある訳ではないのに、なぜ素人目にも美しく感じるのかと考えていて、常に体の中心にある帯締めに目が行きました。
濃い色目の着物と帯に、正装としての
真っ白な帯締め。それだけで全体が引き締まりますが、
印象的なのは帯締めの房。ピッと上を向いています。
どの場面でも上を向いた白い房は、ふんわりと広がり存在感を示しています。
なぜこんなに帯締めと房が綺麗に見えるのか、ビデオを見返して考えました。
おそらく、踊り手が大きく動く時も、傾いた姿勢をとる時も、
体幹だけは常にまっすぐ上を向いているので、帯〆の房部分は床に対していつも垂直となり、
白い房が常に真上を向き、房の糸がふんわりと折り返しているために華やかに見えるのだと思い当りました。
踊り手の動きに合わせ、房がフワッフワッと小気味よく踊るのです。
動く映像でなくて残念です。
体幹が常に真っすぐな踊り姿…。
そう思いつつ映像で見ると、全体に思いがけないほど筋肉質でいらっしゃるのが、着物の上からでも分かります。後を継ぐ家元としての日頃の鍛錬の賜物が、筋力となって隙のない舞姿を下支えしているのでしょう。敬服…。
色留袖の柄は刺繍のように見えました。四世家元が初めて虫の音を舞ったときのものだとか。
染めでないのがちょっと残念でしたが、別の場面の映像
「初寄り」(新年の挨拶)で弟子である舞妓さん、芸妓さんたちにお屠蘇をふるまうときの黒留袖は、遠目ながら椿を描いた
手描友禅でした。
「虫の音」の練習風景。
深緑の付け下げ小紋に椿の染め帯。椿に合わせて帯〆は赤。小紋の裾回しは帯の地色と揃えて薄黄色。和服ならではの色合わせです。こんな着こなししてみたいものですね。
最後に同じ番組から、祇園の
巽橋を渡る舞妓さんの映像を。
傘をさし道行を着てお座敷へ。舞妓さんの映像を見ることは多くても、このような道行姿は珍しいですね。
黒繻子の掛け衿が町方の娘らしい可愛らしさです。
着物あれこれ | 12:55 PM
| comments (x) | trackback (x)
2015,05,17, Sunday
この春は立て続けに琳派の花の絵を楽しむ機会がありました。
今年は琳派にとって区切りの年とのことで、多くの美術館で記念展示があるようです。
日本橋の高島屋で開かれた「
細見美術館・琳派のきらめき」展の解説によれば、
琳派の始祖とされる本阿弥光悦が、家康から鷹峯の土地を拝領して彼の芸術村を創設したのは、
ちょうど400年前だそうです。

それを記念して京都の
細見美術館の琳派コレクションが
引っ越し展示されたわけです。
琳派とされる画家の頂点に立つ
俵屋宗達(光悦と同時代)から、
神坂雪佳(明治初期)
まで、特に私の一番好きな画家、
鈴木其一(江戸後期)の作品を複数鑑賞できました。
何かというと其一の話題で恐縮ですが(^_^;)

雪中竹梅小禽図 (図録より)
其一の雪を初めて拝見。梅の枝にふっくりと積もった雪、竹笹に重く積もって崩れる雪、どちらも雪がとても立体的でした。描いてさらに胡粉を吹き付けるなど工夫されているそうです。
朴に尾長鳥図 (部分)
いわゆる緑色を使わず、青磁色で葉を描き、朴の花も写実的です。
スケッチしたままを彩色した感じで、パターン化した所がまったくない其一
…ちょっと驚き…
この絵も驚きで…

槇に秋草図屏風
「オッ!これも其一!」と思って近づいたら、師匠の酒井抱一の作との表示。
でも菊の葉をきっちり整理整頓し、パターン化して描き込む感じは其一サンだと思ったのですが…。抱一センセ!弟子に代作させませんでした?!(*’▽’)
私淑で受け継がれた琳派の中にあって、其一は抱一の正式な弟子でした。
この時代、師匠の代作をすることは高弟の証で名誉なことだったはずですが、代作云々は
其一贔屓の私の勝手な推測です、悪しからず。(^_^;)
絵具の剥落がとても残念な作品でした。
この春第二弾の琳派は
根津美術館。
こちらは尾形光琳没後300年と銘打って
「燕子花図屏風」と「紅白梅図屏風」が並べて展示されていました。
燕子花は根津美術館所蔵でいつも表参道にありますが、紅白梅の方は伊豆のMOA美術館所蔵、門外不出で大切にされているので、この貴重な機会逃すべからず!でした。
.jpg)
「紅白梅図屏風」尾形光琳 (写真は展覧会チラシより)
初めて拝見。
有難いことに両方とも
屏風として(つまりギザギザの状態で)飾られていました。
つくづく眺めていて、私にとっては
左側から観るほうが構図が魅力的だと気付きました。 写真撮影禁止だったので、帰宅後に展覧会チラシから紅白梅図を切り取り、屏風たたみにしてお盆にのせ、左側から撮影してみました。
足元に白梅の太い幹、視界に収まらず天から降り降りてくる白梅の枝、
こちらへ向かってくる流れ、その向こうに立つ紅梅
本物でなく、こんな小さな切り抜きの写真で恐縮ですが、
雰囲気は出ていると思います。左からの方が迫力あました。
二曲一双の屏風ですから、常に並べて使ったわけでなく、一隻だけを部屋の仕切りに使うこともあったはず。
どちらか一つ貰えるなら、左隻(白梅)がいいな、などと勝手なことを考えておりました。想像は自由。
(*^^)v
光琳の下図がたくさん展示されていました。

桐の絵の下絵。
当て紙をして描き直しているのに親近感を覚えます。
私もよくやります。下図は試行錯誤あるのみなので。
たいへん美しかった展示品を一つご紹介します。

薊図、露草図団扇
光琳晩年の弟子の作と考えられていて、元は団扇の表裏だったそうです。なんと贅沢な!
特に薊(アザミ)の配色は、そのまま振袖に使えそうです。
コーヒーブラウンに蘇芳ピンクの花々、ちょっと個性的ですが。
どちらもとても楽しめる展示でした。
いつか京都に細見美術館を訪ねてみたいものです。
展覧会ルポ | 07:10 PM
| comments (x) | trackback (x)
2015,04,17, Friday
手描友禅の本拠地、金沢へ旅行 ②旧暦の雛祭り
旅行は3月末でしたが、何度も
雛飾りを見かけました。
今年の
雛の節句は旧暦なら4月21日。来週の火曜日です。金沢では旧暦で祝う習慣が残っているのでしょう。雛人形があちこちで飾られていました。
前田家のお屋敷だった
成巽閣のお座敷では、
所蔵の雛人形や雛道具類の展覧会が開かれていました。

写真は展覧会ポスターより
前田家に伝わった大きな
次郎左衛門雛(じろうざえもんびな)
江戸時代中期に次郎左衛門という人形師が創り出した様式のお雛様で、当時大流行したそうです。テルテル坊主のような真ん丸なお顔に引目鉤鼻がちょんちょんと。可愛らしさが流行の理由かもしれません。現代でいうなら
キティちゃんのような存在だったのでしょう。
実はこの
お雛様の前に置かれたお供えにビックリ。
金花糖です。
金花糖
(きんかとう)は私が幼かった昔、東京下町の
雛飾り用の砂糖菓子でした。
当時住んでいた北池袋でも、お節句が近づくとお菓子屋さんの店先にたくさん並び、気軽に買えるものでした。
熱して溶かした砂糖を型で整え、冷やし固めて作る飾り菓子で、形は鯛や野菜が多く、春らしい鮮やかな色をしていました。
立体ですが中は空洞で、たいへん薄くデリケート。壊れないように竹の籠に盛って売られていました。指先でつつくと簡単に割れてしまいアッと思ったらもう遅く、イタズラして後悔する子供でした。
だんだん見かけなくなり、大学生の頃、池袋の東武デパートで、セロファンでラッピングされて並んでいるのを見て、
高級品になってしまったと驚いたものでした。
それ以降東京で見かけたことはありません。
復元に努めているという職人さんが新聞に取り上げられているのを、しばらく以前に読んだくらいですから、東京では飾る習慣が廃れてしまったのです。
この成巽閣の金花糖はとても写実的で、大きなお雛様に合わせて、大きなお飾りでした。
成巽閣の中は撮影禁止。でもあまりの懐かしさに携帯電話でソッと写しました。金花糖は成巽閣に含まれない…とへ理屈をつけて。ゴメンナサイ。
金沢市街でも何回となく金花糖を見かけました。嬉しいことに金沢では金花糖は健在。
全体に記憶の中の金花糖より立派でした。
この金花糖は昼食をとった金沢料理のお店「四季のテーブル」で撮影させていただきました。
模様を描いたハマグリもありますね。
加賀野菜の金時草(きんじそう)を使ったちらし寿司を頂きました。
お店の雛飾り。
階段箪笥の上に飾られています。なんてお洒落でしょう!
最後に、我が家の
マメ雛を紹介します。
現代版の次郎左衛門雛よろしく、我が家のお雛様の中で一番丸顔の可愛いお顔です。

2月に写した写真です。(鳴子のこけしも一緒です)
お供えは
雛あられと
干し柿。どちらも知人から手作りの品を頂きました。
特に
手作りの雛あられはこのたび初めて味わいました。やさしい甘さに香ばしさが加わり、あられは本来こういうお菓子なのだと感じました。なんでも姉妹で集まり年中行事としてお作りになるとか。素敵ですね。
干し柿は、茨城県の「ちょっと人里離れた所」に住む知人が寒風の中で作業して作った労作。こちらも手仕事ならではの美味しさでした。
ご馳走様でした。
季節の便り | 12:35 PM
| comments (x) | trackback (x)
2015,04,03, Friday
時流にのって?手描友禅の本拠地、金沢へ旅行に行ってきました。
新幹線開通に沸いていますが、飛行機で行きました。交通費は飛行機の方がお手頃だったので。
金沢は二度目。前回は大昔の話で、名古屋回りで延々と長い特急列車の旅でした。
実はその時初めて見た
手描友禅にカブレたのが、
ぼかし屋としてそもそもの始まりだったのでした。懐かしい~!
今回は美味探訪。とても
美味しく楽しいお店を見つけたので紹介します。
観光ルートに従い、ひがし茶屋街と主計町(かずえまち)を歩いたあと、すぐ近くの並木町(浅野川、梅ノ橋のたもと)の
魚常さんという割烹料理屋さんに行きました。
予約がないのに、板前さんがニコニコと迎えて下さり、きっぷのよい女将さんが新参者にも分かりやすくお料理の説明をして下さいました。板前さんは女将さんの息子さん。
父である先代の板前さんを亡くされてちょうど1年経つという時のご縁でした。
今は板前さんの奥様も一緒に、ご家族皆さんでお店を盛り立てておられるそうです。
女将さんの助言で加賀料理コースを選び、初心者らしく加賀の春の味を試しました。
オードブルの後、女将さんが「これ大丈夫かしら」と笑いながら
テーブルに置いてくださったのが、「
イサザの踊り食い」
イサザは春を告げる魚だそうで、「これが出ると春だなあと思う」のだそうです。
幾らか金色味を帯びた小さな細長いお魚さんがグラスの中でピチピチと!元気よく!
そこにウズラの卵をのせてあり…。
踊り食いに縁のなかった私は一瞬固まった後、
女将さんの教えに従って「
のど越しを味わうように」頂戴しました。
ご馳走様とは、動植物の命を頂戴することだとよく言われますが、実感、実感!!
ツルンとしつつも、つぶつぶ感のあるのど越しを確かに味わいました。私も気分は春です。

これは有名な
じぶ煮
鴨肉と簾麩(すだれふ)を使うのが本来ですが、今は鴨猟が基本的に禁止なので、たいていのお店は鶏肉。魚常さんは頑張って仏産の鴨肉を手に入れているそうです。
フォアグラを頂戴したあとの鴨サンだとか。有難くパクパク。
きれいな酢の物。金沢野菜、ほたるイカと一緒の白く透き通ったものは、
ノレソレ。
アナゴの稚魚。「ホントにこの季節しか食べられない魚ですよ。
ノレソレって紛らわしいからアレコレとか何とか呼んだりしますけど」とは板前さんのお話。
つるぅんツルン! お魚になる前の味わいでした。
ほたるイカは金沢と富山では味が違うそうです。とにかく新鮮なので、
それこそのど越しさわやかでした。ビールの宣伝のようですが。
白エビの天ぷら。
エビの美味しさは勿論ですが、コゴミ、フキノトウの苦味がやはり春のお味で。それに好みで塩をつけて食べるのですが、その
塩が美味しい!塩だけ舐めても美味しい。
能登産の天然塩だそうです。
これを舐めながらお酒が飲めると心の中で思いましたが、表に出すのは控えました。(^^;)
塩を舐めて酒を飲むというのは、確かどうしようもない呑兵衛の所業であったと思いまして。

楽しく食べお話を楽しみ、女将さんから布ウサギのお飾りをいただいてお店を後にしました。
お店は浅野川沿い。川べりの桜は固い蕾でしたが、今頃はきっと満開でしょう。
来春もまた行って、もう少し落ち着いてイサザの踊り食いを味わいたいものです。
何しろ舞い上がってしまい、写真を撮り忘れたのですから。

翌日訪れた近江市場で
イサザを発見。
やはりピチピチと泳いでました。ビニールの中で。運ばれる先は…。
ご馳走様です。<m(__)m>
金沢駅のお土産コーナーで「能登の塩アイスクリーム」なるものを発見。試してみたら、やはり塩のコクが
効いて美味しいアイスでした。塩そのものも探して買い求めました。
魚常さんでは塩の名前までは聞かなかったのですが、何種類かあったうちの、粒の形状と色合いから判断しておそらく「珠洲の海」、正解だといいのですが。(^^♪
魚常さんのHPとブログ
https://www.uotsune.com/
季節の便り | 11:27 PM
| comments (x) | trackback (x)
2015,03,20, Friday
工芸職人の地位・桜紋様の拳銃を見て
NHKに歴史ヒストリアという番組があります。
先日「桜田門外の変の主犯は水戸斉昭!」という内容で放送されていました。
何でも最近アメリカで発見された古い拳銃が、その箱書きや諸状況から井伊直弼の命を奪った銃だと分かったそうです。井伊直弼はまず発砲で致命傷を受け、動けなくなったところを刀で止めを刺されたことも水戸家に残る検案書などから分かっているそうです。
それがこの銃。

(写真は番組映像から)
番組では、この拳銃はペリーが幕府に献上したものを模倣して、
日本で製造された国産品だと紹介していました。
上がペリーの銃の図。アメリカ製の51ネイビーという銃だそうです。
下が直弼を撃った銃。
確かに寸分違いません。模倣元はいかにもアメリカ西部劇に出てきそうですが、
日本国産の方は何とも言えず和風です。
ベリーの拳銃は10丁ほどしかなく、それを手に入れて、「同じ物を作れ」と命じることができたのは、かつ井伊直弼を暗殺する動機があったのは、水戸斉昭。
彼こそ桜田門外の変の主犯だと、番組では論じていました。
歴女である私は、へえ!そうなんですか!と面白く観ました。
でも皆様に紹介したいと思ったのは、
別の観点から見たこの銃です。
銃身に一面に桜が彫り込まれています。
和風に見えるのは、鋼鉄全体が漆のように黒いことと、この桜紋様のためでしょう。
まるで漆塗りのようなイメージです。
モデルであるペリーの銃には彫り物などありませんから、これは製作者の考えで彫られたのです。「模倣せよ」と命じられて、機能を模倣したのに加えて、それ以上に美しい物を作り上げたということです。
「モノづくり日本」という言葉は好きではないのですが、思わず頭をよぎりました。
解説者によれば、強烈な尊王攘夷派だった水戸斉昭のために、天皇をイメージさせる吉野の桜を彫ったのではないかということです。
注文主である斉昭は喜んだことでしょう。そしてこの銃を実行犯になる藩士に渡して暗殺を命じた、と考えられるそうです。
もうひとつ、モノを作る側にとって一番重要なのは、
銃身に実際の製作者の氏名が彫ってあるということです。
これは鉄砲鍛冶の名前
これは桜紋様を彫った職人の名前
これには本当に驚きました。
いわゆる職人の社会的地位は江戸時代には低く、刀工のような特別な工芸職人をのぞけば、工芸品を作った職人の名前が残ることはなかったのです。刀の鍔(つば)や鞘(さや)も立派な工芸品なのに、名刀の銘で残るのは刀工だけ。
尾形光琳のように絵師は芸術家として名前を作品に残せましたが、着物を染めても刺繍をしても名前を作品に残すことはありませんでした。
中世の陶工はすべて無名。芸術家を自認して作品に自分の名をいれた初期の陶工である野々村仁清。彼以降でも献上品を作るときは、はばかって名前を入れなかったり、入れた名前を隠したりということがあったと聞いています。漆芸でも同じ。
比べてこの銃は、水戸斉昭という将軍に準じる身分の人に納めるにあたり、
製作者たちは堂々と名前を残しているのです。嬉しいですね~。
幕末は商人の力が台頭したとは歴史で習うところですが、
職人の地位も上がってきたのでしょうか。
明治期になると、美術工芸品を輸出して外貨を稼ぐという日本の国策に後押しされて、工芸職人の地位は上がっていきました。
不肖ぼかし屋でも誂え染めの着物が出来上がると、最後に下前の裾に落款をおしたりサインを入れたりします。
この習慣はいつ頃からか分かりませんが、大正、昭和になってからだと思います。日本画の画家が落款を入れることに影響されて、誂えの着物に落款が入るようになったのです。
江戸時代はどんな立派な打掛、小袖でも、能衣装でも製作者はみな無名。せいぜい納品した呉服屋さんや織元さん、つまり職人に作らせた人、の名前が分かったりするくらいです。
博物館で立派な刺繍の打掛などを観ると「こんな細かい仕事したのはどんな人だろう」などと考えます。毎日毎日黙々と針を動かし続けたのでしょうね。名前は残らずとも、作品が今日に残りましたよ、とガラス越しに語りかけます。
東京手描き友禅 模様のお話 | 09:01 PM
| comments (x) | trackback (x)
2015,02,21, Saturday
東京手描友禅・染芸展のお知らせ
東京都工芸染色協同組合主催の
染芸展が開かれます。
私は一点だけの出品ですが、先輩方の作品がたくさん展示されます。
すべて伝統工芸品・東京手描友禅の着物や染め帯です。
京都や金沢の手描友禅と技法は同じですが、
東京の特徴として、デザインから染めまでの
一貫制作が多いこと、製作者それぞれの
独自性が強く、
粋な雰囲気が大切にされています。
まったく型を使わず全工程が手描きの着物は、小売店ではなかなか展示されておりません。
ご興味おありでしたら、この機会に是非ご覧になってはいかがでしょうか。
展示販売会の形をとっていますが、どなたでも
自由に鑑賞していただけます。
友禅の体験コーナーもあります。
案内をご希望の場合は、会場受付で宮崎をお呼び出しください。染めの技法や各作品の特徴など説明申し上げます。お気軽にご質問ください。お楽しみいただければ幸いです。
東京手描友禅・染芸展
3月6日(金)13:00~16:30
3月7日(土)10:00~16:30
3月8日(日)10:00~16:00
※友禅体験は15:00まで。最終日は14:00まで。
会場→
東京都産業貿易センター浜松町本館3階
(港区海岸1-7-8)
JR浜松町駅北口から徒歩5分
ゆりかもめ竹芝駅から徒歩2分
※染芸展の
案内状をご希望の方は このホームページのお問い合わせフォームでご連絡くだされば、郵便でお送りいたします。
お知らせ | 11:29 PM
| comments (x) | trackback (x)
2015,02,12, Thursday
無線友禅の半襟
東京手描き友禅で作成されるのは訪問着や振袖などの着物と染め帯ですが、
半襟やショール、風呂敷などの小物類の染めも行います。今回は半襟を染めたのでご紹介します。
塩瀬(絹の織り方の種類で半襟生地の多くが塩瀬)の白生地に複数の色で小菊を筆書きしました。臙脂色の紬に合わせるためにデザインしました。
スッキリした襟元になります。真っ白な衿もよいですが、
このように軽く模様があるとお洒落です。
この半襟は色を染付けしていますが、他に金彩で金銀の模様を付けることもあります。
ぼかし屋の作品紹介 | 09:56 PM
| comments (x) | trackback (x)
2015,01,30, Friday
文化学園服飾博物館で、日本の染織技術について大変参考になる展覧会が開かれています。
「時代と生きる・日本伝統染織技術の継承と発展」2015年2月14日まで。
https://museum.bunka.ac.jp/
伝統の染織というと、古い時代の遺物か、1900年前後に発達した
絞り染めや友禅の手仕事の技術の紹介が中心になることがほとんどですが、
今回の展示は
現代の機械染めの技術までを系統だてて紹介しているところが貴重です。
江戸の昔からほとんど技術が変わっていない
手描友禅は別として、
型友禅の方はどんどん機械化されてきたことが、大変分かりやすい説明と作品例の展示、それにビデオで紹介されているのです。
最初に、職人さんが型紙をスッスッとあてて手際よく染料糊を摺り込んでいく
手仕事による型友禅の染色作業の様子をビデオで見ることができます。それと比較しやすい展示で、型染めの機械化の過程も紹介されているのです。
一番機械化された型友禅がいわゆるシルクスクリーンによるプリント捺染で、この工程ビデオでは、何層にも連なるローラー型の機械の中をベルトコンベアのように反物が進んでいっておりました。このような様子は初めて見ました。迫力ありました。
手染め屋としては、ちょっとため息が出ますが。
でも型友禅の機械化が進んだからこそ、大正、昭和期に友禅染の着物を多くの人が楽しめるようになったのです。
手描友禅と
手仕事による型友禅だけではとうてい多くの需要に応えることはできませんから。
最後に現代のデジタルプリント技術も紹介されていました。
貸衣装用の振袖や留袖のインクジェット印刷による色付けの様子をビデオで初めて拝見…。
これは染めではなく、写真のプリントでおなじみの印刷技術で、友禅風の模様や色を布に高速プリントするものです。
真っ白い生地が、インクの吹き出し口を通過する時に、シュッシュッと吹き付けられるインクで、一瞬にしてカラフルな振袖になっていくのです。
模様部分も地色の部分も、金銀までも同時に!
その
スピードといったら!
一反分の色付けが、おそらく10分程度で済むのではないかと思いました。
ほかに
絞り染め、紬などの織りの技術、
浴衣の注染などについても詳しい展示と作業を紹介するビデオを見ることが出来ます。
受付の方のお話では、この展示を企画なさった学芸員の先生は、伝統技術と現代の技術のつながりについて大変詳しい方だそうです。
着物の染織技術から発達したのが日本の服飾のプリント技術であるとか、明治以降の洋服制作に刺繍など様々な着物の技術が転用されたことは以前から聞いています。
着物というのではなくとも、日本の染織にご興味ある方は是非お立ち寄りになってはいかがでしょうか。
文化学園服飾博物館は渋谷区ですが、
新宿駅南口から徒歩10分ほどです。
※館内は撮影禁止で図録の販売がありませんでした。写真紹介できず残念です。
※この展示の説明を参考にして、2013年12/23の当ブログ、江戸東京博物館の企画「幕末の江戸城大奥」展に加筆、補足いたしました。
お知らせ | 10:03 PM
| comments (x) | trackback (x)
2015,01,28, Wednesday
最近ちょっと面白かったことをまとめて紹介いたします。
①色挿しの作業中に写した一枚です。
先週色挿しの時、明るい緑をベースに渋く黄味のある緑を作ろうと染料皿に緑、黄色、赤味のある茶色を筆で混ぜ入れたところ、混ざり合うまでの間、白い染料皿の中で、まるで唐三彩の色合いのように美しかったのです。偶然の妙にしばらく眺めておりました。
写真では混ざり具合があまり写らず残念…
手描友禅で、模様に色挿しをする時、基本的には粉末の染料を染料皿の中で水と一緒に煮溶かして液状にして一色ずつ作って使います。それを利用して色数を増やしたりもします。例えば、濃い一つの色を水で薄めて中間色、淡色と段階をつけた濃淡の色合いを作ったりもします。また煮溶かした赤と青を混ぜれば紫になります。染料は液状にした後で、組み合わせを考えて混ぜると相性のよい様々な色を作ることができるのです。
合わせる染料の分量を加減して、同じ色でも微妙に違いを出すこともできます。
そういうわけで染料皿とスポイドや筆を手に、理科の実験のようにあれこれ混ぜるわけです。
②羽田空港第二旅客ターミナル3階にギャラリーがあるのをご存じでしょうか。
私は今回初めて見学したのすが、狭いながらも落ち着いた雰囲気で空港内の施設とは思えませんでした。
「大名家のお姫様」という題で、熊本の大名、細川家の女性たちに関わる品々の展示でした。興味深かったのは着物の「雛型」です。
A4版程度の大きさに非常に細かく着物の模様を描き込んだものです。受注に際して注文主に見てもらうための下絵にあたります。まるで細密画のよう!驚異!敬服!
合貝(あわせがい)
婚礼道具に欠かせなかったという貝合わせ。この展示品は絵が細かく人物だけでなく背景まで詳細に描かれていました。大名家の所蔵品の合貝でも、もっと簡単な絵の物もよく見るので、これは大変質の高い造りだと思いました。
白綸子地に刺繍の小袖
大正時代のもので新しいので白地も綺麗で、さすがに格式が第一という感じの柄行きでした
(写真は照明が写ってしまいました)
③1月25日 新宿高島屋で
驚きの絵を観ました。
画家で
山本太郎さんとおっしゃる方の展示会に行き合わせて観たのがこの絵です。
いうまでもなく尾形光琳の紅梅白梅図屏風をもじったもので、中央の流水がピンク!よく見ると流水は右上方の缶から流れ出ているのです。
缶ジュースがこぼれ出ているのが流水なのです。凄いですね。
よくぞこんな表現を思いつくものです。もじった絵でも、ここまでくると素晴らしい創造ですね。ご本人もいらして「カメラ撮影歓迎、ブログ掲載も大歓迎」と言っていただいたので紹介いたしました。
山本さんは日本画の古典にユーモアやパロディを交えて大胆にアレンジした「ニッポン画」を創作されているそうです。今後どんな創作をなさるのでしょうか。機会あればまた拝見したいものです。
着物あれこれ | 12:06 AM
| comments (x) | trackback (x)
2015,01,09, Friday
上野の東京国立博物館が新年イベントの一環で
長谷川等伯の
「松林図」を
今月12日まで展示しています。 ちょっと慌ただしかったのですが行ってまいりました。
この絵については「歴史の教科書で見ただけだけど凄い絵だね」という感想をよく聞きます。私もまったく同感で、教科書で初めて見て「こんな絵があるのか」と驚いた覚えがあります。だいぶ以前に最初に本物にお目にかかった時も、「本当にこんな絵があるんだ!本当に松林だ」とあまり進歩のない驚きを感じたものでした。
今回改めて拝見…。
愛読書「等伯」(安倍龍太郎作)の影響もあり「なるほどこの絵の主役は松ではなく霧だ」などと考えつつ眺めました。
この屏風は
六曲一双の大作なので、教科書などで紹介される時はたいてい右隻だけの写真になっています。美術書でも右隻と左隻が別のページになっていたりします。
今回改めて一双が並んだ展示で鑑賞すると、その
中央部で主役の霧が一番深いと分かります。
別々の写真では中央部が分断されてしまうので分からないことでした。
近寄って観ると、普通の筆ではなくササラのようなもので描いたようでした。硬い硬い筆で激しい勢いで描いたものだと分かります。小説にあるように竹筆で昼夜を分かたず描いたのかもしれません。

左隻
平面に観るより、このように屏風として展示されると松の木を覆う霧の流れがよく分かります。
ひんやりとした感じです。
とんでもない天才が長年の精進の末にたどり着いた境地だったと安倍龍太郎さんは描いていますが、私のような凡人は、ただただ観るだけ、眺めるだけで十分という絵でありました。
※屏風用語のご参考に。左右二点で一つの屏風になっている場合、一双の屏風と呼び、それぞれを右隻、左隻と呼ぶそうです。松林図のように一隻の屏風が六畳みの場合、面一つを一曲、または一扇と呼ぶそうです。「松林図」六曲一双は「六畳みの屏風、左右一対で一点の屏風」という意味になります。
いずれも最近覚えたばかり。
間違いがありましたらHPの問い合わせフォームでご指摘ください。
全館を観る時間はなかったのですが、せっかくなので新年を祝して飾られたコーナーだけは走り見てきました。
正倉院御物のろうけつ染めで羊を描いた屏風の復元品。
羊のデザインはササン朝ペルシャの影響を受けているそうです。
幕末期の打掛 武家女性の婚礼衣装で、鶴などお目出度い柄がぎゅう詰めになっているのは典型的な様式だそうです。
同じく
幕末期の陣羽織
お武家の好みで牡丹、龍、鳳凰が、これもギュッと詰まっています。
正面中央階段の踊り場に池坊の生け花が飾られていました。
お正月らしい展示でした。
※上野の東京国立博物館は
所蔵品の撮影は自由です。他の美術館から借りて展示しているものには撮影
×の印がついています。友禅模様の参考にできるので嬉しい美術館です。
※「よく何度も行けますね」という感想をいただきますが、地の利に恵まれているおかげです。当方から上野まで地下鉄利用で30分。生地屋さんなどが人形町界隈にあり、近いので用足しのついでに立ち寄れるのです。やはり美術館の多い日本橋、大手町界隈へは地下鉄で15分です。気軽に実物にふれることが出来るのは仕事がら本当にありがたいことです。
展覧会ルポ | 11:02 PM
| comments (x) | trackback (x)