展覧会ルポ

 
 この夏、上野の国立博物館展示で、江戸期の友禅染の優品を拝見しました。

 友禅の小袖などで色が退色せず綺麗に残っているものは貴重です。
とても美しかったのでカメラに収めてきました。
(常設展示のほとんどは、有難いことに撮影自由です。何箇所か、写真に手前のガラスの反射が写ってしまいました)



  小袖(萌黄地 菊薄垣水模様)

 このように腰から下にだけ模様をつけるのは1700年代以降の雛型に見られるそうです。



裾の流水は光琳水(こうりんみず)と呼ばれます。秋草文様のお手本のようです。


  小袖(浅葱 縮緬地 垣に菊模様)

やはり腰から下の模様付けで、友禅染で菊に柴垣を描いています。
この図柄は糸目糊で防染した白い垣の強調しています。




腕に覚えの糸目糊職人が糊置きしたのでしょう。こちらは糊のお手本ですね。
1800年代のものだそうです。



帷子(浅葱麻地 流水菖蒲蔦銀杏 花束模様)

1800年代の、今ならお洒落着風の浴衣といったところ。
紋付きです。いったいどのように着付けたのでしょうか。




糊で残した波や岩の白場が冴えています。鹿の子糊(絞りのように見せる模様)も多用し、刺繍もあしらった豪華な友禅です。



 銀杏と菖蒲が並ぶなど、現在の柄行きではあまり考えられないのですが、江戸や明治期の着物を観ると、よく季節が一致せずとも自由に組み合わせて模様にしています。
そういえば桜と楓の取り合わせは、琳派の画家も好み、仁阿弥道八の「桜楓文鉢」などが有名です。
現代人ももっと自由に四季の花の組み合わせを楽しんでもよいかもしれません。

 最後に紹介するのは、友禅の、おそらく振袖が転用された例です。



 手前は「ドギン」 

 ドギンとは、1800年代(琉球 第二尚氏時代)の奄美大島の巫女さんの上着で、このドギンの下にはスカート状の裳を着用したそうです。几帳・檜扇に鉄線を染めた友禅の着物を仕立て替えたものと説明文にありました。



 これほど華やかな柄行きの染めの振袖に金糸の刺繍も。京友禅なのでしょう。大店の娘さんの婚礼振袖だったかもしれません。または新品の染め上がりを購入して巫女さんの衣裳にあてたのかも。
 この着物地はどんな運命をたどって奄美にきて琉球の巫女さんの上着になり、今上野に飾られているのでしょう…

 ドギンと一緒に写っているのは、同時期の奄美の花織の着物。遠目には無地の織物のように見えましたが、近くで見ると透けるほど薄く花菱文で織られています。とても綺麗でした。




展覧会ルポ | 01:19 PM | comments (x) | trackback (x)
 着物からのれんや風呂敷、本の装丁まで実用品を型絵染めで模様付けした
現代の染色家、芹沢銈介の展覧会に行ってきました。

 「芹沢銈介のいろは」
※ 東京国立近代美術館工芸館にて。5/8まで。

(写真は展覧会チラシと3/23朝日新聞記事より)

 昨年、金子量重氏から寄贈された作品を中心にした展示だそうです。前回ご紹介した横河民輔氏と同様、お陰で貴重な美術に接することができ、お志に感謝!です。


  文字文地 白麻 部屋着

 この展示で面白かったのは芹沢銈介の「文字文」もじもん。
よく「唐草文様」「樹下獅子文」などと言うのと同じで、
「文字を文様化、模様化した」ものです。

 
 1968年のカレンダー

いずれも70代の作品で、驚くほどポップで大胆!形も色合いも楽しく、こういうデザインが身の回りにあるとステキな生活感が味わえますね。

 作品はほとんど型染の実用品でもあるので、今でも買えるし使っているし、です。
ぼかし屋の場合、仕事柄で風呂敷を多用します。
所持品から芹沢銈介デザインを写してみました。


 たとう紙ごと着物を包める大型サイズの風呂敷。便利にしています。仮絵羽や下絵描きなどの作業を中断する時に、この風呂敷で作業机ごと覆って埃防ぎにも使っています。


  上は反物を包んだ綱の模様の風呂敷。とても古く色が退色しています。
  下は小物包み。野菜を模様化した図柄です。

 風呂敷と言えば…

 白生地反物は丈夫な紙で包まれていますが、持ち歩く時は、さらに風呂敷で包みますと、巻物の状態の生地をしっかり守ってくれます。そして湿気から守るため風呂敷ごとビニールで守って運びます。
 昔このように包んだ反物を生地屋さんに返しに行くとき、(数本お借りして、誂えご注文のお客様に生地をお選びいただき、残りを返却)カバンに縦に入れて運び、叱られたことがありました。
 わずかでも生地がよれるような事をしてはいけない、売り物にならなくなる、と。しっかり包み、なおかつ横に運ばなければならないのでした。
そのくらい丁寧に扱えとの教え。もちろんすぐに反物包みを横にしたまま運べる鞄を買ったのでした。
 以後、生地を運ぶたび、思い出しております。

 この工芸館は竹橋と半蔵門の間くらいにあります。

 昔の近衛師団司令部だったところで、建築遺産として貴重な建物だそうです。

 千鳥ヶ淵にも近いですよ。

4/4スマホで撮影 暗くなりきらない都心の夜空を背景に。

 二年ぶりの夜桜見物でしたが、以前と照明方法が変わっていました。
以前は花見客のいるお堀手前が明るく、今年はお堀向こう側が明るく照らされていました。
近くの桜は薄明り、遠くの桜がはっきり明るく。
 どちらがよいか意見が分かれるでしょう。今年の方が情緒はあると思います。
でも頭上に見上げる桜は…ちょっと暗くて寂しかった気がします。
展覧会ルポ | 12:08 PM | comments (x) | trackback (x)
 久しぶりに上野の展覧会へ行きました。
目的の「ボッティチェリ展」を見た後、国立博物館の常設展示へ立ち寄り、東洋館で展示中の綺麗なお皿を観てきました。


 琺瑯彩 梅樹文皿  雍正帝の時代、1730年頃 中国景徳鎮窯
 小振りですが、白い飾り皿に繊細な紅白梅が描かれていて、「これぞ磁器!」というほどの硬質感の輝く白さでした。梅の表現がとても細かく、極めて細い筆で丹念に絵付けした様子です。

 この展示に立ち寄るきっかけになったのは1/31東京新聞の記事です。



この記事のほとんどの部分は、皿の寄贈者、横川民輔氏のことが書かれています。
興味深いので、主旨抜粋で記事を紹介します。

 作品の解説プレートのほとんどに「横河民輔氏寄贈」とある。
横河氏は大正期に日本橋三越本店を設計するなどした建築家で、現在の横河グループを創設した実業家でもあり、さらに中国陶磁器の世界的コレクターの顔も持っていた。
 1932年から7回にわたり、東京国立博物館に約1100点を寄贈した。同館が所蔵する中国陶磁器約2500点のほぼ半数に上る。
 横河氏の買い付けは、清朝の衰退期に美術品が中国からへ流出し、英国はじめ欧米列強が「爆買い」する時期だった。しかも最初から公のため、つまり博物館での展示を考えての収集だった。日本で個人がこれほど寄贈するケースはまれだという。しかも、本人は目立つことを好まなかった。


 横河電機の社名は知っていても、このような創業者がいらしたとは知りませんでした。
同じ上野の西洋美術館が「松方コレクション」の名前を残して展示しているように、国立博物館も「横河コレクション」などと銘打って顕彰してもよいのでは、と思ったことでした。それぞれの作品名の小さなプレートには寄贈者名が書いてはあるのですが。

 本館の展示も季節柄で、桜の文様が多く飾られていました。

  仁阿弥道八 「色絵 桜樹図 透かし鉢」




 この作は、どの角度から見ても鉢の外側の枝と内側からのぞく枝がつながって見えることで有名です。雰囲気も材質も柔らかい日本の陶器です。


  打掛 「紅綸子地 御簾薬玉模様」(18世紀)

 端午の節句に厄除けのために御簾に飾る花薬玉を描いているそうです。
端午の節句ですが、背景は一面の桜。
女性の身を飾る打掛だからでしょうか。


お洒落な意匠ですね!図案の参考にしようかな!(^^)!

 同じ日、上野公園入口の河津桜。すでにほぼ満開でした。

展覧会ルポ | 11:47 PM | comments (x) | trackback (x)
人間国宝、森口華弘氏は、昭和を代表する著名な京友禅作家でいらしたので、亡くなられてからも作品はテレビや展覧会で紹介されることがよくあります。ですが、今回テレビ放送で、めったに見られない同氏の「下絵」を拝見できました。
BS日テレで毎週金曜20時から放送される「ぶらぶら美術館」の11月13日放送分
「琳派400年の特集」
でのことです。
下絵は公開されることが少ないので、テレビ映像を拝借してご紹介いたします。
 京都国立近代美術館でこの秋に開かれた「RIMPA IMAGE 琳派イメージ展」を番組が取り上げていて、その中の京友禅の技のコーナーに同氏の作品が展示されていました。



 左側の青い作品「流水」について
子息の森口邦彦さんが登場して技法の説明などをなさいました。
蒔糊※を生地にふっては水色を引き染めするという作業を四回も繰り返したことで、この深みのある水の様子を表現したそうです。




 その際、森口邦彦さんがご持参の華弘氏の下絵画帳を披露してくださったのです。


 友禅染め全盛だった昭和3,40年代の達人の下絵ですから、
録画を何度も再生して観ました。


水の流れというテーマで何通りもの作品をお試しになっていたのですね。
細い筆が三本連結された「連環筆(れんかんひつ)」という筆をご愛用で、とても速くサササーっと描いておられたそうです。


言うまでもないことながら、素晴らしい勢いと構成ですね!

 ここで言う下絵とは、着物の柄行きの「雛型」です。実物大の紙下絵もおこしたものと想像しますが、どうだったのでしょう。仮絵羽の生地に直接お描きになったのでしょうか。他の出演者に質問してほしいものでしたが…。

 琳派400年を記念して、今年は京都各所で名作の展示、公開がありました。
京都まで行けない私にとって、この番組は有難い内容でした。

 同じくこの放送で紹介された作品の中に大変印象的な屏風がありました。


    冬木偉紗夫「いざない(風と雷の神)」平成2年

 宗達の風神雷神からイメージをふくらませたそうです。
創作するアーティストって凄い!と、ささやかな模様屋としては尊敬を禁じ得ません。
漆塗りの屏風で、このように塗り分けるのには高度な技術が必要だそうです。


※蒔糊(まきのり)の技法→ 餅粉と米ぬかで作った糊を薄く延ばして乾燥させた後、細かく砕いて粒状の糊を作る。フノリで濡らせた生地の上に糊の粒を降らせてから乾かす。生地に糊粒が固着したところへ刷毛で染料を引き染めすると、糊粒の跡が防染されて点々とした模様として浮き上がる。森口華弘氏はその第一人者で、手描友禅と蒔糊を併用した作風で有名。
展覧会ルポ | 08:01 PM | comments (x) | trackback (x)
 東京手描き友禅、模様の参考に有田焼の展覧会を観てきました。



  ポスターの写真は「色絵有職文耳付大壺」
 蓋のつまみは獅子、壺の耳は鳳凰で、全面に描き込んだ有職文は狂いなし!です。
1875年頃 パリ万博に出品されたらしい作。
らしい、というのは、当時の会場写真に近似する壺が写っているからだそうです。

 放送やネットで画像を観られる現代と違い、当時の万博は輸出品を紹介するカタログのような存在。職人は腕のふるい甲斐があったことでしょう。
 日本の工芸のなかでも陶磁器、金属細工、漆塗り、刺繍などの技術は明治期が絶頂期だったとよく聞きます。輸出による外貨獲得を目指して、政府が優れた工芸品の製造を奨励したからです。
イタリアルネサンスにはパトロンとしてのメディチ家が欠かせなかったように、明治期は日本国が職人たちのパトロンとなり、競わせて生産させた技術の高い工芸品を西欧に輸出していたのでした。ここ数年の各種展覧会はちょっとした「明治超絶技巧流行り」ですね。


    色絵人物花鳥文コーヒーセット(明治初期)

 図説によれば、西欧の形に和風の模様で、当時の輸出品の特徴がよく表れた作例。
ポットが2点。それぞれコーヒーとミルクを入れ、高い所からカップに注ぎ込んでカフェオレにしたのでしょうか。

作者の心意気を感じた花瓶を紹介します。


  色絵牡丹文花瓶(香蘭社製)1875年(明治8年)頃

 風に吹かれてそよぐ牡丹。釉の上に黒い顔料を斜めに吹き付けて、吹く風を表現しています。
この図自体は清朝絵画(風牡丹図 神戸市博物館所蔵)を参考にしたと推定されるそうです。
 「とにかく和風、東洋風の模様が描いてさえあれば西洋人は喜ぶ」という制作姿勢を感じる作もある中で、この花瓶は作者が表現したかったことが伝わる一作だと思います。

 この展覧会は磁器の作品ばかりでなく、当時の図案が展示されていました。


    いずれもパリ万博用の図案。

 左上の雪よけから覗く牡丹の図案はよくご覧いただくと、壺全体が雪よけです。磁器の実物は発見されていないとか。残念です。でも「雪よけ」は当時の西洋の人々に分かってもらえたでしょうか。ちょっと心配…。
 左下の図、「間垣の向こうの菊」は手描き友禅のお手本そのもの(^^)/

 こちらは図案、作品、箱書きがすべて残っている幸運な例

   色絵亀甲地羽根文瓶 1902年(明治35年)頃

白い羽根は絵具を盛り上げて立体的な表現となっています。

 今もまったく古さを感じさせないディナーセットもありました。

   染付菊唐草文洋食器 1879年(明治12年)頃

 左上の五角形の大皿は、図説によれば魔除けの意味を持つ五芒星形で、洋食器としては大変珍しい形だそうです。
真ん丸の菊文を唐草にしているので、皇族が使用した食器でしょうか。

 最後の写真は風呂敷です。ミュージアムショップで買いました。

 紺地のしっかりした綿地に有田焼の模様がたくさん。
風呂敷は必需品なのでいくつあっても嬉しいものです。

 この展覧会はこれから全国を巡回。来年の今頃が東京開催。
だいぶ先なので、横浜展を観られて幸運でした。
 それにしても、絶滅危惧種ばかりの現代の伝統的工芸品の厳しい状況を思うにつけ、明治期は工芸にとって幸せな時代だったと思わずにはいられません。

 ちなみに友禅染は伝統工芸の中では新しい技術で、始まりは江戸時代。最盛期は大正昭和。戦後の混乱期を過ぎてからの昭和40年代位までと言われています。
東京手描き友禅にもメディチ家が現れないでしょうか。(^^;)
展覧会ルポ | 09:56 PM | comments (x) | trackback (x)
 この春は立て続けに琳派の花の絵を楽しむ機会がありました。
今年は琳派にとって区切りの年とのことで、多くの美術館で記念展示があるようです。

 日本橋の高島屋で開かれた「細見美術館・琳派のきらめき」展の解説によれば、
琳派の始祖とされる本阿弥光悦が、家康から鷹峯の土地を拝領して彼の芸術村を創設したのは、
ちょうど400年前だそうです。


 それを記念して京都の細見美術館の琳派コレクションが
引っ越し展示
されたわけです。

 琳派とされる画家の頂点に立つ俵屋宗達(光悦と同時代)から、神坂雪佳(明治初期)
まで、特に私の一番好きな画家、鈴木其一(江戸後期)の作品を複数鑑賞できました。
何かというと其一の話題で恐縮ですが(^_^;)


  雪中竹梅小禽図 (図録より)

其一の雪を初めて拝見。梅の枝にふっくりと積もった雪、竹笹に重く積もって崩れる雪、どちらも雪がとても立体的でした。描いてさらに胡粉を吹き付けるなど工夫されているそうです。


 
  朴に尾長鳥図  (部分)

 いわゆる緑色を使わず、青磁色で葉を描き、朴の花も写実的です。
スケッチしたままを彩色した感じで、パターン化した所がまったくない其一
…ちょっと驚き…

 この絵も驚きで…



   槇に秋草図屏風

 「オッ!これも其一!」と思って近づいたら、師匠の酒井抱一の作との表示。
でも菊の葉をきっちり整理整頓し、パターン化して描き込む感じは其一サンだと思ったのですが…。抱一センセ!弟子に代作させませんでした?!(*’▽’) 

 私淑で受け継がれた琳派の中にあって、其一は抱一の正式な弟子でした。
この時代、師匠の代作をすることは高弟の証で名誉なことだったはずですが、代作云々は
其一贔屓の私の勝手な推測です、悪しからず。(^_^;)
絵具の剥落がとても残念な作品でした。

 この春第二弾の琳派は根津美術館



こちらは尾形光琳没後300年と銘打って「燕子花図屏風」と「紅白梅図屏風」が並べて展示されていました。
 燕子花は根津美術館所蔵でいつも表参道にありますが、紅白梅の方は伊豆のMOA美術館所蔵、門外不出で大切にされているので、この貴重な機会逃すべからず!でした。


「紅白梅図屏風」尾形光琳  (写真は展覧会チラシより)
 初めて拝見。 
有難いことに両方とも屏風として(つまりギザギザの状態で)飾られていました。

 つくづく眺めていて、私にとっては左側から観るほうが構図が魅力的だと気付きました。 写真撮影禁止だったので、帰宅後に展覧会チラシから紅白梅図を切り取り、屏風たたみにしてお盆にのせ、左側から撮影してみました。



 足元に白梅の太い幹、視界に収まらず天から降り降りてくる白梅の枝、
こちらへ向かってくる流れ、その向こうに立つ紅梅


本物でなく、こんな小さな切り抜きの写真で恐縮ですが、
雰囲気は出ていると思います。左からの方が迫力あました。

 二曲一双の屏風ですから、常に並べて使ったわけでなく、一隻だけを部屋の仕切りに使うこともあったはず。どちらか一つ貰えるなら、左隻(白梅)がいいな、などと勝手なことを考えておりました。想像は自由。(*^^)v

 光琳の下図がたくさん展示されていました。



   桐の絵の下絵。
 当て紙をして描き直しているのに親近感を覚えます。
私もよくやります。下図は試行錯誤あるのみなので。

たいへん美しかった展示品を一つご紹介します。


  薊図、露草図団扇

 光琳晩年の弟子の作と考えられていて、元は団扇の表裏だったそうです。なんと贅沢な!
特に薊(アザミ)の配色は、そのまま振袖に使えそうです。
コーヒーブラウンに蘇芳ピンクの花々、ちょっと個性的ですが。

 どちらもとても楽しめる展示でした。
いつか京都に細見美術館を訪ねてみたいものです。
展覧会ルポ | 07:10 PM | comments (x) | trackback (x)
 上野の東京国立博物館が新年イベントの一環で長谷川等伯「松林図」今月12日まで展示しています。 ちょっと慌ただしかったのですが行ってまいりました。

 この絵については「歴史の教科書で見ただけだけど凄い絵だね」という感想をよく聞きます。私もまったく同感で、教科書で初めて見て「こんな絵があるのか」と驚いた覚えがあります。だいぶ以前に最初に本物にお目にかかった時も、「本当にこんな絵があるんだ!本当に松林だ」とあまり進歩のない驚きを感じたものでした。
 今回改めて拝見…。
愛読書「等伯」(安倍龍太郎作)の影響もあり「なるほどこの絵の主役は松ではなく霧だ」などと考えつつ眺めました。

この屏風は六曲一双の大作なので、教科書などで紹介される時はたいてい右隻だけの写真になっています。美術書でも右隻と左隻が別のページになっていたりします。

今回改めて一双が並んだ展示で鑑賞すると、その中央部で主役の霧が一番深いと分かります。
別々の写真では中央部が分断されてしまうので分からないことでした。



 近寄って観ると、普通の筆ではなくササラのようなもので描いたようでした。硬い硬い筆で激しい勢いで描いたものだと分かります。小説にあるように竹筆で昼夜を分かたず描いたのかもしれません。


      左隻  
平面に観るより、このように屏風として展示されると松の木を覆う霧の流れがよく分かります。
ひんやりとした感じです。

 とんでもない天才が長年の精進の末にたどり着いた境地だったと安倍龍太郎さんは描いていますが、私のような凡人は、ただただ観るだけ、眺めるだけで十分という絵でありました。

※屏風用語のご参考に。左右二点で一つの屏風になっている場合、一双の屏風と呼び、それぞれを右隻、左隻と呼ぶそうです。松林図のように一隻の屏風が六畳みの場合、面一つを一曲、または一扇と呼ぶそうです。「松林図」六曲一双は「六畳みの屏風、左右一対で一点の屏風」という意味になります。
 いずれも最近覚えたばかり。
間違いがありましたらHPの問い合わせフォームでご指摘ください。

 全館を観る時間はなかったのですが、せっかくなので新年を祝して飾られたコーナーだけは走り見てきました。


正倉院御物のろうけつ染めで羊を描いた屏風の復元品。
羊のデザインはササン朝ペルシャの影響を受けているそうです。



幕末期の打掛 武家女性の婚礼衣装で、鶴などお目出度い柄がぎゅう詰めになっているのは典型的な様式だそうです。



同じく幕末期の陣羽織 
お武家の好みで牡丹、龍、鳳凰が、これもギュッと詰まっています。



 正面中央階段の踊り場に池坊の生け花が飾られていました。
お正月らしい展示でした。

上野の東京国立博物館は所蔵品の撮影は自由です。他の美術館から借りて展示しているものには撮影×の印がついています。友禅模様の参考にできるので嬉しい美術館です。

「よく何度も行けますね」という感想をいただきますが、地の利に恵まれているおかげです。当方から上野まで地下鉄利用で30分。生地屋さんなどが人形町界隈にあり、近いので用足しのついでに立ち寄れるのです。やはり美術館の多い日本橋、大手町界隈へは地下鉄で15分です。気軽に実物にふれることが出来るのは仕事がら本当にありがたいことです。
展覧会ルポ | 11:02 PM | comments (x) | trackback (x)
手描き友禅、模様の参考に。
東京国立博物館で開催された国宝展を観てまいりました。

一番の目的は長谷川等伯の「松に秋草図」 



ですが、実は今回は隣に飾られた狩野永徳の「花鳥図」に見惚れました。



 永徳を始めとする狩野派が、一匹オオカミの等伯を敵視し、今風に言えば「イジメた」のは史実なので、狩野永徳にも人物としてはよいイメージを持っておりませんでした。
 しかし初めて観るこの「花鳥図」の完璧さは…。 
実物を観られることの有難さを痛感しました。これまで永徳の作を観たことがないわけではありませんが、今回ほど強い印象を持ったことはありませんでした。
 鶴と松の取り合わせ、向かって右、上の方で手前に張り出す松の枝が、実物では大変迫力があり、こちらに迫ってくるようでした。鶴は驚くほど正確で写実的に細部を表現しています。墨の濃淡を利用して重ね描きすることで立体的な鶴の足を描いていて、しばらくジッと見つめてしまいました。まったくもって一分のスキもない感じの絵でした。
 永徳の代表作とされる「唐獅子図」や「檜図」のような金碧画(金の背景に彩色した屏風絵など)より、このような水墨画の方が、永徳の力量が分かりやすいように思いました。
 永徳ってどんな人だったのでしょう。織田信長に重用された永徳の作品はその後の戦乱で多くが焼失し著名な割には作品を観る機会は少ないとか。信長の安土城が残っていたらよかったのにと思います。

 この展覧会では、教科書に載っているから名前は知っているけれど実物は初めてという国宝のいくつかを拝見いたしました。
写真撮影禁止だったので手持ち写真がなく、
予算オーバーで図録が買えず (>_<)
ご覧いただくのはこの展覧会を紹介したNHKの番組の写真です。

 玉虫厨子 (飛鳥時代 奈良 法隆寺) 


 入場してすぐにとても大きなお堂のような物があると思ったら有名な玉虫厨子でした。台に乗せられているとはいえ、見上げるほど大きい厨子とは思っていませんでした。照明も暗く厨子も黒ずんでいるので、まだ僅かに残るという玉虫の羽根飾りがどこか分かりませんでした。側面に描かれた有難い仏画よりはミーハーにも羽根飾りを見たかったのです。NHKの番組では羽根飾りの部分が大写しになっていました。


ズームして照明をあてると、飾りの後ろにはめ込まれた羽根があるのがよく分かります。(テレビ映像では妖しい玉虫色に輝いてましたが、写真が低質で申し訳ありません)
制作された当初はどれほど輝いていたのでしょうか。

 善財童子立像 (鎌倉時代 快慶作)

  角髪(みずら)に髪を結った少年の像。


海を渡る文殊菩薩を先導する少年で、この像は文殊菩薩を振り返った一瞬を表わすそうです。華やかで、番組の解説者は「出来た当時は少年アイドルのようだったと思う」と述べていました。


衣に赤や緑の彩色と細かい模様がよく残っていました。
金箔と、細い金箔をはりつける截金(きりかね)の技法で表現されているそうです。

 扇面法華経冊子 平安時代12世紀



 解説によれば、女性も成仏できるとした法華宗は貴族の女性に大変人気があったそうです。
(逆に言えば当時他の宗派では悟りを開いて成仏できるのは男性だけ)
法華経の経文をかいたこの冊子はお洒落なことに扇型なのです。当時の価値観では成仏して極楽にいくには、仏への奉げものや仏に関連したものを、実用性だけでなく美しく飾る必要があったそうです。だから扇型にした上で、さらに経文の背景に美しい絵を描いたというわけです。
 絵は経文の内容には無関係。貴族でないが身なりの綺麗な男女が雀取りをしているところで楽しい雰囲気でした。それにしても古いのに色彩が退色せずによく残っているものです。

 楓蘇芳染螺鈿槽琵琶 (正倉院御物の琵琶の一つ)



 螺鈿の細工がきれいでしたが、それ以上に驚いたのは楓の木地自体が艶やかで生き生きしていたこと。弦を張れば音が鳴るように見えました。天平の音色、聞いてみたいですね!

 この琵琶に代表される正倉院御物は、展示されれば大勢の観客が押し寄せ、展示品の近くに寄れないと言われていますが、今回はじっくり鑑賞できました。実は行く予定がない日に豪風雨となり、予定変更して急きょ上野に出かけたのです。目論見があたり来場者は少なめ、会場はソコソコの混み具合。さほど並ぶこともなく国宝の中の国宝を間近に鑑賞できました。!(^^)!

展覧会ルポ | 11:53 PM | comments (x) | trackback (x)
東京手描友禅 模様の参考に、五島美術館の秋の展示「絵画、書跡と陶芸」に行ってきました。



一番の目当ては紫式部日記絵巻。
現存する物語絵巻類では最も古いだけあってかなり退色していますが、引き目鉤鼻の公達や女房たちが上品で静かに美しく、何度見ても見飽きません。


 中宮彰子が男子を産み、女房たちが正装でかしずいているところ。
 解説によれば女房の髪型は正式に前髪を結い上げているそうです。確かに額の上に摘み上げたように髪が上がっています。平安時代、女性はお下げ髪が基本ですが、正式な場面では奈良時代の女性のように前髪を高く結って飾りを付けたそうです。


 中宮を訪問した公達を紫式部が迎えているところ。
 西洋絵画で「○○を訪問する△△」というタイトルなら、訪問される側、訪問者ともに従者を従えて画面中央にドンと描かれるものですが、この図はポイントが右によっていて、位の高い中宮様は大きな屋敷の奥深くにいることを匂わせているだけ。とてもとても日本的ですね!
 ハッキリ表現せずに、良くも悪くも間接的に「ほら、わかるでしょ」と伝える日本風の原点のように思います。


 静かで上品に見えつつ実は儀式の後のくだけた宴会の様子を描いているそうです。
 盃片手に歌う人、女房の容姿や衣装を品定めする人、「この辺りに若紫さんはいらっしゃいませんか」と美男の誉高い公達が紫式部を探していたり。
今も昔も「打ち上げ」は楽しいひと時ですよね!

 尾形乾山の屏風絵の展示もありました。


尾形乾山 「四季花鳥図屏風」 左

                 右
 陶芸が有名な乾山の、これほど大きな絵画は初めて見ました。さっくりソフトに描いた感じ。

 特にきれいだったのは、輪郭を描かずに胡粉の白をぼかすことで姿を表現した白鷺の群れ。真似てみたいものです。

五島美術館はお庭も有名なので一巡りしました。

ムラサキシキブの花 ちょうど今が季節なのですね。

立派な寿老人。思わずお参り。

古墳があるとは知りませんでした。

名前が分からない花。受付の女性に尋ねましたが、「え~っと、何でしたっけ!忘れてしまいました」とのことでした。(^^;)
どなたかご存じの方、お問い合わせフォームで教えてくださいませんか。

※追記 2014/12/11
教えていただきました。エゾツリバナ(蝦夷吊花)だそうです。
秋に赤く熟した果肉と種子を採取するそうです。薬効もあるとか。

展覧会ルポ | 05:33 PM | comments (x) | trackback (x)
東京手描友禅 模様の参考に。「日本絵画の魅惑」展
 出光美術館の「日本絵画の魅惑」展で、地色を大胆なぼかし染めした着物の浮世絵が展示されていました。(写真は図録から)



  喜多川歌麿「娘と童子図」

 前回のブログで地色を裾濃(すそご)に染めると着映えがすると紹介しましたが、この図は逆。上半身ほど濃い緑色に染められています。これもステキですね!
娘さん用にしては地味な濃いお抹茶色ですが、衿や裾、袖口からのぞく真っ赤な小袖がアクセントとなって若さを引き立てています。胸元の帯の近くは白場を残した染なので、染める立場からすると、ぼかす個所が多くて引き染め作業はなかなか大変。やり甲斐ありそうです。



 懐月堂安度「立ち姿美人図」

 グレーの地色が、前記の歌麿と同じく上半身ほど濃く染められています。こちらの方が粋な大人の女性の感じ。下襲ね(したがさね)はやはり赤。渋い表地と赤の組み合わせは他にもたくさん見かけました。人気の色合わせだったのでしょうね。
 渋さの中に赤が少しあると全体がとても調和する例は、誰しも心当たりがあると思います。
例えば石造りのロンドンの街に赤い二階建バスがよく合うというような…。
 この図はもう一か所 興味深いところがあります。
この女性は髷(まげ)を自分で結い上げているところなのです。
 


 後頭部で縛った髪の束を左手で持ち上げ、右手で持った櫛で束の先を前髪後ろに留めようとしているのです。左手の指が髪をからめとって櫛に咬ませようとしていますね。
 女性の髪型は江戸の後半に島田結いなど大変複雑な形に進化しましたが、女性の風俗史によれば桃山期から江戸初期には、簡単に髪を束ねてお下げにしたり、ポニーテール風だったり、それをお団子にまとめたりと比較的単純な髪型だったそうなのです。
 この女性は、髪結いさんにまかせるのではなく自分で加減しながら髷を作っている真っ最中。
集中していますね。


展覧会ルポ | 11:30 AM | comments (x) | trackback (x)

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